日本シーレーン問題研究会

大東亜戦争の激戦地「死んでも帰れぬニューギニア」

2013/11/13 17:18 投稿

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丸谷元人著「日本の南洋戦略」(ハート出版)より



パプアニューギニアは、極めて親日的な国である。

不幸なことに、その最初の関わりは「戦争」であった。

ここは、大東亜戦争で「最も過酷な戦域」と言われたニューギニア戦線の主戦場である。

東部ニューギニアだけでも16万の将兵が戦死しているが、その環境がどのくらい過酷であったかといえば、当時の日本兵が、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と恐れたほどだったと言えば、だいたいお判りいただけるかと思う。

その「歴史」を知らない限り、日本人としてパプアニューギニアを本当に理解することにはならない。

このニューギニア戦線では、陸軍の損害が非常に大きかったが、実は陸軍は、南太平洋で戦争をする気は全くなかった。

この地域での作戦が必要だと考えたのは海軍であり、ニューギニア・ソロモン戦線の戦いは、海軍が最初に始めたものの、途中で気がつけば陸軍の戦場に「すり替わっていた」というのが実情である。

海軍の作戦と編成を担当するのは、「軍司部第一部第一課」であるが、戦前、そこの課長だったのは富岡定俊である。

富岡は海軍大学校を首席で卒業し、終戦直後、ミズーリ号での降伏調印式にも出席した人物だが、開戦前の段階で、「対米戦争を行えば、連合軍は必ず豪州本土から反抗してくる、だからグアム、ラバウルと進出し、そこからポートモレスビーを攻略して、豪本土に上陸したい」と考えていたのである。

一方、ソ連しか想定していなかった陸軍では、あの広大な太平洋の島嶼地域で戦うなど、まともに考えたことさえなかった。

しかし、一端開戦となった以上、陸軍は行けないとも言えないから、急遽、上陸専門の精鋭「南海支隊」を編成し、海軍に付いてグアム、ラバウルと進んで行くのだが、当の海軍は、昭和
178月にガダルカナルの戦いが始まって以降、ニューギニアとソロモンの二正面作戦ができなくなってしまった。

つまり、陸軍を南の戦場に引きずり込んだ海軍は、その後ニューギニアの陸軍部隊への支援をほとんど行わなくなってしまった。

そして気がつけば、ニューギニア本島は完全に陸軍の主戦場と化していたのである。

これが「死んでも帰れぬニューギニア」の原点である。



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