@85年頃の誌面から
前回の84年のときもそうでしたが、この85年も実はリアルタイムで買ってないんですよね。定期的に買いだすのは、PC88を買ってもらった86年からだたので・・・それだけに新鮮な視点で語ることができる!ということでご容赦を。全部を拾うのは無理。何を取り上げ、どういう視点を持つのか、というのはホントに難しいですね。
@表紙とキャッチコピー

表紙は84年に引き続き、CGが使用されています。年度が変わってるので若干のデザイン変更はありますが、基本的には変わっていません

キャッチコピーも引き続き「わかりやすくて役に立つ新感覚マイコン雑誌」。表紙と同じように、基本方針に大きな変更がないことが伺えます
@紙面

プログラム関係の記事に加えて、新しく2つの軸となるものが出てきました。CGとコンピュータミュージックです。※1 この頃はパソコンの性能向上が著しかった時代です。画像処理能力が向上し、PSGやFM音源を搭載したハードなども登場しました。パソコンといえばプログラミング!という状況から、絵を描く、音楽を奏でるといった使い道に対応した記事が増えています。
@CG教室、ダビンチ、うる星やつら

ポプコムは85年(84年?)に「ポプコムソフト」というブランドを立ち上げて、ソフトを企画販売していました。その中でも力をいれていたのが「ダ・ビンチ」というグラフィックソフトです。ポプコムのCGに関する書き方の記事は、ほとんどがダ・ビンチ関連であり、他のパソコン雑誌と比べてもかなり熱心に取り組んでいました。小学館発行という強みもあったのか、素材に「うる星やつら」「めぞん一刻」など、高橋留美子の絵がバンバン使われていましたね。ダビンチ関連だけでなく、表紙や綴じ込みのカセットレーベルにも小学館が権利をもつマンガがふんだんに使われていて、マンガファンの興味を引いていたのではないでしょうか。
@コンピュータミュージック

FM音源などの解説記事が載り始めています。記事的には「PSGとかFM音源ってなーに?」「どうやったら音が出るの?」という初歩の解説記事が多いですね。「パソコンから音が出る」というのは、当時としてはかなりのインパクトがあったので多くの人の興味を引きました。特に自由に好きな音が出せる、という部分はシンセサイザーなどに興味があり、作曲を趣味とする人には魅力的に映ったことでしょう。

「わくわくサウンド倶楽部」という、曲のプログラムリストを掲載する記事も始まりました。曲のリストというと、マイコンBASICマガジンなどでもありましたが、ベーマガはゲームミュージック中心、ポプコムではポップスの曲を取り上げていて、お互いに特徴が出ていました。
この85年からはじまったCGとコンピュータミュージックに関する記事は、80年代のポプコムの特徴の一つとなっていきます。、絵や音楽に興味がある人が使ってみたいな、と思うようになってきて、パソコンがプログラミングができる人だけのものから、変化し始めた兆しが伺えます。

85年に始まったものではないですが、ポプコムにはプログラムの解説マンガが載っていました。これよくできてるし、おもしろいです。ポプコムのプログラム記事はまじめすぎたんですよね。「二次元配列ってこうだよ」って丁寧にわかりやすく説明してくれるのはいいのですが、それを使って何ができるの?というところが弱い。あまりにも技術よりだったんです。その弱点をこのマンガは中学生の主人公・武蔵をもってくることで、中学生が普段の生活でどのいう場面でプログラミングを活用するのか、具体的な例で解説していました。もちろん技術情報も大切なのですが、固い記事とこのマンガでうまくバランスが取れていたと思います。
@後の主役の人がちらほらと・・・

ポプコムと言えば「円丈のドラゴンスレイヤー」という人も多いですが、85年に初登場されています。まだこの頃はゲーム批評などではなく「円丈のジョーダンソフト」と題して、超能力開発など、ベーシックで冗談ソフトの記事を書かれています。
くわえて同時期にJD加藤さん、ポッキー前嶋さんなども誌面に登場されはじめました。後のポプコムのカラーを作り出すことになる人たちですね。新しい人の登場により、ポプコムと言えば固い!という印象からかなり柔らかくなってきました。
@ホビー誌の正常進化
ポプコムは「プログラミング雑誌」ではなく「コンピュータホビー誌」でした。なので絵や音楽というコンピュータで出来る面白いことの記事が増えたのは、ホビー誌としての正常進化と言えるでしょう。コンピュータの楽しみ方がグッと広がった時代ですね。
さてコンピュータのホビーの大きなものと言えばゲームなのですが、まだ85年当時はゲームの記事にあまりページは割かれていません。

「こんなソフトがおもしろい」という新作紹介コーナーと、「AVG」「アーケードゲーム」などテーマを区切った特集記事がある程度です。ページもそれほど多くありません。まだゲームがパソコンホビーの中心ではなく、遊び方の一部だった時代です。
しかしほどなくゲームが中心の時代がやってきます。86年ポプコムはゲーム記事を中心とした雑誌に変化していきます。読者が興味あるものにあわせていくのがパソコンホビー誌の正常進化と考えるなら、それはあるべき姿だったのでしょう。そんな中どう紙面が変化していったのか。次回はホビー誌からゲーム誌の転換点となる86年です。※2
※1
一方が「CG」で、もう一方が「コンピュータミュージック」とよぶのは、なんか収まりが悪い。でも「コンピュータグラフィックス」と書くと固いし、「CM」と略すとなんのことかわからない。なので統一せず、気持ちよい言葉をつかいました。
※2
ゲーム誌になったと言い切ってしまったけど、実際には86年~89あたりのポプコムはいろんな顔をもっていました。そのあたりはまた詳しくやっていきます。
前回の84年のときもそうでしたが、この85年も実はリアルタイムで買ってないんですよね。定期的に買いだすのは、PC88を買ってもらった86年からだたので・・・それだけに新鮮な視点で語ることができる!ということでご容赦を。全部を拾うのは無理。何を取り上げ、どういう視点を持つのか、というのはホントに難しいですね。
@表紙とキャッチコピー

表紙は84年に引き続き、CGが使用されています。年度が変わってるので若干のデザイン変更はありますが、基本的には変わっていません

キャッチコピーも引き続き「わかりやすくて役に立つ新感覚マイコン雑誌」。表紙と同じように、基本方針に大きな変更がないことが伺えます
@紙面

プログラム関係の記事に加えて、新しく2つの軸となるものが出てきました。CGとコンピュータミュージックです。※1 この頃はパソコンの性能向上が著しかった時代です。画像処理能力が向上し、PSGやFM音源を搭載したハードなども登場しました。パソコンといえばプログラミング!という状況から、絵を描く、音楽を奏でるといった使い道に対応した記事が増えています。
@CG教室、ダビンチ、うる星やつら

ポプコムは85年(84年?)に「ポプコムソフト」というブランドを立ち上げて、ソフトを企画販売していました。その中でも力をいれていたのが「ダ・ビンチ」というグラフィックソフトです。ポプコムのCGに関する書き方の記事は、ほとんどがダ・ビンチ関連であり、他のパソコン雑誌と比べてもかなり熱心に取り組んでいました。小学館発行という強みもあったのか、素材に「うる星やつら」「めぞん一刻」など、高橋留美子の絵がバンバン使われていましたね。ダビンチ関連だけでなく、表紙や綴じ込みのカセットレーベルにも小学館が権利をもつマンガがふんだんに使われていて、マンガファンの興味を引いていたのではないでしょうか。
@コンピュータミュージック

FM音源などの解説記事が載り始めています。記事的には「PSGとかFM音源ってなーに?」「どうやったら音が出るの?」という初歩の解説記事が多いですね。「パソコンから音が出る」というのは、当時としてはかなりのインパクトがあったので多くの人の興味を引きました。特に自由に好きな音が出せる、という部分はシンセサイザーなどに興味があり、作曲を趣味とする人には魅力的に映ったことでしょう。

「わくわくサウンド倶楽部」という、曲のプログラムリストを掲載する記事も始まりました。曲のリストというと、マイコンBASICマガジンなどでもありましたが、ベーマガはゲームミュージック中心、ポプコムではポップスの曲を取り上げていて、お互いに特徴が出ていました。
この85年からはじまったCGとコンピュータミュージックに関する記事は、80年代のポプコムの特徴の一つとなっていきます。、絵や音楽に興味がある人が使ってみたいな、と思うようになってきて、パソコンがプログラミングができる人だけのものから、変化し始めた兆しが伺えます。

85年に始まったものではないですが、ポプコムにはプログラムの解説マンガが載っていました。これよくできてるし、おもしろいです。ポプコムのプログラム記事はまじめすぎたんですよね。「二次元配列ってこうだよ」って丁寧にわかりやすく説明してくれるのはいいのですが、それを使って何ができるの?というところが弱い。あまりにも技術よりだったんです。その弱点をこのマンガは中学生の主人公・武蔵をもってくることで、中学生が普段の生活でどのいう場面でプログラミングを活用するのか、具体的な例で解説していました。もちろん技術情報も大切なのですが、固い記事とこのマンガでうまくバランスが取れていたと思います。
@後の主役の人がちらほらと・・・

ポプコムと言えば「円丈のドラゴンスレイヤー」という人も多いですが、85年に初登場されています。まだこの頃はゲーム批評などではなく「円丈のジョーダンソフト」と題して、超能力開発など、ベーシックで冗談ソフトの記事を書かれています。
くわえて同時期にJD加藤さん、ポッキー前嶋さんなども誌面に登場されはじめました。後のポプコムのカラーを作り出すことになる人たちですね。新しい人の登場により、ポプコムと言えば固い!という印象からかなり柔らかくなってきました。
@ホビー誌の正常進化
ポプコムは「プログラミング雑誌」ではなく「コンピュータホビー誌」でした。なので絵や音楽というコンピュータで出来る面白いことの記事が増えたのは、ホビー誌としての正常進化と言えるでしょう。コンピュータの楽しみ方がグッと広がった時代ですね。
さてコンピュータのホビーの大きなものと言えばゲームなのですが、まだ85年当時はゲームの記事にあまりページは割かれていません。

「こんなソフトがおもしろい」という新作紹介コーナーと、「AVG」「アーケードゲーム」などテーマを区切った特集記事がある程度です。ページもそれほど多くありません。まだゲームがパソコンホビーの中心ではなく、遊び方の一部だった時代です。
しかしほどなくゲームが中心の時代がやってきます。86年ポプコムはゲーム記事を中心とした雑誌に変化していきます。読者が興味あるものにあわせていくのがパソコンホビー誌の正常進化と考えるなら、それはあるべき姿だったのでしょう。そんな中どう紙面が変化していったのか。次回はホビー誌からゲーム誌の転換点となる86年です。※2
※1
一方が「CG」で、もう一方が「コンピュータミュージック」とよぶのは、なんか収まりが悪い。でも「コンピュータグラフィックス」と書くと固いし、「CM」と略すとなんのことかわからない。なので統一せず、気持ちよい言葉をつかいました。
※2
ゲーム誌になったと言い切ってしまったけど、実際には86年~89あたりのポプコムはいろんな顔をもっていました。そのあたりはまた詳しくやっていきます。
コメント

No.7
(2015/05/23 00:35)
おれたちマイコン族、って名称、オレたちひょうきん族が元ネタですよね。マイコンというワードとあわせて時代を感じます

No.8
(2015/05/24 19:15)
>ぱるるさん
貴重なお話、本当にありがたいです。そうですね、自分はずっとポプコム買ってましたね。一番センスがあったパソコン誌じゃないかなー、と今でも思っております。
投稿に関してのお話も興味深いです。80年代中盤というと、そろそろ権利とか、いろんなことにうるさくなってきた時代ですよね。あのコーナーにはいろんな気苦労があったことと思います。
JDさんはゲーム開発が忙しくなられたのか、当時、誌面から突然消えたという印象でした。86年~88年はJDさんがメインライターでど、こもかしかもJDさんの記事だったのに、88年あたりを境に急に誌面が変化したような印象を読者としては持ちました。
ぱるるさんがアルバイトをされていた時代は、ちょうどJDさんの時代と重なりますよね。これはお世辞でもなく、あの頃のポプコムが一番好きでした。中学生生時代、本当にむさぼるように読んでました。
長文の返信となってしまい申し訳ありません。これからもポプコムの記事は上げる予定です。また機会があれば是非、お話をきかせていただければと思います。
貴重なお話、本当にありがたいです。そうですね、自分はずっとポプコム買ってましたね。一番センスがあったパソコン誌じゃないかなー、と今でも思っております。
投稿に関してのお話も興味深いです。80年代中盤というと、そろそろ権利とか、いろんなことにうるさくなってきた時代ですよね。あのコーナーにはいろんな気苦労があったことと思います。
JDさんはゲーム開発が忙しくなられたのか、当時、誌面から突然消えたという印象でした。86年~88年はJDさんがメインライターでど、こもかしかもJDさんの記事だったのに、88年あたりを境に急に誌面が変化したような印象を読者としては持ちました。
ぱるるさんがアルバイトをされていた時代は、ちょうどJDさんの時代と重なりますよね。これはお世辞でもなく、あの頃のポプコムが一番好きでした。中学生生時代、本当にむさぼるように読んでました。
長文の返信となってしまい申し訳ありません。これからもポプコムの記事は上げる予定です。また機会があれば是非、お話をきかせていただければと思います。

No.9
(2015/05/24 19:17)
>ユキヒロさん
こういうパロったタイトルって実に時代を表しますよね(笑)
当時は土曜の8時と言えば、みんな「ひょうきん族」みてましたねー・
こういうパロったタイトルって実に時代を表しますよね(笑)
当時は土曜の8時と言えば、みんな「ひょうきん族」みてましたねー・
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当時は、描く、というよりはラインツールで直線で描きバケツで塗りつぶし、ドットをポチポチ打って微調整て感じでした。
なので、ルーペ機能は重要でした。今はマルチウィンドウなので別ウィンドウで全体像を見ながら普通に全画面単位で拡大できるので捗りますね。てか、マルチウィンドウなんて単語、久しぶりに書いたw
今はCGと言えば3Dを指しますが、当時は主にパソコンでお絵描きすることを指してましたね。レイトレとかは3DCGと書いて区別していたように思います。