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神の妻にならんかな成れんがな

2017/07/10 15:57 投稿

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  • 一夫一婦
  • 一夫多妻

既に神様には、妻が居るのだが。

一夫一婦的価値観での結論では、それでも(0±0)これは、0±0が共に有る様、には一応は言えて。±0を「神様」だとしたら、既に彼には”0”その妻が居る、訳だ。ここに人間が介入し「私の方が妻に相応しい!」それは意味がない(人間では0にも±0にも成れないのだ)。帰結として、神の妻になる事は不可能だ、既に最も相応しい存在が居る(ある?)のだから。

つまり人間には、根本的には現実を制御する術はない、訳だ。目の前に現れる事象に対して、対策し対応していくしかなく。その時、そこに平等かつ公平に、その倫理観は不動なモノとして、ある。それは、物理法則だ。


「神の妻になり神様を制御する」その衝動の感覚で行くと、”これ”は一つの結末ではある、”無理”だ。
自身の信仰を”ここ”に持っている限りは、一夫一婦の暴論、「私は貴方の妻でしょう?!」”それ”は…手が出せなくなる。今まで、「誰?」作者、独裁性を認める限りは、その「作者」を制御し得る事で全体を制御出来るポイントは何処か何か有ったが…この「大衆は神様である」その信仰からすると、「それは出来ない」訳だ。

…それは、一つの安心感には成るのだが。

視点を変えると、0は多ではある。±0は幾つも異なってある(計算結果が0になるなら数式は何でも良いからだ)のに、0は一つしかなく?”その全てと繋がる”訳で。先の(0±0)が一つの結論としたら、つまり「0は0として沢山ある」訳だ。そしてそこに、計算式としての個が数多ぶらさがっている、訳だ。それは、一夫多妻的な光景ではあり。

「お金」に近いイメージとして、0は多としても存在し得る訳だ。


その辺から、現実的な事例へ繋げていくと、商店街の中で1店舗だけが流行ってる、それは経済的に問題がある。理想としては全ての店が等しく潤っているのが期待される光景であり、その時、客を(お金を持ってる人を)夫だとしたら、店は妻に相当する訳で、それは一夫多妻状態ではあり。平等かつ公平に、としたら?この状態は理屈的に求められてしまう訳で。すると、適当に一夫多妻は感覚的な容認が求められたり、する。

日本の場合、天皇家が一夫一婦になった結果、下界に一夫多妻を容認し難くなったため、ワンクッション置く形で「ガンダム」が必要には成ったのだが。独裁性を否定し切れず、今日までこの「神の妻に成れば現実をも制御出来る」その妄執が残ってしまった?そういう事はあるのかもしれない。

断言はできる。

「神の妻になる事は出来ない」

しかし。


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