ヘイヨーさんの人生

「本格的な文字の文化の終焉」

2014/08/15 14:01 投稿

コメント:6

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 絶望的な結論。
 “文字で表現しようとしていたコト自体が間違いだった”

 なぜ、この結論に至ったかを語ると長くなる。
 長くなるけれども、できるだけわかりやすく説明してみよう。

         *

 ここ何年かずっと考えていたコトがあった。
 それは、“言葉には限界があるのではないか?”というもの。

 一生懸命に語った言葉が人に伝わるだろうか?
 大量の言葉で埋め尽くされた文章が、人に伝わるだろうか?
 答は、ノー。伝わらない。完全に伝わらないわけではないけれども、多くの場合は伝わらない。

         *

 ヘイヨーさんは、モノを考える時に経験を利用する。経験だけに頼ると危険だとわかっていながら、それでも経験を中心に考える。

 たとえば、図書館に通い詰めて考える。
“なぜ、こんなにも読む本が少ないのだろうか?”と。
 目の前に数万冊の本がありながら、その多くは読めない。あるいは、読んでみてもつまらない。図書館に通えば通うほど、その傾向は強くなっていく。

 そうして、どうなったか?
 絵や写真の多い本ばかり眺めるようになっていた。画集とか、絵本とか。あるいは、文字が書いてあっても、イラストや図解の多いものばかり手に取るようになっていった。

 最初、それは、自らの読書能力のなさだと思っていた。世の中の人達は、もっと本を読む能力に長けていて、そういう人達からすれば、この図書館だって宝の山に見えるのだろう、と。

         *

 一転して、インターネットの世界。
 ここでは多くの言葉が飛びかっている。だから、言葉はまだ生きている。言葉の文化は全盛期だとすら言える。そう思っていた。
 でも、そうじゃなかった。その言葉のほとんどは、ただ飛びかっているだけだった。伝わっていない。一方通行。ただの独り言。誰も読んじゃいない。聞いちゃいないんだ。ただ、一方的に語っているだけ。発信しているだけ。自己満足。
 そう。確かに、飛びかっている言葉の量は多かった。でも、量が多いだけだった。伝わらなければ意味はない。

         *

 もう1度、読書について考えてみる。
 図書館に読む本がないのは、読書能力のなさから来るものだと思っていた。ヘイヨーさんは、そんなに熱心な読書家という方ではない。かといって、全く本を読まないわけでもない。そこそこ、といった感じ。おそらく、ヘイヨーさんよりも本を読んでいる人は、10人に1人くらいだろう。
 となれば、残りの9人…つまり、世の中の9割の人にとってみれば、この図書館は宝の山どころか、ゴミの集積所に過ぎないということになる。

 あるいは、こうも考えられる。
 “この図書館に置いてある本がつまらないだけ”だと。
 果たして、そうだろうか?図書館以外の本を考えてみても、やはり、人々の読書量なんてそんなに違いはないだろう。図書館以外の本の読書量を考えてみても、ヘイヨーさんよりも本を読んでいる人は1割程度だろう。もしかしたら、もっと少ないかも。

         *

「人々の読書能力が落ちている。だから、みんな、もっと本を読みなさい」
 よく聞く言葉だ。実に、もっともらしい。ヘイヨーさんも、その言葉を信じていた。でも、それと同時に、心のどこかで常に違和感があった。

 最近、その正体がわかってきた。
 そんな言葉を使う人の多くは、本を読むよりも別の文化に頼ってしまっている。テレビのニュースを見、映像から情報を収集する。マンガを読み、映画やアニメを見る。あるいは、スポーツやゲームやギャンブルに興じる。
 説得力がないよ、それじゃあ。

 確かに、世の中には、本が好きで好きでたまらなくて本ばかり読んでいる“本の虫”のような人は存在する。あるいは、嫌々ながらも大量の本を読み続けている人もいるだろう。
 だが、そういう人の数は少ない。年齢が若くなるにつれ、その傾向は強まっていくだろう。

 これは、時代の流れなのではないだろうか?
 そもそも、人は本を読むようにはできていないのでは?
 そのような疑問が、心の中に浮かんでくる。

         *

 とどめを刺したのは、表現の方法。
 凄くいい文章が、あまり多くの人に読まれない。心躍り、最高におもしろい文章だ。なんと、もったいないコトか…
 それが、マンガになった途端に、読まれるようになっていった。短期間の内に、爆発的にヒットし、大量の読者を獲得していった。

 薄々は気づいていた。
 “もしかしたら、文字の時代は終わりを告げようとしているのではないだろうか?”と。

 かつては、たくさんの読者を獲得した本が、見向きもされないようになってしまっている。それは、本の内容が時代遅れになってしまったか、読書能力が落ちてしまっている読者の方が悪いのではないか?そのような言い訳を用意して、自分をごまかそうとしていた。
 でも、そうじゃなかった。これは、時代の流れだったんだ。全く同じ内容の本が文字だと読まれない。マンガなら読まれる。映画やドラマやアニメになれば、見られる。つまり、内容の問題じゃない。表現方法の問題だったんだ。

 確かに、今でも文字ばかりが書かれた本は売れている。読まれてはいる。数としては、結構なものだろう。だが、1冊あたりはどうだろう?マンガの足元にも及ばないのでは?
 全く同じ内容の本が、マンガであれば、10倍売れる。読まれる。あるいは、10倍ではきかないかも。100倍か、それ以上になるかも。映像ならば、どうだろう?おそらく、似たようなものだろう。

         *

 こうして、この結論に至った。
 “文字の文化は終わりだ。文字で表現しようとしていたコト自体が間違いだった”と。

 …という文章を大量の文字で表現してみた。
 これは、矛盾。明らかな矛盾。

 さて、これから、どうするかね?
 言葉で駄目なら、他の表現方法を模索するか?あるいは、言葉では通用しないとわかっていながら、あえて言葉の世界に執着するか?
 まだ、結論は出ていない。


コメント

大西平洋(ヘイヨー) (著者)
No.4 (2014/08/15 16:51)
>ヨウチさん
 現代人っていうか、現代の時代の流れだね。ここ10年とか20年くらいで、人が触れることのできる情報の量が極端に増えちゃったから、これは仕方がないとも言えるんだよね。
 1つ1つの情報に、長い時間構っていられない。だから、パッと目に入って、サッと理解できる。そういう表現でないと。
 そう考えると、マンガとか映像の方がいいんだよ。

 本の役割は、それはそれであるのかも知れないけど、圧倒的に不利だということだけは覚悟しておかないと。
なんば
No.5 (2014/08/16 02:13)
文字の文化が終焉を迎えることで、どのようなことが起こりえるか(メリット、デメリット、恩恵、損失など)。
そもそも文字で享受することって他にくらべてどれくらい良いことなんだろうか、なんか本を読むこと自体が善というのはもしかして思い込みなんじゃないのか、って考えさせられました。
大西平洋(ヘイヨー) (著者)
No.6 (2014/08/16 02:56)
>なんばさん
 ま、とは言え、完全に終わりはしないだろうからね。補助的な役割としては、残り続けるはず。メインとしては、他の表現方法にその立場を譲ったとしても、文字自体は残り続けるだろうし、それなりの役割は果たしてくれるんじゃないかな?
 本を読む行為自体が善という考え方は、そろそろ古くなってきているかも知れないね。もちろん、それなりの利点というのはあると思うんだけど。たとえば、他の文化に比べて、深い思考に導いてくれやすいとか。
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