蓮池 レオンのブロマガ

哲人の果て  うそつきのパラドックス

2008/04/21 00:00 投稿

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僕は哲学をこの上なく愛する。
稲妻のような閃きと磐石な論理的思考により世界を紐解くのが楽しい。
全ては思考。知的源泉への道を詳らかにする史上最も徳の高い学問。
数学? オゥケイ!
物理? オゥライ!
知るか知るか知ったことか。 麦でも洗っていろ地底人ども。
二進法も質量もすべて論理的思考の前に平伏しろ。
僕は、哲学とともに生きるのだ。

というようなことを思っていた節が確かにあった。

大学一年、前期。
さも文人を気取ろうとして、僕は『哲学』の授業を選択した。
僕は理系の分野においては壊滅的な脳欠損をきたしていて、そのかわりに文系の学問については、せめて辱められないようにと、ある程度の自負を持ちながら勉強してきた。
さて、大学一年の哲学の授業。
(わかんねえ☆)
分からなかった。 理解ができなかった。 
自己文人説が教授の放つ言葉の羅列によってぼろんぼろんと崩れていった。
言語階層説・真理の定義・二重判断論・命題を表現しない文・行為遂行説……
僕をはじめとした文人を気取ろうとした学生は、教授の不明な単語をやわらかく耳朶に響かせ、机で哲学的睡眠を得た。
その授業を受け終わってから5年。
今でもその授業を思い出すときがある。
『うそつきのパラドックス』。
授業冒頭に習った、比較的やさしい問題を今日は書き損じてみようと思う。

パラドックスとはそれほど耳に新しい単語ではないと思うけれど、この意味を答えろ、なんて言われたら誰だって閉口してしまうだろう。
(今、教科書を片手に日記を書いているのだけれど、)
パラドックスは「逆説」とか「逆理」と訳され、「常識に反する考え方」という意味で用いられる。
有名なパラドックスとしては、
『動いている矢は動かない』
『走ることのもっとも遅いものですら、もっとも速いものによって決して追いつかれない』
などがあるが、
今日は僕が最初に習った(というよりこれしか覚えていない)『うそつきのパラドックス』について紹介したい。

哲学や論理的思考というと煙たがる人も多いと思うけれど、
実際はそんなに難しくはない。
準備は目玉焼きを作るよりはるかに簡単だ。

●ある日本人が言う。
「すべての日本人は嘘つきである」

さて、この2つの文章。もうこれだけでパラドックスが発生しているのです。
なんだか分かるような分からないような、という人が多いと思いますので、ここで図を参照しながら解説していきましょう。

フォト

今はこのような感じになっています。
ここで問題なのが、発言をした日本人の言葉は『本当』か『嘘』か、ということです。

■『本当』だとしたら……
 もし彼が本当のことを言っていたら、「全ての日本人は嘘つき」ということが成り立ち、したがって、彼も嘘つきとなる。
 →『本当』ではない


■『嘘』だとしたら……

  「全ての日本人は嘘つきである」は嘘である
 →「全ての日本人は嘘つきである」は事実ではない
 →全ての日本人は嘘つきであるということはない
 →全ての日本人が嘘つきである訳ではない
 →ある日本人は嘘つきではない
 →ある日本人の発言は本当である

となり、この日本人の発言を嘘とする場合、「ある日本人の発言は本当である」となってしまう。ここで、その「ある日本人」が発言した日本人だとした場合、『嘘つき』が『本当のことを言う』になってしまい、パラドックスが生じる。

というものである。
おそらくいろいろ腑に落ちないところも多いと思うので、もう一つ類似の例を出してみることにします。

フォト

■タモリ「すべてのタモリは嘘つきである」

これはどうでしょう? グンと身近になったと思いませんか?
僕は思います。
描いていて「GUNと身近になった!」と思わず言ってしまいました。(そして、なぜこんなことをしているのかわからなくもなりました)

さて、この例でいうと、タモリが「すべてのタモリは嘘つきである」と発言しているわけですが、これは本当にけしからんことですよね。
毎週、月曜から金曜の、お昼の良い時間に番組を任されているにもかかわらず、彼は僕ら視聴者に嘘を言っていたことになるのです。酷い話です。
そのうえ、「すべてのタモリは」と言っていることにも違和感を覚えますよね。
まるでタモリが何人もいるような口ぶりです。
タモリは一人じゃないですか。僕らを馬鹿にしているんでしょうか?
いや、待て待て、と思ったあなた。
あなたの勘はあながち間違っていないかもしれませんよ。
今まで疑問に思ったことはありませんか?
よくも月曜日から金曜日まで、生放送を何十年も続けられるな、と。
これが答えだったのです。「すべてのタモリ」が答えだったのです。
タモリの野郎、うっかり口を滑らしましたね。
月曜日のタモリ・火曜日のタモリ・水曜日のタモリ・木曜日のタモリ・金曜日のタモリ、とようは複数体のタモリの現存がここに立証されるわけです。
さらにそのうえ、「すべてのタモリは嘘つき」であるわけですから、たまったものじゃありませんよね。
マスメディアってのは本当に恐ろしいものです。

さて、ではさらに一例をあげてみましょう。
 フォト

■「すべてのタモリは嘘つきである」と言うタモリのそばにダイナマイトを仕掛ける


どうですか、この例も貴様らのしわの伸びきった脳を刺激するよい例でしょう。
先に複数体のタモリによって茶の間は支配されているという立証ができましたが、そのタモリもさすがにダイナマイトの前で同じことを言えるのかどうか、というのが今回の例の肝です。

言いました。 タモリは言ってのけました。

普通、ダイナマイトを前にして正常な思考などできやしない、ましてや嘘なんてつけないものですが、タモリは微動だにせず言い放ったのです。
そして見てください。あの余裕の表情。
「爆破するならするで構わんよ。替わりはいくらでもいるでね」
と言わんばかりの表情。
つまり、本当なのです。
タモリ複数説はますます盤石なものとして、立証され続けるのです。
さて、では最後の例を出してみましょう。

フォト

■「すべてのタモリは嘘つきである」と言うタモリの頭の中から、別の曜日のタモリが出てきた

決定的ですね。複数説が、現実のものとなりました。おめでとう。
うっかりしていたのでしょうか?
頭の中に潜んでいた小さいタモリは、何を間違えてしまったのか、収録スタジオではないのに突然出てきて得意げにあの定型句を言ってしまったのです。
しかし見てください。上下タモリの、またしてもこの余裕の笑みを。
目撃されたことなど意も解さず、前方一点を見据えたこの言いようを。
あるいは隠す気などないのか? 
鬼の首を取ったといわんばかりの僕らを嘲笑しているようにも見えます。
そしてここでの論点は大タモリの「すべてのタモリは嘘つきである」という発言。
これはいったい何にかかってきているのか?
ここでは場合分けをして考えてみましょう。

●小タモリ「明日も見てくれるかな!?」に対しての嘘つき

「明日も見てくれるかな!?」というのは反語的表現であり、続く「いいとも!」という意味回答を潜在的に内包している。これに対しての『嘘』だとした場合、「毎日見るなこのドブネズミども!」という意味となる。

タモリの口の悪さに閉口する限りだが、なぜタモリはこのようなことを生放送で何十年にもわたって言い続けるのか、これはさらに論理的研究を続けていく価値が十二分にあると思われる。

●小タモリ・大タモリの存在についての嘘つき

この場合、さらに話は複雑となる。最後の例でタモリが複数体いるということが確認されたが、この大タモリはそれすらも『嘘』と言っているのだ。明かなるパラドックス。疑いようのない現世界の意味崩壊。つまるところ、タモリは月~金の昼だけでは飽き足らず、世界をすべての意味破壊することによって、虚無を手に入れようとしているのです。やられた、と思った時にはもう遅いのです。意味情報の崩壊は、連鎖を起こし世界を呑み込むのです。

さて、いかがでしたでしょうか?
これが『嘘つきのパラドックス』と呼ばれる、ちょっとしたお遊び哲学なのです。
もし興味があるようでしたら、いろいろと自分なりに論理的思考を心がけてみると、
今まで以上に世界が意味深に見えてくること間違いがないです。
そして、笑っていいとも!でのタモリの頭の奥に隠れている小タモリにも、いつか気づける日が来るのかもしれませんね。
(僕は既に、全ての人の頭の中に小タモリが潜んでいる事が知覚できる領域まで到達しました)

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