ねここねのブロマガ

情報を改変して発信した側の責任

2013/07/06 11:19 投稿

コメント:7

  • タグ:
  • ねここね
  • アニメ
  • 漫画
  • 情報を改変した人の責任

 先程の記事で触れていなかったが、第一情報を改変して発信した側の責任は、今度はどこに行くのかと言うことである。

 二次創作者の責任の所在である。

 それは改変した情報を受信した側が決めれば良いと思う。 発信した段階で、元になる情報があろうがなかろうが、そこからは、今度はその発信情報に対して、どういったレスポンスが帰ってくるのかを許容する責任は第一情報発信者と同じだと思う。

 そして、改変された内容を不快に思ったのなら、不快であると! 異を唱えるも自由である。しかし、それがまかり通るかどうかは、また受信側が決めることである。

 故に異を唱えること事態は自由だが、それが通らないことに不快に感じるのではなく、それは当たり前のことだ覚悟しておく必要があるだろう。

 ちょっとまってください、捏造しないでくだい、曲解しないでくださいと言うのは自由だが、それを決めるのは受信側であり発信者側に決定権は一切ないのだから。

 にも関わらず発信者側が、受信側に粘着したり、考えを改めてもらえるようにお願いしたりすることがある。だが、そんな事をして説得したりして相手の意見を変える行いに、何の意味があるのだろう? 自分で自分が見えているのだろうか? 見苦しい行為に他ならないと思うのだが、その辺は分かって欲しいものである。

 Aという漫画家いたとする、そのAは作品をBやC、Dと不特定多数の人に読んでもらったとする。それに対して(;^ω^)つまんね!!と言われて、いちいち説得したり、面白さを伝えて理解してもらってどうするんだ? そこで面白さの議論をして相手をねじ伏せても、その作品事態の面白さは向上しないと思う。

 そんな行為は相手を否定して自己を肯定する行為であり、なんの成長性もない。せいぜい守れるのは安いプライドくらいのものだろう。そのプライドが命より何より大事だと言い張るなら、もう止めはしないが、そんな人間を社会が許容してくれるかどうかは甚だ疑問である。

 もっと説得力のある、曲解しようがない完成度の高い、面白いものを作ったほうがまだ建設的である。

 故に発信者側に回ったら、それに対する受信者の言には出来る限り許容して行くスタンスをとり、どうしても我慢できないら、今度はもっと完成度の高いものを作るエネルギーとして有効活用していくほうが遥かに意義のあることではないだろうか?






 言うまでもなく、これはフィクションです。実在する人物とは一切関係ありません嘘っぱちです。


 

コメント

サイジュー
No.10 (2013/07/06 18:59)
いやいや、だから作品自体の評価に関するところじゃくてさ、それは認めてるんだから。

そうじゃなく、このねここねさんの記事だと、「捏造」「パクリ」さえも正当化しているように思えるんだけど。
価値の固定化とか、成長とか関係なく、売り上げのため、社会的評価のため、そしてその作品のために「捏造」「パクリ」に対する抗議すらもダメなの?
ねここね (著者)
No.11 (2013/07/06 21:16)
>>10
 したければ、すればいいとう話になっているのだけれど。それが認めてもらえると思ったら大きな間違いだと述べてるつもりです。

 パクリだ捏造だ! 抗議した。 で、結果、それは相手に認めてもらえなかった。それがそんなに不思議なことなのでしょうか? パクリ、捏造に関しての審議は、抗議することから始まるのかもしれませんが、その結果を判定するのは誰ですか? 法律的には裁判所や、それを審議する場所でしょう。にも関わらず、粘着する価値がぼくには分からんという話です。
 わかりづらい文章で失礼しました。
サイジュー
No.12 (2013/07/06 23:14)
>>11
「捏造」「パクリ」は悪いことだよね。それらを許容するという選択肢もあるけど、しない選択肢もまた自由だと思うよ。
で、裁判所やサイト側に「捏造」「パクリ」を「やめさせる」ように頼むのは現実的に難しい。

であるから、直接の抗議や説得するという方法は理にかなってると思うけど。
それが、粘着と言うと聞こえが悪くて嫌がらせ・誹謗中傷などを繰り返すっていうニュアンスが混じるが、「捏造」「パクリ」をやめさせるという目的のもとだとじっくりと時間をかけた説得とも言えるんじゃないかな。
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事