あーでもなければ、こーでもない ブロマガ版

カールと9割の関係ないこと。そして1割の幸せと

2017/09/23 00:21 投稿

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@カールがなくなる!

カールの東日本での販売が終了する。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/25/karl-meiji_n_16798910.html



カールと言えば、ポテトチップスと並んでスナック系お菓子の代名詞といえるひとつである・・・というのは、おっさん世代だからなのかねえ。最近は、ずいぶんとポテトチップスに差をあけられてしまった感があるけれど。

でもやっぱりカールはおいしい。サクサクの食感と、とろけるような舌触りの後に広がる甘塩っぱさ。食べ始めればとまらない。スタンダードな「うす味」もいいが、「カレー味」の風味の香ばしさもグッド。食べた後、歯の間に食べクズがはさまる以外は完璧なお菓子である。

今回、このニュースが出たからいうことではなく、少し前から最近食べてないので久しぶりに食べたいなあ、お店でみつけたら買おうとずっと思っていた。

ところがお店にいっても、まあ自分がいくのはほとんどがコンビニなんだけど、お菓子の棚にカールがない。ないから買えないという状態がずっと続いていたのだ。販売終了のニュースが出たと同時にカールを買う人が増えているときく。しかしそれは終了するから欲しくなった、というだけでなく、前から欲しい人がたくさんいたけど、自分みたいに欲しい人の目の止まるところになかった、需要のミスマッチがあったのではないか。

そうは言ってもコンビニで売ってないなら、少し大きめのスーパーにいけば置いてあるはず。通販だってある。自分も食べたい食べたいといいながら、コンビニで探すという「選択肢」以上の行動をとらなかった。そう考えると人間って。欲しいものがあってもよっぽどのことが無い限り、日常の行動範囲の選択肢の枠組みをなかなか越えようとしないんじゃないだろうか。

@身近なもので変わる好み
自分の行動範囲を越えない、ということでいうと、野球では熱烈な巨人ファンだった自分が最近はすっかり横浜ベイスターズのファンになってしまったということがある。

前は自分の部屋にテレビを置いてたのだけど、ネット中心になってからは観なくなったし、据え置きゲーム機でゲームもしなくなったので撤去。それでもパソコンでテレビが観れるボードを挿してみてたんだけど、地デジになってからコピー防止のためなのかUSB接続のスピーカーをつないでいると観ることができなかったり、モニタの切り替えをすると音声が出なかったりと、とにかくテレビ視聴のための仕様の規制が厳しい。そのうちめんどくさくなってテレビを全くみなくなった。

テレビがなくなると観ることに困ったのが野球。巨人戦観るためにネットの有料サービスに加入するべきか、それともやはりテレビを部屋に置くべきか迷ってると、そのうちニコ生で横浜ベイスターズの試合が観ることができると知った。まー巨人戦でなくても、野球ならとりあえずいいか、と、なんともなしに中継を眺めるようになった。そうしてると中畑監督が吠えたとか、筒香がHR打ったとか、山崎がまたセーブしたとか観てるうちに、いつの間にか横浜ファンになっちゃった。

いやーなんというか、遠距離恋愛みたいなもんですかねえ。遠くにいる男前より、近くにいて優しくしてくれる人。情報が入ってくるほうに人はなびくのよね。最近はHuluとかで巨人戦を観ることが出来るようになったので、少し巨人愛が復活してきてるけど、それでもまだ少し横浜の方が好きかなあ。

つまり、人の思考や好みって言うのは、簡単に変化する。変化するまではいかなくても、自分でも思ってる以上に環境に左右されるのではないか。人はタブレットやPCを使って、自由に情報を選択してると思ってるけれど、実はネットの中にある選択肢から選ぶしかない。選択がまた自分の思考をつくるという繰り返しだ。もちろん情報を取得する方法としてタブレットやPCを選択してるのも自分の意志だから、鶏が先か卵が先かという話だけども。

@流されて生きてみるのも楽しい
人の思考や好みは影響を受けやすく、簡単に変化する。そうなると「誰かが陰謀を企んで、人を踊らせてやろうとしている。そんなことにならないように、ちゃんと考えて自分らしく生きなきゃだめだ!」と言う人もいる。でもそうやってあれこれ考えすぎて、身動きできず、楽しむにも楽しめないことになってもまずい。誰かが手のひらで踊らそうとしてるなら、舞台の上に上がり、踊るだけ踊ったら飛び降りてやればいい。「踊るアホウに観るアホウ。同じアホウなら踊らにゃ損損!」の阿波踊りの精神だ。今の流行のお菓子だと言われれば食べてみて、新しいジュースが発売されたと聞けば飲んでみる。アカデミー賞獲った映画が公開されたらいっちょ観てやるか、というぐらいがいいのではないか。

たしかに流されるままに生きると、大事なことを失うこともある。自分で考えること大切。でも考えなくてもいいことを、考えすぎてはいないだろうか。議員の不倫、Twitterでの失言、タレントのトラブルなどなど、そりゃ問題ではあるんだけど、必要以上に怒った結果、自分の中で何かが削れていっていないだろうか。

とにかく考えることが大事だって言われる。LED電球1個買うにしても、メーカーのホームページで仕様確認して、ユーザーのレビュー読んで、一番安い通販サイトを探す。それが言いなりにならない考える賢い消費者です!・・・って、やってられるか!こだわりがある人は別だけど、LED電球とかはパッと気に入ったもの買いたい。そして考えるために使うはずだった時間を別のことに使いたい。そっちのほうがよくないか。

だと思うんだけど、同意してくれる人も、ちょっとモヤっとするでしょう?このモヤッとする部分が実は大切だと思う。

@人生はサーフィンだ!
なんか幸せ論語ってるみたいで恥ずかしくなってきた。どうかもう少しおつきあいを。

流されて選択していくことは悪くない。その結果自分の考えが変わっても、別に恥じゃない。でもなんかモヤッとするのは、そうはいっても流されてばかりじゃ、つまらなかったりするんだよね。なんかさっきまでと逆のこといってるような気がするけど、要は熱くもなく冷たくもないちょうどいい湯加減でいきましょうということなのだ。

偶然いいものに出会うこともあるんだけど、結局のところ、棚にあるものを選んでるだけじゃ飽きてくる。人が選んでくれたのものが、自分にすっぽりはまることは少ない。

そういうときは、ちょっとその枠から飛び出してみることが必要なんだろうな、と思う。コンビニの棚にいつものお菓子しかならんでなくて、別のものが食べたいなと思ったら、カールをネットでポチってみるとか。「つまらない」を「おもしろい」にするためには、「どうやればおもしろいんだろう?」と自分で考える。そして行動に出ることが大切なんだろう。いや、自分でもめんどくさがってできてないけど、多分そういうことだと思う。

流されて生きても大丈夫。でもそれだけじゃつまらないので、おもしろくするために考えること必要。LED電球勧められるまま買ってもいいけど、何か疑問を持ったのなら、そのときはWEBで調べてみると面白いことに出会えるかもしれない。

真剣に考えてみること必要。でも世の中の全部のことを考えるのは無理。自分から遠い世界のことを考えすぎない。ネットで膨大なニュースを見るようになって、全部が自分と関係あるように思うけど、多分9割くらいは自分と関係ない。いや、大きな世界に眼を向けることも必要なんだけど、少なくとも全てのことを理解するなんて不可能だと自覚しておくべきだろう。

膨大な情報はたくさんの価値観となって「流されるんじゃない」「自分で考えろ」っていってくるんだけど、そんな声に惑わされず自分の周りにある1割の関係あることを守るのが、「幸せ」というものかもしれない。多分そうやって「幸せ」を守って生きていくのが、9割の自分と関係ない世の中の問題にもつながっていくことだと思う。

ちょっと話が抽象的で、説教くさくなってきましたね。はいこれで締めます。文章がユラユラしてるけど、多分、生活ってサーフィンみたいなものかもしれない。

波の流れに乗る。ずっと波を待ってるだけじゃ楽しくない。無理に波に乗ろうとするとかえって流される。うまーく波をよんでボードに乗ったときに楽しい。

考える、でも考えすぎない。そんなうまーくバランス取って楽しく毎日おくりたい、と思う。
とりあえずカールを食べるために行動してみるか。

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