ねここねのブロマガ

複合的見地に立つと、モノが言いづらいくなる

2014/01/03 03:36 投稿

コメント:1

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 何かを見て、その何かを解明しようとしようとする時に、大事なコトは何だろう?

 仮説を立てて、一点読みすることだろうか?

 それとも、そのモノの成り立ちから順次に調べて立証してくことだろうか?

 まあ、私は実際のところ、どっちでも構わない、どうせ、なるようにしからなんのだから、好きなほう選んでしまえば良いと思ったりします。

 まあ、仮説があたっていたら、その問題を早く解決できるわけだから、自信があるなら前者を、心配なら後者を選べばいいだろうとか思ったりもする。

 ただ、物事の一部を本質だと思って証明しても、それは、違うということをしっかりと認識しておかなければならない。

 例えば、ゲームの面白さの本質とか言っても、その面白さの本質を決定するのは、そのゲームの中身ではない。

 そのゲームをプレイするプレイヤーである、人間である。

 それを、グラフィックこそがとか、ストーリーだとか、ゲームのシステムだとかを論じていても、全体的な賛同をえられるわけもない。

 人によって最上が変わってくるのだから、それは仕方ないことであろう。

 まあ、そんなことを言っては、何か発言するのが、大変だよってなるのだけれど、まあ、そうですよ。

 人に何かを伝えるということは、大変です。

 それこそ、賛同を得るには、受け取る側と趣味趣向が合い、論理が一定量ないと馬鹿と思われて終わることもシバシバです。

 しかし、人間、好きなモノのが目の前に現出すると、自分を見失うことがあります。

 とにかく、これが好きなんだから、好きなんだ。 

 これを根っこに話を展開すると、論理もへったくれもないこじつけ話が出来上がります。

 まあ、私のブロマガ等が、その代表例でしょう。

 でもですね。

 私は、それが楽しいんですよね。

 私は、複合的にしっかりと解説されたような、誰もが客観的に納得できるような内容はどうにも疲れてしまい、好きじゃありません。

 でも、読んでケチをつけたがる人って、そこをついてくるんですよね。


 そういう知識が欲しいなら、それこそ専門書を読みふけっているほうが良いと思います。

 まあ、それはそれで面白いからいいんですが、たまに悲しい思いをするのもシバシバです。

 私は、なんというか、トンデモ理論でもいいから、これが好きだから、好きなんだという根っこの卑しい文章が好きだったりします。

 だから、自分で書いていることは、間違っているのだけど、それは、しょうがないことなんだと割り切って行きたいなーと。

 今年は思うのでした。

 と、自分のブロマガを擁護してみる記事を書いてみました。


 

コメント

ねここね (著者)
No.2 (2014/01/03 23:39)
>>1
 ジュノームさん コメントありがとうございます。

 そうですね。感情を吐き出すなら、理解してもらいたいと思うのは人情ですよねー。 理解なんていらねーといって 吐き出しているようなことでも、吐き出した時点で、理解を求めたくなるような気もしますし、それなりの技術は大事だと思います。
 
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