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1200年前の城跡を見学してきた

2016/06/22 12:47 投稿

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こんにちは、kazuです。

今回は志波(しわ)城跡を紹介したいと思います。 志波城跡は、今から1200年前、平安時代坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)によって造営された蝦夷(えみし)政策の拠点である城柵跡です。 城柵とは奈良~平安時代の政府が、東北地方を治める為に設置した行政府です。 その頃の東北北部は国の範囲の外で、蝦夷と呼ばれていました。 志波城は、東北地方に20数か所作られた城柵のうち、陸奥国の最北に最大級の規模で造営されました。 設置後約10年で雫石川の洪水被害で約10㎞南の徳丹城(とくたんじょう)に機能を移転しました。

城柵の遠景です。 周囲は田んぼに囲まれています。

政庁南門を斜めから眺めた図です。 城壁は分厚い土壁で出来ています。

城内に1200~2200棟あった竪穴建物の兵舎です。 これに屋根を葺(ふ)き雨風を凌いだと思われます。

竪穴建物の内部です。 カマドが見えますね。 一説によるとカマドの方角で竪穴建物の時代がわかるそうです。 想像ですが、床を低くするのは室内の高さを確保する為だと思われます。

隣にあった竪穴建物には屋根が葺かれていました。 写真で見るとわかりづらいのですが、高さはあまりありません。 この時は中には入れませんでしたが、外から覗くと中は薄暗かったです。 中の広さはあまりないようです。

政庁南門の正面からの遠景です。 水は流れていませんでしたが堀があり橋を渡って南門に行きます。 今回は南門しか見て来ませんでしたが、この奥に政庁・官がい域、官がい建物があるようです。

本当はもうチョット見たかったのですが、あまり天候がよくなく、地面がぬかるんでいて歩くとべちゃべちゃと足跡がつくので、あまり荒らしてはいけないと思い見学を中止しました。 敷地内の雑草は綺麗に刈り取られ、地面の土を機械でならしている人がいました。 手入れが行き届いていてるなと感じました。 西暦794年 延暦(えんりゃく)13年10月に平安京に都が移った9年後頃に志波城は存在していた可能性があります。 1200年前にこのような建造物を作る技術があった事に驚きます。 今回、見学した志波城は復元されたものですが、昔作った人達も復元した人達にも尊敬の念を抱きます。 のどかな場所にあるので息抜きにまた見学に行きたいと感じた次第です。

※資料は志波城に展示されていた石碑から書き写したものです。
自由に見学させてくださった志波城跡を管理している方々にお礼を申し上げます。

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