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義理と人情、自由と民主主義

2014/02/28 14:37 投稿

コメント:2

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 今日は正直纏まらない。

 とにかく話が纏まらない。

 なので超雑文です。

 自分でも訳分かってないけれど、分かってないレベルでとにかく書いています。テーマは、自由と民主主義に敗北する、義理と人情によるナショナリズム。そして、その先です。

 というコトでスタート。


 義理や人情というのは、損得を超えたシガラミだったり感情的なモノだと僕は長年捉えていて、そこに内包される美徳や温かみは人として大事な部分だったりすると思う。

 多分、昔の日本はそういった感じで上手くいってたんだなーとは思うんです。

 しかし、義理と人情は、自由と民主主義の前に敗北した。

 そして、ルールも自由と民主主義にそう変わった。

 自由は多様性を広げて人々を豊かにした。

 民主主義は自由を飛び越えてどっかいった。 

 物資が豊かになるコトで、義理や人情がなくても人は飢えるコトが少なくなった。 昔は、夫婦のうち、片方が亡くなったら後を追うという義理立てはよく行われていたし、主君を失った家臣が、それに追従するのもおかしなコトではなかった。

 それは、その人間に義理立てするという側面もあったけど、それ以上に生きていくコトが困難であったがためだったんだよね。(色々な面で他者に依存していないと、生きていくのが困難だっともいえる)

 そう考えると昔は選択肢が少なかったんだと僕は思う。 そして自殺の数も日本は多かったと思ったりする。 といより日本人は自殺文化もあるんだもね。切腹とか後追いとか心中とか。

 んで、そう思うと、日本人の自殺が多い理由は結局は昔からの文化の名残なんですよね。行き詰まったら、死んだほうがマシっていう感覚がどっかあるんですよ。

 言ってしまえば、自殺大好きなんですよ。自傷行為も大好き。そんな国民性も実はもっているとか思ったりする。 まあ、少数派ですがね。

 で、その自殺というか、自己を国に捧げるように強要するのが、この国の昔のシステムなんですね。 それが、自由と民衆主義に敗北したけれどそれが良かったと思う人達もまだまだ一杯いる。

 確かに、昔は追い詰められたら死ぬより選択肢がなかったような感じなんだけど、今は豊かなだけ選択肢はめちゃめちゃある。

 にも関わらず、自殺が多いからちょっと待てよ! ってなるんだよね。

 でも、それは結局のところ昔からのこの国のシステムの名残であり、自由と民主主義な国なのに、昔のシステムから逃れれない人が結局そうなってしまうんですね。

 単純に、自殺する人達がそうとばかりはいえないけれど、結局、自己が上手くいってる時とかに自殺を考える人はいない。でも、行き詰ったり、以前より幸福感を得られなくなると死んだほうがマシだと言うように考える人が多いのが事実でしょう。

 それを、国家が強要していたと言うのは言い過ぎかもしれないけれど、他人に依存して、自分以外の誰か、というより国家、天皇に依存するようなシステムだったのは事実です。

 でも、それだと行き詰まった。

 まあ、歴史観的にいえば行き詰まらされたと言ったほうがいいのかもしれないけれど、とにかくそれでは不都合だったり、立ち行かないようになってしまったのも事実。

 だからそのシステムが壊されたと僕は思っている。

 そして今現在、自由と民主主義というシステムが更なる進化を遂げようとして世界中を駆け巡っている。

 それに対して、抵抗しようとする勢力もあるけれどやはり劣勢だ。

 後、何十年? 何百年かかるか分からないけれど、自由と民主主義を超えるモノが出てこない限りは、この流れは止まらないと思ってた。

 しかし、ここ最近はこの日本の誇る古いシステムが復活しようとしている。 道徳教育やらなんやらですね。

 義理や人情、道徳を僕は嫌いという訳ではないけれど、そんなコトを進めていては結局のところ、権威主義や他者に依存して生きるというスタイルの押し付けを奨励するという感じになると思うんですね。

 日本の道徳的な概念には、上のモノを大事にする、尊重するというところが多すぎる。そのせいで、自由と民主主義がルールであり枠組みなのに、古い格式や決まり事が優先されたりして弊害になってたりする。

 それが、いい重しになって急速な変化をせず、着実に日本人が自由と民主主義を受け入れるコトが出来たのかもしれないけれど、今の世界的な流れはやはり、速さだ。

 とにかく何事も速く、正確にの流れだ。

 そして、日本はコストを抑えるために昔は、忠誠心というモノを利用していた。

 しかし、時代が変わり忠誠心は失われる。

 忠誠心よりも、理と利が個人を幸せにする概念が好まれるようになってきた。

 理て周囲の状況と比べて、ブラック企業だと判断して、それより有利な場所に行ったほうが幸せだと思う人が増える。

 そうなると、日本という国よりも他にも良い条件の国があるならばと若い世代はどんどん世界に旅立ってしまう。

 しかし、それでは国は立ち行かない。

 というコトでちょっと日本が駄目になっても耐えてくれる国民が欲しいと思い、もう一度古いシステムを利用しようと考える。

 それが、今の道徳教育の根底にある考えだと私は思う。

 日本に住む人間が、日本よりも他国に惹かれてしまう時代を想定して今のうちから子供を懐柔しようという考えがあるのではないかと思ったりする。

 個人的には、そんなコトをやるよりは昔から続く、慣例や伝統を見直したりして悪習正すコトをしたほうが良いようなそんな気がする。

 人の心を操作するようなシステムより、自由と民主主義を尊重するならそうすべきなんだと思う。

 自由と民主主義に行き詰まってるから、義理と人情のある時代に戻す。

 これでは、頭の固い連中を増やすだけのような気がする。

 だが、義理と人情がある世のほうが日本は日本らしいし、日本人の体質にあってるのかもしれない。

 だが常に、QCDの向上を求められる流れの中ではそうも言ってられない。

 だから、日本が生き残って行くには、どうやったら日本人を増やすコト出来るのか? どやったら、海外でも日本人は愛されるのか、常に模索していかなければならない。

 そして、人は、強い人が好きな傾向にあり、身近なモノを選択する。

 となると戦略的には、凄い日本人が海外で活躍して、日本に人を沢山招くという手段が効果的であると思ったりする。

 となると、凄い日本人。もしくは日本の凄いモノ作る必要がある。

 凄い日本人を作ろうと思ったら結局は競争を激化させるしかない。そして競争を激化させるには、それに対する報酬を高設定にするのが効果的である。

 そう考えると、道徳なんてやってる場合かとなる。
 
 しかし、凄い人に道徳的な概念がないと不幸な人が増える、そこに仕組みは作るべきだ。

 凄い人に道徳な概念を持たせるよりは、凄い人には報酬は与えるが、権利は与えないような仕組みを作れるか、そうゆうコトが出来ない仕組みにするか何かなければならない。

 ようするに、不義理なコトをすると、大事にしているモノを奪われるような仕組みがあれば暴走は抑えられるだろう。

 だから、国としては常に、影響力のある人間を落とし込む策は用意しておく必要がある。

 のようなコトを今後も繰り返していくのかなー。


 と、思うと生きてるのがやはり辛くなるのが私です。

 でも、面白いコトや楽しいコトが溢れてるから、やっぱり人生は楽しいなーと 散歩しながら思った今日でした。

 

コメント

nico1
No.1 (2014/03/02 11:41)
最近、アニメの感想が少なすぎるぞ!
ねここね (著者)
No.2 (2014/03/02 17:02)
>>1
 nico1さん コメントありがとうございます、というか助言ありがとうございます。

 実は、自分でも少ないなーって思ってたんですが、まあ誰も突っ込まないし、いいかなーって思ってたんですがそう思ってくれる人がいたんですね。 凄く嬉しい限りです。 個人的に書くかどうかは分からないけれど、そういう要望はガンガン欲しいと思ったりします。
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