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きよぼんの映画に「は」いろいろある その1 音楽に関する雑感

2017/07/31 20:57 投稿

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きよぼんである。今回から映画に関するあれやこれやを書いてみたい。一回目は知識がないのに音楽の話。こう思うんだけど、それがナゼか説明できないという中途半端な話しからスタート。


@シリーズモノの音楽には魔力があるのだ


伝説の旧三部作の続編として、22年の時を経て公開された「スターウォーズ/フォースの覚醒」。旧シリーズを製作したルーカスフィルムがディズニーに買収されたこと、ジョージ・ルーカスが今後は作品に関わらないと発表されたこと、J・J・エイブラムスがプロデュースに参加すること、などなどから「大丈夫か?」と不安視されてきた作品である。しかし、晴れて公開となった2015年12月、映画館でおなじみの三角形に流れていくメッセージと共に流れた「スターウォーズのテーマ」をきいたとき、その音楽に誰もが心躍らせたはずだ。そしてこう思ったのではないか「やっぱり、これがスターウォーズだぁあああ!」と。


まだ本編は1分もみていないのに。


シリーズモノの名作映画の音楽には魔力がある。ゴジラ、ゴーストバスターズ、スタートレック、ミッション・インポッシブルなどなど、あげていけばキリがないが、テーマ曲が流れるだけでお客さんの心をグッとつかんでしまう。登場するだけで思わず拍手をしてしまうスターのようなものだ。スターが何もしないでもお客さんを盛り上げられるのは、目の前に現れることによってかつての楽しかった時間の記憶が甦るからだろう。名作映画の音楽も同じく、耳にするだけでお客さんを甘い感傷に浸らせる。その曲を聴いていた頃の思い出と体験は自分の一部となっているからだ。曲を聴くことは耳に入る楽しさだけではなく、自分の内面の大切な場所に、そっと触れられるような心地よさを感じてしまうものである。




じゃあ昔の記憶にアクセスできるからなのか、というとそれだけではない。旧作を観てるときに流れる音楽だけでなく、さきほど例に挙げたスターウォーズのように、新作にお馴染みの曲が使われても、やっぱり気持ちが高ぶるのだ。これはきっと過去から未来へ向かうという継承が実現されること、これからの希望がみえるからでないか。


つまりは自分の体験から「子供」が生まれたように感じるからだと思う。だから、多少登場人物のルックが違っても、設定がちょっと・・と思っていても、こんな解釈許せねー、と怒っても、お馴染みの曲が流れるとなんだか許してしまう。なんか似てないし、考え方も違うんだけど、やっぱり血のつながりはあるんだな。というようなものを音楽を聴くと感じさせてくれる。ギュっと過去と未来をくっつけてくれる感覚があるものだ。


なぜ音楽にそんな効果があるのかはわからない。映像や台詞にないとは言わないが、音楽だけはなんだか別次元で人間の記憶に触れて、幸せな感情を引き出してしまう。ほんとに音楽は不思議な力をもっていて、魔力と呼べるほど強力な魅力をもっているものだ。


@音楽を変えてみると

それほど人の心を虜にしてしまうお馴染みのテーマ音楽は、ときには作品にとってマイナスに働くこともある。たとえばリメイク作品などの場合、新しいことをやろうとしているのに音楽でイメージを持たせてしまったために、お客さんは新しいことに目を向けてくれないことがある。あそこが違う、ここもイメージじゃないと言い出す。「やっぱりお父さんのほうが華があった」とか言われる子供の二世タレントのようだ。音楽が作品間の血のつながりを感じさせる分、損をしてしまう。


じゃあどうするのか?音楽を使わない、変えてしまう、という手がある。それほどシリーズ定番の音楽が人のイメージを決めてしまうなら、使わなければいい。親が歌手の二世タレントが、俳優になって別の道を進むようなものだ。これまでの遺産はあまり使えないが、新鮮な目でみてもらえるというメリットがある。しかし、音楽を使わない、変えてしまう、ということでイメージを一新できる場合もあるが、うまくいかない場合も少なくはない。


音楽を使わない、という最近の例で言えばキューティハニーのリメイク作となった16年公開の「CUTIE HONEY -TEARS-」が挙げられる。キューティハニーのテーマ曲といえば、ポップなメロディと「ハニーフラッシュ!」と言うサビのかけ声が耳に残る広く知られた名曲である。「CUTIE HONEY -TEARS-」では、知名度の高いこの曲を前面に打ち出さず「BELIEVE」というオリジナル曲をメインテーマに持ってきた。おそらく、キューティハニーのお馴染みのテーマが流れることで「まーたリメイクか」という感情がお客さんに沸くと宣伝側は考えたのではないか。そこでCMや予告にオリジナル曲を持ってくることで、イメージの刷新をはかったと推察する。


その考えは間違いではないが、結果として失敗ではなかったか。もちろん「CUTIE HONEY -TEARS-」の興行成績が伸びなかったのが、メインテーマの差し換えだけにあったとは言えない。けれど少なからずお客さんの足を遠のかせたように思う。




テーマ曲を差し替えたことで「ハニーの新作?なんだこれ?全然イメージ違う」という、お客さんの感情をさらに離れさせてしまったと思う。もし、これがキューティハニーのテーマ曲をガンガンにかかけていたら・・・「なんか違うけど、やっぱりキューティハニーだ!」とお客さんは注目してくたのではないか。もちろんこれは妄想の結果論にすぎないけれど。しかし、反対の例で言えば「ゴーストバスターズ」の新作は、あのテーマ曲を宣伝でかけまくったことが、旧作のファンを呼び込んだと思う。でも音楽を使わないという例をもうひとつあげると、「シン・ゴジラ」は予告でゴジラ映画の音楽の代名詞・伊福部昭さんの曲を隠すという手に出て成功した。そう考えると・・・うん、やっぱり結果論かも。


まあしかし、音楽を使うと使わないのどちらがいいかというと、お馴染みのメインテーマがある場合やはり使っておいたほうがお客さんを引きつけるための「保険」になることはたしかだろう。


音楽を変える、ということが作品全体に影響があったのは「あぶない刑事」シリーズだ。元になったドラマ版と、初期の映画3作

には共通の音楽が使われているが、これがどれも名曲揃い。インストゥルメンタルの曲もさることながら、力強いボーカルによる英語歌詞による楽曲は、作品がもつスタイリッシュな世界観を見事にサポートした。


しかし、第4作「あぶない刑事リターンズ」から初期の音楽は一部を残して使用されなくなり、新しい曲に入れ替えられた。この作品以降は毎作品ごとに新しい音楽を採用していく形となっている。この4作目以降は「コメディの要素が大きくなった」「ストーリーが大かがりすぎる」など、「これ、なんか違う」という違和感をもっているという意見が少なくない。前作から7年の時間をおいてシリーズが再開されただけに、様々な諸事情からキャストやスタッフの変更があったりと、作品を取り巻く環境が変わったことも原因だろう。それに加えて初期の音楽が変わってしまったことも大きかったように思う。もちろん、制作者側としては新しいことにチャレンジしたことは過ちではないし、4作目以降も充分に面白い。しかし、4作目以降の音楽は、聞き慣れた初期の音楽のインパクトを越えられなかった。あのまま初期の音楽を生かす方向だったら・・・うまく作品イメージを保てたのではないかと悔やまれる。


でも、ネットで「あぶない刑事」の初期作品を観た若い子の意見をみると、初期の音楽は「古臭い」と感じてる人が多い。80年代バブルの匂いがするんですって!やっぱりおっさんの郷愁なのか。これも結果論かも。




「あぶない刑事の初期の音楽」と、一括りにしているが、同じ曲がずっと使われてきたわけではない。最初のドラマ版から映画第三作まで、結構な数の曲が入れ替わっているのだ。むしろリアルタイムで観ていた当時は「今度はどんな曲が使われるんだろう」という新しい曲への期待すらあったと思う。なので、問題は単純に曲が入れ変わることではない。じゃあ何かと言うと、4作目以降と初期とでは、何か統一されたイメージがのようなものが変化してしまっているように見えるのが原因だろう。わかりやすい違いで言えば、4作目以降は英語歌詞によるボーカルが入ってる曲が少なくなったというのはあるけれど、それだけではない。自分の知識では言葉にできないが、初期で一貫されていたイメージから何かが違っている。ほんと音楽って難しいもんである。


「曲が入れ替わっているが、イメージは統一されている」ということで言えば、16年に新作が公開された「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズについて触れておきたい。


@熱量を分けるもの

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」はマーベル製作のスペースオペラ。物語の主人公はスターロードこと、地球人のピーター・クイル。彼は少年時代に、肌身離さず持っていたウォークマンと一緒に宇宙人に誘拐されてしまう。大人になった今もピーターはウォークマンで曲を聴いていて、映画中の音楽はこのウォークマンから曲が流れているという形となっている。使用されているのは70年代から80年代のヒット曲で、歌詞やメロディが映画の展開とシンクロするのは本作の大きな魅力のひとつだ。


「wowowぷらすと」というストリーミング番組がある。ニコ生などで放送中で、タレント、評論家やライターといった人達が映画や音楽について語る番組だ。この番組の中でも「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は2回に渡って取り上げられた。


http://st.wowow.co.jp/detail/5148

http://st.wowow.co.jp/detail/8065


このときの番組の動画を観てもらうとわかるが、出演陣がとにかく熱い!


「100年に1本の名作」「120点満点」「ぐっと心をつかまれた作品」

などなど、大谷ノブ彦さん、花くまゆうさくさん、添野知生さん、松崎健夫さんといった人たちが、顔をほころばして手放しのほめようなのだ。


いや、自分も「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は大好きなんだけど、出演陣の熱量には押されるばかり。どちらかというと第2回の司会を務められた映画評論家・中井圭さんの「85点の映画だけど、120点というスペシャルな作品だとは・・・」という発言のほうに納得がいく。これはおそらく先に挙げた4人が、この映画に使われた70年代~80年代の曲を体験として聴いた世代であり、彼らより年下の中井さん、そして洋楽をあまり聴かなかった自分のような人との差が、語り口となって現れたためだろう。音楽はその人の個人的体験にアクセスして感情を揺さぶる。




もちろん「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は音楽だけの映画ではない。映画としても優れた作品であることは、評論家である添野さん、松崎さんの両氏が解説されてるので、番組のほうを是非ごらんいただきたい。そしてもう一度書くけど、自分もこの映画は、音楽うんぬんを抜きにしても文句なしの名作で、個人的に大好きである。


つまり、「好き!名作!」という点は一致してるが、語る熱量に大きな開きがあるということだ。その熱量を生み出すのが音楽である。人をとてもエモーショナルにしてしまう。


「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は17年に続編であるシリーズ2作目「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス」が公開された。1作目のラストでクイールは新しいテープを手にする。2作目はこの新しいテープから曲が流れていると言う形で、同様に70年代から80年代の曲が映画音楽として使われている。2作目も好評だったようだ。が、これは音楽面で言うと、曲は全て入れ替わっているが、同時代の曲ということで1作目とイメージが統一できていたからではないだろうか。


2作目をご覧になった方はわかるが、ストーリーの中でウォークマンはなくなってしまい、クイルが音楽を聴く方法は変わってしまう。時代的に新しい道具を手に入れるのだ。もしかして3作目では70年代~80年代以外の近年の曲が流れるのか・・・!?そうなるとしたら、統一されたイメージが消え去るという音楽的な影響を制作陣はどう料理していくのか。観客の反応はどうなるのか。3作目がとても楽しみだ。もちろん、音楽のイメージが今まで通りでも全然構わないんだけど。


@冷静に「感情的である」と考えてみること

2016年の邦画は大豊作の1年となった。「シン・ゴジラ」「この世界の片隅に」などのヒット作や話題作が目白押し。その中でも際だったのが、250億円という興行成績をたたき出した「君の名は」だろう。「君の名は」の特徴のひとつは、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーもびっくりの、観た人の満足度の温度差。もちろん映画の評価や感想っていうのは絶賛と酷評が出てくるモノだけど、まあ「君の名は」はちょっと珍しいくらい極端だったように思う。


「大好き!感動した!」と涙を流さんばかりに熱く語る人もいれば、「なんだこれ?どこがそんなに面白いのか」と嫌悪感を隠さない人もいた。どこぞの映画監督が叩いたかと思えば、実写アレルギーだと反論するアニメファン。世代論や、SNSの効果などいろいろと喧々ガクガクの意見が出された。


でも今になって考えてみると、この映画を観て感動するかどうかって


RADWIMPSの音楽が気に入るかどうかなんじゃないの?


というのが単純で最大のポイントのように思う。この映画の特徴である華麗な映像美術とRADWIMPSの音楽のマッチング。ここが気に入る気に入らないの差が、ほぼ印象の全てを決めているのではないか。


もちろん「君の名は」は音楽だけの映画ではないし、「地震」や「記憶」といったテーマが深く人に届いたことは間違いないだろう。しかし、みんながこの映画を語るとき、他の映画ではなかったくらい、あれだけ感情的になったのはなぜか。それはきっと音楽だったんじゃないかと考える。




心が震えてしまった人は誰かに伝えようと熱く語るし、震えなかった人にはそういった気持ちがわからない。やがては口論になったりする。映画を評するとき、感情的になってはいけないと、理屈で語ろうとする。自分は感情だけで言ってるんじゃない、ちゃんと論理的に説明できるんだと、感情に無理になんとか理屈をつけようとして、こじれた言葉をつかってしまうことがある。変な言葉を引っ張ることになっていないか。結論から考えを始めてしまったりしていないか。感情を正当化するために、相手を攻撃するためだけに理屈を利用していないか。人に言葉を投げかけるときは注意が必要だ。


だから映画を語るならば、いったん自分は「感情的になってる」と冷静に認めることではないか。そして感情的になってるなら素直に「なんかわからんけど感動しました!」って言ってみたり、書いてみればいいと思う。冷静に理屈にしゃべらない人はアフォ扱いされる世の中だけど、自分で感情を認めてから考えたり、理屈を追いかけたりすることが大切。感情のために結論ありきで理屈をつけるのはしてはいけないことだよなあ、と昨年からの「君の名は」を巡る動きをみて考えた。


まとまりがない雑文になってしまった。なんだこれ6000字とか・・・

読んでくれた人ありがとう!!


いずれにしても音楽は自分が映画を観るときの重要ポイント。しびれる映像にカッコイイ音楽があれば、それだけどOKだったりする。評価がイマイチの公開中の映画「メアリと魔女の花」も、エンディング曲のイントロが流れるだけで、とろけるくらい気持ちがいい。映画と音楽の魔法のような不思議な体験をこれからも味わっていけたらいいな。


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