市長官邸出張所

卒業してもバカ

2014/03/07 20:08 投稿

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この文章は元サイトに2005年10月24日に掲載されたもので、オリジナルがかなりきつい表現を含んでいる為に検閲されている。


【重点】元サイトにおいてヒッピーという単語は転じて怠惰、無能、惰弱、非生産的といった意味合いを含む表現として使用されている。少し悩んだがここでもそのまま使用する。





 最近取りざたされている問題で、子供の学力の低下というものがある。だがそんなものよりももっと問題で深刻なことがあるが、皆揃って口を噤んでいる。成績がどうとかいう以前に、人としてどうという問題だ。電車の車内で化粧したり、一人で二席占領したり、(太ってて二席潰すやつも同罪)禁煙の看板の前でタバコすったり、ガムをところ構わず撒き散らしたり。これは本来、教わらずとも人間ならクリアできる課題である。つまり彼らに文明化された人間としての価値は無い。

 ではなぜこんな忌々しい世代が生まれてしまったのか。それは彼らの親の世代からだろう。親がヒッピーなら生まれてくる子供も同様になって当然なのだ。親の世代が、自由や権利を主張し、好き放題やってきた。自由とは何でもしていいこと、権利とは何でもやっていいことと、ヒッピー程度の脳みそならここまでしか理解できない。権利とは戦って勝ち取るものであり、自由とは自分に与えられた選択肢をその自由意志によって決定できる権利である。口当たりのよい、甘い情報だけを信じ主張して来た世代が親となり、その子供は何も知らない盲目のまま育つ。履き違えた自由と、誰も何も教えてくれない事に何の疑問も持たない裸の王様として。

 しかし親はどうか。己の愚かさ故に自らの無能に気付かず、子供の仕付まで学校のせいにしようとしている。これだけでも救いようの無い話だが、自分にできないことが、等しく裸の王様である教師にも教えられるはずが無い。結局子供はたらい回しのまま育ち、精神を幼児のまま肉体だけが肥大化する。彼らが禁煙という漢字が読めないわけではないだろう。それがどういう意味か理解出来ないのだ。その場所が禁煙に指定されている理由も理解できなければ、自分もその禁煙に指定された対象者であることも理解していないのだ。彼らはこれを、タバコを吸う権利があり、どこでタバコをすうかは俺の自由だ!と考えている。なぜなら彼らにとって、自由とは無償で与えられるものであり、権利とは生まれながらにしてもっているものであるからだ。

 これだけでもあほらしいが、国はさらに脳みその沸いた行動を起した。食育基本法である。詰るところ箸のage,sage,何をどう食べるかまで法律で定義しようというのだ。これは当然何処かで必要とされ作られた法律であり、無知蒙昧な国民が増えすぎたため物の食べ方すら分からなくなったのだろう。ゆとりの弊害で盲目で無秩序なDQNがさらに大量生産されるだろうから、今後この動向はさらに加速していく。詰め込み型締め付け教育は、こういった無知な人間も強制的に文明化させるという効果があったが、ゆとり教育はこれを容認しようというのだ。こんなバカな話があるだろうか。何も知らない、しないまま育った人間は成人すべきではないのだ。

 誰に人としての存在価値があるか、それは自らの力で立ち上がり、自身の能力によって生きんとするものにこそある。言うならば、頭の空っぽのまま育った連中と、そう育てて学校と責任のなすりあいをしている親はその価値が無いのである。親が子供を育てるというのは、何不自由なく成人させるのではない。食事の仕方すら法律で定義しなければならないような人々とそれらによって構成される国家にどれほどの価値があるというのか。


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