日本シーレーン問題研究会

「日本の生命線」シーレーン(海上交通路/SCOCs)講座 第15回

2013/10/11 00:32 投稿

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「悪の枢軸:イラン」・・・実は「大の親日国」
アラビア海を挟んでオマーンの対岸に位置するのが、イスラム教シーア派のペルシャ人国家「イラン」である。ブッシュ大統領(ジュニア)の頃以来、イランという国は「悪の枢軸」などと呼ばれ、90年代以来、欧米メディアからは、「あと数ヶ月でイランは核武装する」などと煽られて来たが、今日に至るまでそれは実現していないようだ。こんな「悪役」を演じ続けて来たイランであるが、実はこの国は「大の親日国」でもある。この国の人々は、少し古い人なら、「かつて一番苦しい時に勇気を出して石油を買ってくれた日本」という事を覚えていて、日本人に大変感謝しているし、日本製品に対する信頼もまた、当然ながら絶大なものがある。こんなイラン人の親日感情を作り出したのは、一人の日本人なのであるが、その事は後述する。

この国は、日本よりもはるかに古い歴史と文明を持ち、7世紀にイスラムが流入して以降も、モンゴル帝国の一部になったり、ティムール大帝国の時代になったりと、この地域における権力構造は著しく変化して来た。中世の頃には、この地域での貨幣経済が著しく発達し、東西交易の中で極めて旺盛に繁栄した時期も長い。しかし、この国も17世紀ごろには英露仏ポルトガルなどの欧米列強に浸食され、おなじみの「何とか条約」という名の不平等条約をいくつも呑まされ、縮小して行った。

イランの石油を独占し、植民地化したイギリス
イランの石油を最初に発見したのは、イギリスであった。当時のイギリスは、ロシアとイラン一帯の支配権を巡って争っていたが、当時、石油の価値をほとんど理解していなかったイラン人の無知につけんだイギリス人らは、『アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)』を設立し、石油価格を一方的に決定する事で、一人莫大な富を稼ぎ出していた。もちろん、ロシアから変わったソ連もまた、イランの石油に目をつけており、北部に自らの息のかかった政権を樹立するなどの動きに出た。かつては、地域でもっとも栄華を誇ったイランの人々は、近代以降、こうして欧米列強に収奪され続けたのである。

イギリス領インドとソ連に挟まれていたイランは、欧州で第二次大戦が始まると、こんな両国からの圧力を交わすため、「それ以外の国」に接近するようになる。つまりドイツである。この事を危惧した英ソ連合軍は、1941年に共同作戦を発動、イランを攻撃した(イラン進駐)。「Operation Countenance、カウンタナンス作戦」と呼ばれたこの作戦の目的は、イギリスにしてみれば、莫大な利益を上げ続ける「アングロ・イラニアン石油会社」の権益を守り、また、イラン産石油がナチスドイツに渡る事を防ぐ事であり、ソ連にしてみれば、対独戦に必要な武器弾薬(英米より供与)を輸送するための通称「ペルシャ回廊」を防衛する事であった。この結果、イランは北部をソ連に、南部をイギリスに占領されてしまう。

植民地主義に対して立ち上がるイラン
そんな中でも、イランは第二次大戦後の独立に向けた地歩を確立して行く。米英ソの首脳が初めて一緒に集まった会談とされる「テヘラン会談」(1943年)において、イランは戦後の独立承認を取り付けたのである。しかし、イギリスやアメリカは、戦後になってもイランの石油権益を維持するために干渉し続けた。しかし、そんな英米の干渉に対して完全と「NO」を突きつけた人物がいた。民族主義者のモハンマド・モサッデグ(1882-1967)である。フランスのソルボンヌ大学から、スイス・ヌーシャテル大学に進んで法学博士を取得したモサッデクは、戦前から「反植民地主義」を掲げて政治活動を行っていたが、1951年、ついに首相に選出される。モサッデクの首相選出の方法は極めて「民主的」なそれであった。しかし、この事は英米にとって大変な「脅威」であった。

イギリスによる「イラン封じ込め」
そんなモサッデクが最初に行った政策は、アングロ・イラニアン石油会社が長年暴利を貪って来たアバダン石油をはじめとする、国内の石油の「国有化」であった。この「石油国有化」は、すなわちイギリスからの完全独立を意味していた。つまり、国際石油資本(メジャー)が、イランから追放される事となったのだ。これに対して、イギリスが怒らないわけはない。結果、イギリスはイランが独自に販売しようとする石油を国際市場から閉め出し、「イランの石油はすべてイギリスのものである」と主張、イラン政府と石油取引をする者は、誰でも攻撃を加えるとしてイラン沖に艦隊を派遣、イランを海上封鎖した。良質で安価なイラン産石油は各国の石油会社や政府にとっては大きな魅力であった。しかし、それを直接買うわけにはいかない。もしタンカーなどを派遣すれば、沖合に展開するイギリス海軍がこれを撃沈するに違いないからだ。

立ち上がったのは「一人の日本人」
この結果、イランの経済は大きな打撃を受け、国民生活は窮乏の一途を辿ることとなる。せっかく植民地からの独立を果たし、主権を回復して国民生活を豊かにするために「石油の国有化」を実現したのに、このままでは、その「逆」を行ってしまう事になる。イランの真の独立は風前の灯であるかに思われた。そんな時に現れたのが「一人の日本人」であった。この日本人の勇気が、イラン人の独立意識を一気に勇気づける事になったのである。

(続く)

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