この記事は、日本への【解答】(前編)の続き記事です。 http://ch.nicovideo.jp/a-complex/blomaga/ar288182
前回記事を読んでいない方は、まずそちらをお読みください。
Q 道州制
A
行政単位の大小に、正解は無い。
共有地のメリットがあれば、共有地の悲劇もある。
プラレールを共有すれば、より大きなプラレールが出来るが、
利益誘導による不利益も、より大きくなる。
我田引水は、別に日本だけのことわざでも無いのだ。
受益者負担の原則から外れるほど、汚職は多くなりやすい。
これは、一度すべてを国有化した、中国や旧ソ連の例を見れば明らかだ。
たとえ、天から降ってきたお金で事業を実施するにしても、
その恩恵は各人各地域でバラツキがあり、場合によっては、
不利益のほうが大きい場合もあるカーズ(Route 66)は名作。
もちろん、実弾(現金)も含めた利害調整は可能かもしれない。
けれども、はじめから、利害衝突の起こりにくい、
適切な行政単位でそれを実施するほうが、よっぽどロスは少ないだろう。
現在の日本は、国、県、市町村の3段階で、徴税や首長の選出がなされている。
それはそれでよい。
しかし、たとえば地元発の萌え&ゆるキャラ、ご当地アイドルなどを使い、
地域主導型の町おこしやイベントなどを行う場合、
いきなり市や県といった単位で動くのは、ちょっとやりにくい。
(大きな市ならば尚更)
キャラがヒットするかどうかは、ファンや作者などの外部要因が大きく、
どうしても偶然に付き合う必要があるからだ。
それゆえ、こうした確率的事象を扱う際には、
小さな単位で出発してから、活動範囲を拡大するほうがよい。
もちろん、なんでも全力でやることは大切だが、
いきなり市や県から高レベルスタートしてしまうと、
その後に起きるファンブルを愛せない可能性がある。
一人のキャラにとって、最も恐れるべきことは、冒険する心を忘れてしまうことだ。
人の勇気が試されるのは、英雄がドラゴンと戦うときばかりではない。
グローバルだ何だと言われても、低レベルで小さな村からスタートし、
ダイスの女神に翻弄されながら成長していけるように、
きちんとステップを用意してやりたい。
現行の「国、県、市」には不満はない。
業務の一本化も、可能であればするべきだろう。
しかし、一本化の名の下に、
それまで培ってきた県や市と言った枠組みを無くす事には反対である。
そして可能なら、学区や区などのより小さな単位で動ける職員や、
さらには近隣都道府県との交流の機会が増えるように、
道州や地域自治区や特別区設置がなされることを期待したい。
(注:2013年から、都のような特別区の設置が、200万人超の県で可能になった)
以上から、
「国、道州、県、市、自治区、学区・・」などの行政単位に対しては、
『五重六重よろこんで』というのを、私の結論としたい。
Q 経済
A
景気に関して言えば、結論は明快である。
すなわち『円安なら好景気』でおおむね終了する。
2002年からリーマンショックに至るまでの、いざなみ景気も、
金融緩和による円安が無ければ、おそらく実現しなかったはずだ。
この小泉時代の好景気について、以下の批判はおそらく正しい。
「大して成長してない」「可処分所得が減ってる」「隣国はもっと成長した」
しかし、円高で国内工場がどんどん縮小、閉鎖される状況よりは、
この時代のほうが、末端労働者にとってもマシであっただろう。
もちろん、イオンやユニクロ、ワタミなどを助長させた規制緩和が、
一体誰のために行われたのかは、最後まで分からなかったが・・
現在、野党各党は必死にアベノミクス批判をしているようだ。
そりゃ私だって、あの自民のアベノミクスを無条件で支持するほど、素直な性格ではない。(改憲案は論外として)
しかし、プラザ合意以後の2つの円高が、どれほど日本経済を毀損したか考えると、
いまさら野党が金融緩和を否定するのは、あまりに厳しい。
とくに、あの前政権与党は、なぜあそこで論陣を張っているのだろうか?
日本破●政党とか売●政党とか言う以前に、自らの党を滅ぼしたいのだとしか思えない。
まあ、いろいろ大人の事情があるのかもしれないが、"大佐"たる私には関係が無い。
「1ドル100円付近で、無理なく為替を安定させること」と、
「それ以外の規制緩和その他には手を出さない」ことを最終回答としたい。
Q 選挙制度
A
選挙制度に言及すると、よくセットで引き合いに出されるのが党議拘束である。
(党議拘束・・・党がその所属議員に、法案等への賛否を強制する圧力のこと)
『党議拘束は問題だ』とする人は多いが、ご存知の通り党議拘束は法律ではない。
党則として明文化する場合もあるが、そうした規則の有無に関わらず、
党は議員に有形無形の圧力をかけることが可能である。
結局のところ党議拘束は、「党と議員個人の力関係」を示すもの。
たとえば、日本の有権者全員が、政治マニアの政策通(w)となり、
議員個人の政策を逐一吟味するようになれば、党議拘束は自然と弱くなるだろう。
しかし、党に吹く風でオセロのように選挙結果が決まる、日本の政治状況では、
党議拘束が強い力を持つのは必然だ。
選挙制度について、小選挙区制が、そうした傾向を助長しているのは確かだ。
死票よりも、棄権&白票が多くなるであろうこの有様では、たしかに、
以前の中選挙区制などに戻すほうがマシだろうと思う。
また最近の多党乱立について、最近ニワカで知った話で言えば、
かの修羅の大地ソマリア発の民主国家ソマリランドでは、
議員を選ぶ前に、党を選挙で3つに絞る制度になっているそうだ。
これは結構面白いなと感心してしまったが、ソマリランドにせよ日本にせよ、
こうした選挙制度は、各国の政治状況を反映したものにならざるを得ないわけで、
万能の特効薬を期待してはいけないのは万国共通である。
この前提を踏まえたうえで、極々私見を述べれば、
「裁判員裁判のような形で、(1人/20人くらいで)預託選挙を行う」
・・有権者一人当たりの候補者選びの負担を軽減し、
議員個人にも焦点を向けさせ、1票の質を高める。
「表決権を持たない予備議員を設け、その中から本議員を更に選挙で選出する」
・・風頼みの議員をふるいにかけ、比例の欠点をカバーする。
みたいな方法が面白いんじゃないかと思っているが、
"陪審員の買収のようなことが起こったらどうするのか?"とか、
"現行制度との食合せはよいのか?"とか、
そういう諸々のパッチ当て作業を含んだものでもないので、
あまり偉そうなことはいえない。
また、理系の発想としては、陶片政治でも何でもやって、負荷試験、
ストレステストに耐えた者だけが議員になって欲しいと考えてしまうが、
良識ある方々の意見を伺う限り、どうやらそれは難しいようだ。
日頃から減点方式で評価、考査、採用され、
ふるいにかけられることが常識の、市場サービス経済下の一般庶民としては、
なぜ議員だけがそうした評価から免れ得るのか・・という気分も無くは無い。
(とくに、前某都知事選挙や9・11直後の米大統領選では、そんな風な気持ちが募った)
だが、政治家になりたい人間の絶対数の減少は、
現在の少子化よりも深刻であることを鑑みれば、
資質に欠けた議員も含め、国民と一緒に仲良く学ぶ形で、
可能な限り退学者を避け、議員の数と質を保っていくしかないのだろう・・
(あのニコ生クルーズのようには、陶片政治は機能しないのだw)
政治家になりたい人間が少な過ぎれば、どう転んでも究極の選択を迫られる以上、
まず、若者の政治意識を高めなければならない。
そんなわけで、
「全家庭に一卓『ディプロマシー』を支給し、24時間缶詰プレイをすることで、
政治参加の楽しさと泥沼感を経験させる」ことを、わたしの最終結論としたい。
Q 外交
A
日本の外交は、左右両面から、土下座外交、弱腰外交などと揶揄されてきた。
しかし、歴史上、支配や従属の関係から自由であった文明などない。
奴隷だポチだ何だと言うが、
『ただ一人の主人であるスルタンの他は、全員が奴隷の国(byマキャベリ)』
であった、一大帝国も存在したのだ。
もちろん、自由であるに越したことは無い。
しかし、そのような帝国の下に生まれても、
もし君主が有能であれば、領民はそれなりの繁栄を享受できる。
逆に、もし君主があまりにボンクラであれば、
たとえ奴隷の身分でも、政治の実権を握ることは可能だろう。
自分や自分の国が、奴隷に該当するか否かは、
自分のチン●が実際にもがれてから検討すれば十分だ。
そして、もがれようがもがれまいが、
それは自分個人の持ち得る権力の大小とはあまり関係が無い。
いわゆる発展途上国にとって、
売国は雲の上の出来事や、ネタ消費の対象ではなく、身近な日常である。
そこら辺の小役人が、ただただ私腹を肥やすために、
地元の森林資源や地下資源を、海外にあっさり売り払う。
もちろん、その際起きうる国土の荒廃について、当局が責任を負うはずも無い。
日本は腰抜けの従属国家かもしれない。
しかし、同時に支配国家でもある。
だから私は支配をやめろとか、従属から逃れろと言うつもりは無い。
この種の支配や従属関係は、どこまでも相対的なものなのだ。
言葉の上で奴隷か否か二分法で定義することは、あまり意味が無い。
「ギブ・アンド・テイクの関係が好い効果を生むのは、
相手が絶対に必要としたものをギブする場合である」
(『海の都の物語5』塩野七生 p.79)
おそらくこれが、支配の本質である。
もちろん、そこに至るまでの過程で、
詐欺的手段や略奪的手法が用いられることはあるかもしれない。
むしろ、そういう場合のほうが多いのかもしれない。
・・しかし、どんな経緯を辿るにせよ、最終的に支配はこの形で収束し完成する。
奴隷が存在し得るのは、衣服を追い剥いだ後、食事を与える場合のみである。
全て奪えばそれは死ぬ。
ましてや、我々は紳士である。いろんないみで紳士である。
我々は手を触れずして、相手を支配する能力を持っている。
そんな我々にとって、衣服に触れずして食事を与えることなど、容易いことである。
相手を影から支配し、いつの間にか巣立たれる。それが神秘の国日本である。
・・何かやっぱりダメな気がしてきたが、ともあれ、外交関係において、
自らの支配力を確認したうえで、取引に臨むことは大切である。
あっても無くても何とかなるものは、たくさんあげても取引材料にならない。
TPPその他の具体的なトピックは、
ほかの記事でも言及する(した)と思うので、ここでは深追いしないが、
『相手が絶対に必要としたもの』がこちらにあるのかどうかは、もう一度確認しておきたい。
恩を仇で返されることなど日常茶飯事だが、
生命線を握っている限りは、裏切られることも無いのだから。
(関係ないが私は、ゲーム&二次元が無ければ生きていけない)
◆
では最後に。
今の日本を表すものとして、『閉塞感』なんて言葉がよく使われるそうだ。
しかし、日本の政治状況を表す言葉としては、こんな言葉は全くふさわしくない。
何せこの国では、あの鳩山氏でさえ、首相になってしまったのだ!
どう考えても起こりそうにも無いことが起こる、と言う意味で、
日本の政界は、あのカタンダイスよりデタラメで偏っていると言わざるを得ない。
こんな訳の分からない世界で、もし『閉塞感』を嘆くような奴がいたら、
「寝言は寝て言え目を覚ませ」と言ってやろう。(まさに『目覚めよ!』である)
今の政治について、いろいろ納得いかないこともあるとは思う。
しかし、個々の政策に賛成か反対かを問う以上に、
その状況をいかに利用してやるか、どう活かすか考える方が、面白いこともある。
人生はクソゲーとかよく言うが、クソゲーだってネタとして活かせば面白い。
政治という、ルール作りやフォーメーション設定に熱を上げるのも悪くは無い。
けれどやっぱり、ゲームはプレイして楽しむものだ。
そしてそれこそ、「生きる」ことであると宣言したい。
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今回は割愛したが、TPP、医療、教育、国防、エネルギー、改憲(w)その他についても、
もし万万が一希望等が複数あれば、記事を書こうと思う。
(面白さは保障しないし、仕事もあるので期限も保障できないが)
ちょっと長くなりすぎたが、それではまた次回。
よかったら、暇な時に他の分野も書いて下さい。特に、「教育」「エネルギー」あたりに興味ありますね。教育は、その国の未来を変えていくと思うし、エネルギーはここ数十年の重要なテーマだと思うので。