ここからは音MADのジャンルごとに話していきたいと思う。ジャンル増えてくるからね!
もう当時流行っていた世界のナベアツでは数えきれないほどの作品であふれかえってました。
○音MAD全体とニコニコ動画の流れ
…2008年春はKYMには苦しい季節だったが、多くが強烈な個性を出し始めた季節でもあった。
桜の別れのために散っていく。だがそれは永遠の別れではない事を経験するのはまた後の話。
その7でも紹介した松岡修造の鮮烈デビューはもちろんのこと、Werther's RUSH、ねるねるねるねのグルメレース、PCと言ってすぐに98でござーる ~狂気のバザール・デ・ゴザール~、結束のコマンド運動会、伝説の少女Aは彼女なのか?最終オタク少女こなた・I、クラッシャーのマーチ、K.W.S.K.はコックなのか?最終鬼畜電話番フー・M、ポジティブフェイスなどなど怒涛の名作ラインナップ。とんでもねえなこれ
ドナルド総本山の影響もあって、この頃から最終鬼畜オーエンを素材曲としたMADが「盗んでいきました」を追い越して新たなブームとなっていく。曲の中毒性もあって、音MAD黄金期と呼ぶにふさわしい数々のオーエンMADが作られていくこととなる。
ニコ動では2008年7月(~SP1時代)辺りまでにかけて「ニコニコ大百科」の登場、「ゲーム実況動画」のブーム到来、「ニコニコミュニティ」の設立があって更に勢いを増していく。
特にゲーム実況はhacchiさんのThe Immortalシリーズが大きな影響を及ぼしている。
大百科の「2008年06月10日に投稿された“謎解き死にゲー The Immortalを実況プレイ Level1”が実況プレイ動画としては初めての再生、マイリスト登録の総合ランキング1位となり、一躍有名となる。 また、上記の動画は 投稿から約30時間で実況プレイ動画最多の再生数(約15万回再生)を獲得した。」という文章が時代を物語っている。
15万再生で最多だったのか…(困惑)
そして少々話が早いが、11月末にはやまもとさんが投稿した「バグポケ」シリーズがとんでもない伸びを記録。
縛りプレイ動画やTAS動画が大半だったゲームカテゴリに実況がなり者入りで現れたことで、ニコニコ動画は急激にその姿を変えていくことになる。
発売当初からメキメキと頭角を現していたボカロは早くも鏡音リン・レンが登場し、「初音ミクの消失」,「ワールドイズマイン」,「ブラック★ロックシューター」等の名作の登場によりニコニコ動画を代表する一大コンテンツへと成長していく。後述する勇ましい兄貴と冷戦を繰り広げることになるが何の問題ですか?
アイマスや東方は詳しくないのですが…ハイレベルな職人が登場して早くも「御三家」襲名。
でも歌ってみた踊ってみたはまだまだネタの領域。阿部さんダンサーズ無双だったわけで…
○ニコニコ三大宗教
この時期は正にドナルドが圧倒的存在感を示していた(と俺は言いたい)。連日ドナルドMADがエンターテイメント,デイリー上位に登場し、多くのニコ厨を洗脳させていった。
その高い洗脳性から「教祖様」とあがめられ、ヴェルタースオリジナル,女帝ババコンガ&ちんすけことリーブ21と並んでニコニコ三大宗教と評された。
ちなみにねるねるねるねが宗教入りするのは2008年秋くらい(リーブが消され始めた辺り?)。
タグで確認すればわかるが、この時期は毎日必ず5~10個はドナルドMADが投稿されている。
総本山の勢いそのままにドナドナフユカイ、ドナルドに組曲「ニコニコ動画」を歌わせてみた、プリンセスドナルド、ドナルドで笑点のテーマ、ドナルド動画流星群、もうランランルーしか聞こえない、新しいドナルドは狂気なのか? 最終怨恨道化師ストーカー・D、運命のマクドナルド、竹取教祖~LunaticVarger(お月見ヴァーガー)~、V.S.ドナルクなど挙げだすときりがない。 嬉しくなると、ついたくさん紹介しちゃうんだ☆
狂気性や新ドナ、キシオさんらの活躍もあり、仲邑少年もその魅力に引き込まれていった。
だがしかし仲邑少年デビューのせいか、ドナルドは「食ッべ〜れ↑スペクタクル☆」を最後に、突如としてランキングからその姿を消してしまう。
他ジャンルの台頭が主な原因だと考えられるが、
ドナルドはこれが終わりじゃないことも知ってるよ?驚いた?
○レスリングシリーズの軌跡
兄貴たちは主要レスリング本編を兼ね備え、釣り動画としての地位をギンギンにしていた。
更に屋上編でトータス藤岡が、シャワー編でスピードタイプのオーウェン定岡が、説教編ではくりぃむしちゅー池田が、あと西郷とかが登場し、ゆかいな妖精の仲間たちは彩も豊かに、素材としても有用性が高いモノ♂になっていった。
※特にくりぃむ池田はそのインパクトから、TDNコスギにも負けない笑いを生み出すのだった。海砂利水魚ェ…
MADでも組曲『ガチムチ動画』や臀部を叩いてすぐにアッー!~狂気のガチムチ兄貴、布取飛翔~Gachimtic Prince~、フルハアッーウス、更に闘うガチ達、ガチムチでしょでしょ?、ガチムチブリッヂの死闘、話題のボーカロイドが組曲『ニコニコ動画』を本気で歌ってみた、ガチムチボールZ OP「CHA-LA HEAD-CHA-LAッー!」、【兄】スーパーパンツブラザーズ改【貴】、ゲイティブフェイスなどなど、赤さん並みにナウい作品が名を連ねていた。
ちなみにガチムチファンには欠かせない「ゲイシリ」もこの時期に登場。寝る前に見てね!
そして「Little Busters!」を叩いてみました辺りから本格的に、現在のレスリングシリーズに欠かせない要素『ケツドラム』がその名称と共に誕生することになる。ナウいゲイだと思ってた
当時の動画はこんな感じ。ガチ作ばかりで濡れてしまうッ!!
さすがに紹介しきれないので、その他はガチランを参考にしてください。許してや、城之内…
もちろん工作動画もおてのもの。ヘイ構わねぇ、殺すぞ♂
○青森からの新たなる刺客
日本では1970年代後半にディスコブームが到来し、仲邑少年の父親もEarth,Wind&fireのソウルサウンドに毎晩心躍らせていたらしい。80年代に入ってからは「竹の子族」も登場し、大都会東京に安住の場を求める若者たちは、我を忘れて日夜踊り狂っていたのであった。
そんな時代に、歌手として凍狂に乗り込んできた農夫、その男こそが…

ネットを耕す酒飲みラッパー、吉幾三ことIKZOである。
デビュー当初は鳴かず飛ばすだったそうだが、演歌歌手へと路線変更し千昌男のプロデュースで発売された「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットを飛ばす。※曲のエピソード
まさか1984年発売の曲が、2008年になって再ブレイクするとは思いもしなかっただろう…
※ちなみにIKZO本人はのちにニコニコ公式で「日本で最初のラップミュージック」だと豪語しているが、
「俺ら~」の2か月前に佐野元春が発売したアルバム「VISITORS」が最初だとされている(wiki情報)。
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IKZOブームの起点となったのはでていけ!コンナむらだが、農業とテクノを配合させた「ポリ幾三」の存在なしに語ることはできないだろう。
当時DTM経験が全くなかったという作者の全農連Pは、のちに多くのメディアで作品が取り上げられることになる。
また、IKZO全盛期に発表した「StarrySky IKZOLOGIC Remix」は全農連Pの人気と共にマッシュアップにも似た音MADという手法を確立させることになる。
そしてもうひとつ、俺らの村にはツーターマンの存在がある。
「作者自身の歌ってみた音源(?)に素材曲が打ち込み音源」ということもあってか、当時のニコニコ動画としては異例の『MAD作品にしてYahooトップニュースに掲載される』という快挙を成し遂げる。 ※yahooニュースはアーカイブが残っていないようですがj-castニュースの記事は残っていました
これにより多くのライトユーザーの興味も買い、農地は耕されていった。 参考:当時のスレ↓

もちろんこれ以外にもおらTravelingさ行ぐだ、危険な幾三、スパイスガールズvs吉幾三、吉幾三フィルハーモニー交響楽団、農場のメリークリスマス、べごボーイビバップ、ikzo again、俺らゲットワイルだ'89、俺ぁ東京スキャット行ぐだッパラッポ、俺らヤマダ電機さ行ぐだなど、その作りやすさからわずか2か月足らずで多くの遺伝子組み換え作物が誕生したのである。
元祖IKZO動画↓ 初期の頃使用されていたカラオケ音源↓
○ 次 回 予 告
上記の三賢者を筆頭とした一大ブームは、アングラながらも特別な存在となっていた。
5月末には現在も続く音MAD晒しイベントの第1回も開催され運営をスパンキングしていく。
時を同じくして、ニコニコ動画ではニコ生も含めて「ネットカルチャーの先端」としての軌道に乗ってきたこともあってか「ニコニコ大会議2008」と銘打ったイベントを初開催。
しかし社長から開口一番出た言葉は、派生動画ファンの今後を大きく左右するものであった。
「削除した動画に、今後は権利者名を表示します」
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会場では人類滅亡シリーズでお馴染みのイチローや小沢一郎氏からの記念の花輪が届いていた。くちびるオバケの銅像もあったらしい。 こういうムダ使いが赤字の原因?知らんな
そしてその会場内外でニコ厨の話題をひとキワかっさらっていったのが、
兄貴ことビリー・ヘリントンと、吉幾三ことIKZOからの花束だった…
音MAD界隈は最大の盛り上がりを見せつつも、
大きな転換期を迎えようとしていたのである。その9に続く… ※参考記事
もう当時流行っていた世界のナベアツでは数えきれないほどの作品であふれかえってました。
○音MAD全体とニコニコ動画の流れ
…2008年春はKYMには苦しい季節だったが、多くが強烈な個性を出し始めた季節でもあった。
桜の別れのために散っていく。だがそれは永遠の別れではない事を経験するのはまた後の話。
その7でも紹介した松岡修造の鮮烈デビューはもちろんのこと、Werther's RUSH、ねるねるねるねのグルメレース、PCと言ってすぐに98でござーる ~狂気のバザール・デ・ゴザール~、結束のコマンド運動会、伝説の少女Aは彼女なのか?最終オタク少女こなた・I、クラッシャーのマーチ、K.W.S.K.はコックなのか?最終鬼畜電話番フー・M、ポジティブフェイスなどなど怒涛の名作ラインナップ。とんでもねえなこれ
ドナルド総本山の影響もあって、この頃から最終鬼畜オーエンを素材曲としたMADが「盗んでいきました」を追い越して新たなブームとなっていく。曲の中毒性もあって、音MAD黄金期と呼ぶにふさわしい数々のオーエンMADが作られていくこととなる。
ニコ動では2008年7月(~SP1時代)辺りまでにかけて「ニコニコ大百科」の登場、「ゲーム実況動画」のブーム到来、「ニコニコミュニティ」の設立があって更に勢いを増していく。
特にゲーム実況はhacchiさんのThe Immortalシリーズが大きな影響を及ぼしている。
大百科の「2008年06月10日に投稿された“謎解き死にゲー The Immortalを実況プレイ Level1”が実況プレイ動画としては初めての再生、マイリスト登録の総合ランキング1位となり、一躍有名となる。 また、上記の動画は 投稿から約30時間で実況プレイ動画最多の再生数(約15万回再生)を獲得した。」という文章が時代を物語っている。
15万再生で最多だったのか…(困惑)
そして少々話が早いが、11月末にはやまもとさんが投稿した「バグポケ」シリーズがとんでもない伸びを記録。
縛りプレイ動画やTAS動画が大半だったゲームカテゴリに実況がなり者入りで現れたことで、ニコニコ動画は急激にその姿を変えていくことになる。
発売当初からメキメキと頭角を現していたボカロは早くも鏡音リン・レンが登場し、「初音ミクの消失」,「ワールドイズマイン」,「ブラック★ロックシューター」等の名作の登場によりニコニコ動画を代表する一大コンテンツへと成長していく。後述する勇ましい兄貴と冷戦を繰り広げることになるが何の問題ですか?
アイマスや東方は詳しくないのですが…ハイレベルな職人が登場して早くも「御三家」襲名。
でも歌ってみた踊ってみたはまだまだネタの領域。阿部さんダンサーズ無双だったわけで…
○ニコニコ三大宗教
この時期は正にドナルドが圧倒的存在感を示していた(と俺は言いたい)。連日ドナルドMADがエンターテイメント,デイリー上位に登場し、多くのニコ厨を洗脳させていった。
その高い洗脳性から「教祖様」とあがめられ、ヴェルタースオリジナル,女帝ババコンガ&ちんすけことリーブ21と並んでニコニコ三大宗教と評された。
ちなみにねるねるねるねが宗教入りするのは2008年秋くらい(リーブが消され始めた辺り?)。
タグで確認すればわかるが、この時期は毎日必ず5~10個はドナルドMADが投稿されている。
総本山の勢いそのままにドナドナフユカイ、ドナルドに組曲「ニコニコ動画」を歌わせてみた、プリンセスドナルド、ドナルドで笑点のテーマ、ドナルド動画流星群、もうランランルーしか聞こえない、新しいドナルドは狂気なのか? 最終怨恨道化師ストーカー・D、運命のマクドナルド、竹取教祖~LunaticVarger(お月見ヴァーガー)~、V.S.ドナルクなど挙げだすときりがない。 嬉しくなると、ついたくさん紹介しちゃうんだ☆
狂気性や新ドナ、キシオさんらの活躍もあり、仲邑少年もその魅力に引き込まれていった。
だがしかし仲邑少年デビューのせいか、ドナルドは「食ッべ〜れ↑スペクタクル☆」を最後に、突如としてランキングからその姿を消してしまう。
他ジャンルの台頭が主な原因だと考えられるが、
ドナルドはこれが終わりじゃないことも知ってるよ?驚いた?
○レスリングシリーズの軌跡
兄貴たちは主要レスリング本編を兼ね備え、釣り動画としての地位をギンギンにしていた。
更に屋上編でトータス藤岡が、シャワー編でスピードタイプのオーウェン定岡が、説教編ではくりぃむしちゅー池田が、あと西郷とかが登場し、ゆかいな妖精の仲間たちは彩も豊かに、素材としても有用性が高いモノ♂になっていった。
※特にくりぃむ池田はそのインパクトから、TDNコスギにも負けない笑いを生み出すのだった。海砂利水魚ェ…
MADでも組曲『ガチムチ動画』や臀部を叩いてすぐにアッー!~狂気のガチムチ兄貴、布取飛翔~Gachimtic Prince~、フルハアッーウス、更に闘うガチ達、ガチムチでしょでしょ?、ガチムチブリッヂの死闘、話題のボーカロイドが組曲『ニコニコ動画』を本気で歌ってみた、ガチムチボールZ OP「CHA-LA HEAD-CHA-LAッー!」、【兄】スーパーパンツブラザーズ改【貴】、ゲイティブフェイスなどなど、赤さん並みにナウい作品が名を連ねていた。
ちなみにガチムチファンには欠かせない「ゲイシリ」もこの時期に登場。寝る前に見てね!
そして「Little Busters!」を叩いてみました辺りから本格的に、現在のレスリングシリーズに欠かせない要素『ケツドラム』がその名称と共に誕生することになる。ナウいゲイだと思ってた
当時の動画はこんな感じ。ガチ作ばかりで濡れてしまうッ!!
さすがに紹介しきれないので、その他はガチランを参考にしてください。許してや、城之内…
もちろん工作動画もおてのもの。ヘイ構わねぇ、殺すぞ♂
○青森からの新たなる刺客
日本では1970年代後半にディスコブームが到来し、仲邑少年の父親もEarth,Wind&fireのソウルサウンドに毎晩心躍らせていたらしい。80年代に入ってからは「竹の子族」も登場し、大都会東京に安住の場を求める若者たちは、我を忘れて日夜踊り狂っていたのであった。
そんな時代に、歌手として凍狂に乗り込んできた農夫、その男こそが…

ネットを耕す酒飲みラッパー、吉幾三ことIKZOである。
デビュー当初は鳴かず飛ばすだったそうだが、演歌歌手へと路線変更し千昌男のプロデュースで発売された「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットを飛ばす。※曲のエピソード
まさか1984年発売の曲が、2008年になって再ブレイクするとは思いもしなかっただろう…
※ちなみにIKZO本人はのちにニコニコ公式で「日本で最初のラップミュージック」だと豪語しているが、
「俺ら~」の2か月前に佐野元春が発売したアルバム「VISITORS」が最初だとされている(wiki情報)。
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IKZOブームの起点となったのはでていけ!コンナむらだが、農業とテクノを配合させた「ポリ幾三」の存在なしに語ることはできないだろう。
当時DTM経験が全くなかったという作者の全農連Pは、のちに多くのメディアで作品が取り上げられることになる。
また、IKZO全盛期に発表した「StarrySky IKZOLOGIC Remix」は全農連Pの人気と共にマッシュアップにも似た音MADという手法を確立させることになる。
そしてもうひとつ、俺らの村にはツーターマンの存在がある。
「作者自身の歌ってみた音源(?)に素材曲が打ち込み音源」ということもあってか、当時のニコニコ動画としては異例の『MAD作品にしてYahooトップニュースに掲載される』という快挙を成し遂げる。 ※yahooニュースはアーカイブが残っていないようですがj-castニュースの記事は残っていました
これにより多くのライトユーザーの興味も買い、農地は耕されていった。 参考:当時のスレ↓

もちろんこれ以外にもおらTravelingさ行ぐだ、危険な幾三、スパイスガールズvs吉幾三、吉幾三フィルハーモニー交響楽団、農場のメリークリスマス、べごボーイビバップ、ikzo again、俺らゲットワイルだ'89、俺ぁ東京スキャット行ぐだッパラッポ、俺らヤマダ電機さ行ぐだなど、その作りやすさからわずか2か月足らずで多くの遺伝子組み換え作物が誕生したのである。
元祖IKZO動画↓ 初期の頃使用されていたカラオケ音源↓
○ 次 回 予 告
上記の三賢者を筆頭とした一大ブームは、アングラながらも特別な存在となっていた。
5月末には現在も続く音MAD晒しイベントの第1回も開催され運営をスパンキングしていく。
時を同じくして、ニコニコ動画ではニコ生も含めて「ネットカルチャーの先端」としての軌道に乗ってきたこともあってか「ニコニコ大会議2008」と銘打ったイベントを初開催。
しかし社長から開口一番出た言葉は、派生動画ファンの今後を大きく左右するものであった。
「削除した動画に、今後は権利者名を表示します」
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会場では人類滅亡シリーズでお馴染みのイチローや小沢一郎氏からの記念の花輪が届いていた。くちびるオバケの銅像もあったらしい。 こういうムダ使いが赤字の原因?知らんな
そしてその会場内外でニコ厨の話題をひとキワかっさらっていったのが、
兄貴ことビリー・ヘリントンと、吉幾三ことIKZOからの花束だった…
音MAD界隈は最大の盛り上がりを見せつつも、
大きな転換期を迎えようとしていたのである。その9に続く… ※参考記事
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