あーでもなければ、こーでもない ブロマガ版

オレ的ゲームワールド 軽井沢誘拐案内

2016/04/23 20:19 投稿

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@アドベンチャーゲームへの憧れ
1985年。ファミコンブームの真っ只中、完全に波に乗り遅れた中1の自分がいた。クラスの連中はマリオだゼビウスだと盛り上がってるのに、全く話に入っていけない。でも別にどうでもよかった。当時のファミコンのソフトはアクションゲームばかりで「あんな反射神経だけのゲームをプレイしてもつまんねーな」と、負け惜しみでなく本気で思っていた。若さゆえである。

しかし、ファミコンには興味がなくてもパソコンには興味津々だった。聞くところによるとゲームだけのファミコンとちがって、パソコンは自分でプログラムを組めるとか面白そう。それにパソコンではアドベンチャーゲーム(AVG)と呼ばれるものが流行ってるらしい。なんでも自分は物語の主人公になり、いろんな謎を解きながら、行動の選択によって物語が変化していくという。なにそれ、すごい!当時の自分はマンガやSF小説、江戸川乱歩なんかを読んでいた読書少年だったので、なおさら物語の主人公になれるという夢みたいな話に興奮したのである。こうしてファミコンには興味がなかったが、パソコンのAVGには並々ならぬ憧れを持ちながら中1時代は過ぎていった。

@なぜこのソフトを買ったのか



中2になった1986年の夏休み、親にパソコンを買ってもらった。PC88FRである。家に届いた日「ちゃんとパソコンの勉強するからねー」と言った次の日には、現金書留でゲームソフト、あのドラクエの堀井雄二さんが開発した「軽井沢誘拐案内」を注文していた。

なぜこのソフトを購入したのか、理由をよく覚えていない。広告を見ると「ウイングマン2」や「北斗の拳」など、アニメグラフィックを使用したAVGが面白そうに見えた。だけど、「ライン&ペイント」方式で絵が描かれる「軽井沢誘拐案内」のほうを選んだのだ。

当時の自分には「アニメ絵は邪道。伝統のライン&ペイントで描かれたAVGこそ本道」という、よくわからないこだわりがあったのを覚えている。これも若さである。そして広告の「あの堀井雄二が華麗に放つロマンティックアドベンチャー」とかいう言葉も決め手だった。といっても、ゲーム音痴だった自分はドラクエも知らず、なおさら堀井雄二という名前を知るわけでもない。「あの」と言われても「どの?」という状態だったのだが。広告に名前がのってたから、きっとすごい人だと思ったのだろう。若さはホント怖い。

@めくるめく時間



「軽井沢誘拐案内」が届いたのは3日後くらい。いよいよ憧れのAVGをプレイしてみた。これがAVGか!楽しくて楽しくて、もうドバドバ脳汁出まくりで遊びまくった。毎日、夜の10時から朝の4時までプレイしていたのだけど、ほんと一瞬のように感じた。

なぜ夜だけ遊ぶことにしたのかというと、楽しすぎて現実へ帰ってこれないんじゃないかと本気で思ったので、意識して抑えたからである。また、パソコンを勉強すると言った手前、親が寝てからじゃないと、気まずくて遊べなかったという事情もあった。そんな日が何日も続いた最高の夏休みの思い出である。

@ストーリーの見せ方がうまい
さて、ではこのソフトの魅力をみていくことにする。
軽井沢誘拐案内は、「見る」「調べる」などといったコマンドを、キーで選択するコマンド入力式のAVGである。ストーリーは主人公(名前は自分で入力できる)が恋人・久美子の別荘に招かれるところから始まる。別荘についてみると、久美子の妹が買い物にいったまま帰ってこない。誘拐されたんじゃないかと警察に相談するが、家出でしょう、しばらく様子をみてみてはどうですかと言われて、とりあってもらえない。渚が心配な二人は、自分たちで探すことにする・・こうして往年の角川映画的物語がAVGとして展開していくことになる。

渚の行方を追っていくと、山道で彼女の財布が落ちている。山道には争った後がみつかり、池のベンチには謎のタロットカード。そしてある人からは渚がXXと会っていたという証言。流れるように、めくるめくストーリーが進んでいく。

このストーリーを転がしていく展開が非常に秀逸なんである。メッセージで情報を提示して、その情報に従ってプレイヤーは次にやるべき行動を理解する。ひらめきによる小さな脳の快感
が連続して起きる感じがいい。ゲームでストーリーを語る場合の作劇法がしっかり作られていると言って良いと思う。

小説や映画、ドラマなどには一定の作劇法がある。たとえば「言い方でキャラクターを印象づける」「登場人物の欲求をしっかりと述べておく」「最初の事件をなるべく早く起こす」などである。もちろん、AVGだって物語であるから、こういう従来の作劇法も使われる。その上でゲームという表現における作劇法、たとえばヒントの出し方であったり、メッセージに注意を引く一文をいれおくという工夫が、巧みに配置されているのは見事である。次へ次へと行動を起こさせるメッセージの配置が本当にうまい。初期のAVGにして、この気配りとは堀井雄二恐るべしだ。

@「謎解き」は体験なのだ!



メッセージを考えて行動していけば、サクサクとゲームは進んでいく。いや、コマンド選択式のゲームなので、ぶっちゃけ何も考えずにコマンドを順番に総当たりしていてもゲームは進んでしまう。しかしゲーム中何カ所か、ただコマンドを押すだけでは先へ進めないようになっている。「謎解き」をする場面が出てくるのだ。

「謎解き」とはいろんな意味を含み、人によって解釈がちがうこともある。この場合どういうことを指しているのかというと、ゲーム中の情報を整理して、正解を答えないと先へ進めない仕掛けのことだとしておく。

ゲーム中の例をひとつ挙げると、「しめあげる」というコマンドがある。これはゲーム中の登場人物が、何か矛盾した発言をしたときにと問い詰めるためのもの。「そのXXXってXXXよね?」と登場人物が言ったとき、しっかりとゲーム中の情報を理解して推理すれば「あれ?なんで、この人がXXXをXXXって知ってるんだろう?」と気づく。そこですかさず「しめあげる」コマンドを使えば、相手に力尽くで迫り、知ってることをしゃべらせ、先へ進むという仕掛けになっている。

このような単純なコマンド総当たりだけでは進めない「謎解き」があるのは面白い。なぜならゲームというメディアの醍醐味のひとつは、プレイヤーがモニタの中の世界に参加できるということにある。「謎解き」があると、ただ外側からストーリーを眺めるだけでなく、プレイヤーとして内側に入ってゲームを「体験」することになるのだ。この「体験」の気持ちよさはゲームというメディアの特性を生かした感覚と言えるだろう。



@メッセージが面白いのだ!
もうひとつ言うとこのゲーム、メッセージが面白いのだ。それもメインのストーリー部分以外の無駄な部分が凝っている。コマンド選択式ゲームというと、押したコマンド全てがストーリーを進ませるわけではない。システム上、むしろ押したコマンドの9割以上が無駄打ちに終わる。「見る」「調べる」というコマンドを何度も何度も繰り返して、そして何度も何度も「何もありません」「何もみつかりません」というメッセージを繰り返し見ることになってしまう。しかし、このゲームはそういう無駄なメッセージにも気を配っているので楽しめる。たとえばゲーム序盤では、主人公と一緒に行動する恋人の久美子が、ゲーム中のメッセージの語り手となっている。この久美子が、無駄なコマンド入力の反応で、気の利いたメッセージをしゃべってくれたりするのがいい。

ゲームはメインのストーリーも大事だけど、何度も見るこの無駄メッセージがゲーム中の空気作りのひとつになっていることは間違いない。たとえば小説でも、メインストーリー以外の、登場人物同士のちょっとした会話や、ウンチクがその小説の面白さを支えていたりするものである。このメッセージの練り込みが、ゲームの演出として、面白さの土台をつくっているのだろう。

@光る堀井雄二のセンス
その昔、AVGはコマンド入力型が主流だった。「ミル テレビ」「シラベル ツクエ」など、プレイヤーが思いついた動詞と名詞をキーボードで入力する。その動詞や名詞を探すことがゲームの要素となっていた。しかし、このシステムはなかなかとっつきづらいものがあったのも確かである。その後、85年あたりから、使える動詞や名詞をあらかじめ用意されたものから選択する、コマンド選択式のAVGが登場し始める。コマンド選択式AVGはシステムがなじみやすい反面、コマンド入力型AVGのファンからは、「このシステムではコマンドを順に選んでいくだけで、簡単にゲームが解けてしまう。ゲームにならないのでは?」と言われたものだ。

そんな意見に対して、早くからコマンド入力AVGに注目していた堀井雄二は「ゲームが簡単に解けてしまうなら、何度も遊びたくなるようなストーリー、シナリオを用意すればいい」、という発想をもとに、コマンド入力型AVGに適したゲーム作りを考えたという。

ただし、いわゆる「ストーリーがいい」というのは、ストーリーが「いいだけ」ではゲームにならないのである。ゲームという表現に、いかにマッチしているかが大切なのだ。

これより後のCDROMの時代あたりになると、一時期のAVGというジャンルは、派手なアニメーションを入れて、ストーリーをみせることに重点を置いてゲーム性を省くようになっていく。ただボタンを押していくだけでストーリーが進んでいくようなソフトが登場してきて、「これなら映画や小説のほうがボタンを押さない分楽でいいんじゃない?」という皮肉を言われることにもなった。これは確かにその通りで、ゲームにはゲームならではの表現が必要なのだ。

「軽井沢誘拐案内」をみてみると、ここまで書いてきた、メッセージによる物語の運び方や、謎解き、凝った無駄メッセージなど、ゲームで物語るという表現がいっぱい詰まっている。このセンスは本当に素晴らしい。

ゲームに理解や知識がある人には、今回の指摘は「この手法とかって、ゲームで当たり前の話じゃない?」と思われたかもしれない。しかしこれはゲーム制作がトライアンドエラーを繰り返して手法を確立させた後の話ではない。黎明期につくられたゲームが、大事なポイントを、すでに押さえていたということだ。当時からゲームでストーリーを表現するということが、どのようにあるべきか、堀井雄二は気づいていたのだろう。流石という他ない。

@出会えたという幸運
そんな名作の「軽井沢誘拐案内」にどんはまりする日々は、8月のお盆あたりから始まり、5、6日くらい続いただろうか。途中でどうしても進めなくなってヒント券を送ったりしたので、エンディングを観たのは夏休みの終わり間際だった。

この夏休みの楽しさは今でも忘れることがない。そして「なんてコンピュータって面白いんだ!」という思いは、その後の自分の人生で感動や好奇心や楽しさに出会うきっかけとなった。親にはウソついてゲームやってたけど、このときの体験がなかったら、パソコンは早々とホコリをかぶり、後のお仕事にもつながらなかったかもしれない。たかがゲーム、されどゲーム。あのとき最高に面白いゲームに出会えたことは、本当にラッキーだった。

蛇足承知でもう少しだけ書くと、実を言うと自分がプレイしたAVGの中で「軽井沢誘拐案内」が今でも一番面白いAVGだと思っている。でもやっぱり初体験のソフトだからそう思うだけかなー、と考えていたけど、今回この文章を書くために、このソフトについて再考してみて、やっぱり名作であることに間違いはないと再確認でできた。もちろんひいき目あるけど、冷静にみてもやっぱりよくできた作品ある。でもまあ、ちょっとベタボメしすぎた感もあるけども。そこは「若さゆえ」甘めにみていただきたい。

あのときこのゲームに出会わなかったらどうなっていたのだろう。別の道もあったかもしれない。でも、今の道でもそこそこ楽しいことがあったので、まあいいか。

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