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チューハイP(のぞみまつき)のブロマガ

祝『大祓詞』30万回再生! チューハイPが語っちゃうよ。

2017/12/01 04:52 投稿

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30万回バンザイ!
 2014/03/09の動画公開から約3年と9ヶ月。2017/11/25にyoutubeで30万回再生を突破しました(ニコニコ動画での再生数は7969回ほど)。
 2017/08/01に25万回再生だったのでおおよそ4ヶ月で5万回再生されています。つまり50000回÷120日で、1日当たり416回(!)も再生されているという事実……ただただ驚くばかりです。

 私のYouTubeの動画再生数ではもちろんぶっちぎりのトップ。参考までに以下2017/12/04現在の再生数は『ひふみ祝詞 』19.4万回、『遊びをせんとや生れけむ』16.3万回、『祓祝詞』15.2万回、『コンドルは飛んで行く』13.9万回、『十種神宝の祝詞歌』12.9万回と続きますが、すごいのは『大祓詞』ってこれらのどれより後に発表したものなんですよね。今も毎日聴いて下さっている皆様のおかげです。本当にありがとう存じます!

 この記事を投稿する時点でも+3900回になっていて、ご愛聴を実感しています。
 ニコ動で200以上、YouTubeでも100以上の動画を投稿していますし、尽きないネタのせいで常に次の作品制作に(アニメ、マンガ、小説などを見ながら)追われているので、これまであまり過去作品の動向を注視しておらず(どちらかというと、特にニコ動で近作が全然伸びないどころか無反応でがっくりでw)、「いつの間にやらたくさん聴かれてるな~」くらいにしか思ってませんでした。

 しかしですよ。wikiによれば神道の信者数は1億2000万人とか(?!)。それが本当ならもっと拡散されて伸びてしかるべき(はず)。30万回? まだまだこれからでしょう! どうか今後ともよろしくお願いいたします。

天才?
 上のように景気の良い数字だけを並べて見てると「あれ? もしかして私って天才なんじゃね? ファンもいっぱいいるんじゃね?」とか勘違いしそうになります。でも大丈夫。最近の作品を見てれば否応なくそうでないのは明白なので。

 天才とは天賦の才能のことで、それは誰しも何かしら持っているものなんだと思います。私の天才(才能/talent/gift)は詞章を曲に乗せるのが得意ってことですが、それを活かしきれておらず、神さま申し訳ございませんって気持ち。努力を惜しまず、その素質を伸ばしていく者のみが真の意味で天才と呼ばれるのであって、才能を磨けず終わればただの凡人なわけで。

 たぶん一貫して祝詞や古典作品のみを発表するなり、一般作品を発表するアカウントを別にするなり、もっと積極的に宣伝活動に努めるなり、ちゃんと音楽を勉強してクオリティアップするなりしたら、結果はおのずと異なってくるんだとは思います。でも生来ものぐさ太郎で、そうする気にならないのでしかたないですね。

配信、CD、広告など
 とは言え、私もこのまま終わるつもりはありません。亀の歩みであっても少しは前に進みたいですし、自分の音楽をもっと世に広めたいって気持ちも当然あります。祝詞シリーズの配信やCD化で収益を得たいという気持ちも。

 日月神示に『清くて富むのがマコトじゃ。(中略)神の道を進むものは、嫌でも金がたまるのじゃ。金がたまらねば深く省みよ。道に外れてござるぞ』とあります。それが成功したら自分が正しい道を進んでいる証明にもなるでしょうし。

 お金自体は、私は独身貴族で、趣味も音楽制作以外はアニメ視聴や読書程度で、大して使わないので、介護職の少ない手取りでも不自由はありません(なので収益化とか急ぐ理由がなくて、面倒でやる気が起こらないという)。でも、もう少し副収入があれば、仕事の時間を減らして休みを増やし、もっと音楽制作に時間を費やすことも可能でしょう。『百人一首』での経験から収益化しても大したお金にならないのは分かっていますけれど。ま、夢を見るのは自由なわけで。

 さらに今は無広告ですが、祝詞シリーズは公益性も高いので、収益化してその半額を災害被災地への募金とかに回せたらいいな、とか思ってもいます。

 もっとも、配信やCD化は、出来栄えに不満が残る『天地の歌 awa-no-uta』や『ひふみ祝詞』などをリニューアルしてからじゃないと嫌ですし、その他のものもどうせならブラッシュアップしたいし、もうちょっと先の話になります。

チューハイ(のぞみまつき)ってどんな人?
 今回ふと思いついてツイッターで[初音ミク 大祓詞]などで検索をかけてみました。直接のレスポンスがあまり無いので、実際の好評や不評を知りたかったのです(まぁ、ジャンルがジャンルなだけに、どんな人間がどんなテンションで作っているのか分からないと、下手に係わったらヤバい奴かもと思われてしまうのは理解できます)。結果、不評はあまり見つからなかったですね。「笑っちゃった」とか「お話にならない」とかもありましたが、私の作品に対する批評かはっきりしない場合もあって(こっちかも?)。

 好評は結構たくさんあってうれしかったです。いいのよ。もっと褒めて。単純なので褒められると調子に乗ってより良いものを作ろうってがんばっちゃいますからね。応援よろしく!
リクエストや質問なんかもお気軽にどうぞ。youtube、ブロマガ、ツイッターなどでメッセージをいただければ、答えられる範囲で答えますので。

 この際なので私がどんな人間なのかもちょっと触れておきましょう。

 私のツイッターを見てる人にはバレバレですが、音楽が作れる以外はダメダメな、マンガやアニメが好きなコミュ障気味の普通のオタクです。日本の歴史や文化は大好きですが、ごく浅い知識しか持ち合わせていません。介護福祉士で介護職として有料老人ホームに勤めてます。ベジタリアンですが、あんまりガチガチの原理主義者ではないつもり(他者に自分の主義を押し付けることはしません)。年齢は非公表ですが、最近お腹が出てきたのがちょっと気になる眼鏡坊主なおっさんです。年齢よりは若く見られますね。ちなみに高身長でもなければイケメンでもありません。

 日月神示と神道のファンですが、家の宗教はキリスト教でしたし、智の塊のような仏教も好き。イスラームにも興味があります。要は宗教や神秘主義の芸術としての美しさに惹かれます。およそ全ての宗教は万教同根で、地球の各地の地理や言語の差異から生じた表現の違いに過ぎないんじゃないかと思っています。霊能力とかは皆無で、心霊現象に遭遇したことはありません。またいかなる宗教団体にも所属していません。

謡う『大祓詞』を作った理由
「なんでこれを作ろうと思った?」って疑問に対しては「作りたかったから」と答えます。
 登山家が山があったら登りたくなるように、私は美しい詞章を見るとどうしても曲に乗せたくなってしまうんです。ジャンル無用で。ほとんど病気ですね。面白半分にふざけて作っているのではなく、100%趣味で、いたって真剣に本気で遊んで作っています。

「どんな思いでこういう曲を作っているか」という意味だとしたら、仮想敵であるキリスト教の聖歌や賛美歌への対抗意識もあります(と言いつつ敵に塩を送ってたり12)。あちらには名曲が山ほどあって、こっちには無いなんて悔しいじゃないですか。いち日本ファンとして、いまいち存在感の薄い神道をもっと身近なものにしたい。好きになってもらうために応援したい。同志を少しでも増やしたい。そんな気持ちもあります。

理想の「和」の音楽を求めて
 あとはですね。私はケルト音楽やフォルクローレをはじめとする民族音楽全般のファンなのですよ。しかしそれらを聴いて好きになればなるほど「なんで日本にはこういう音楽が無いんだ!」って歯がゆいんですよね。いえ、正直に言えば純粋にうらやましくて仕方ない。

 私は現在あまり積極的に音楽を聴かなくなってしまいましたが、ハマっていた当時はワールドミュージックとしての和の音楽は姫神(以下敬称略)がひとり気を吐いておられた印象です。亡くなられたのが本当に惜しい。ただ、姫神は好きだけど、縄文語は(アリだけど)ちょっと反則かなあって。ファンタジー色が強すぎて日本モノとしては遠く感じてしまうから。

 あとは芸能山城組くらい? でもあれはあれで日本色はあまり濃くないですし。
 BIGINや元ちとせ等、島唄系の歌も好きですが、静岡県人としては乗り切れないところもあります。やっぱ本土の人間はどうしても部外者になってしまうわけで。

 東儀秀樹の音楽は理想に近いですね。特にファーストアルバムの越天楽幻想曲。「昔の日本人がこんなにも素晴らしいオリジナルメロディを作っていたのか」ってガツンとやられました。ただ、歌物が無いのが非常に惜しかった! 「楽器なんてできないから! 歌いたいんだ私は!」ってなりました(当時はネットも見れず越天楽今様に立派な歌詞があることを知りませなんだ)。

 そういう意味で川井憲次の謡こそは、ほとんど当時思い描いていた理想そのものでした。「これだよこれ! 大和言葉! こういうのが聴きたい!」って大興奮しましたね。
 でも、川井氏はこういうジャンル専門の作曲家ではないので好きになればなるほど「もっと聴きたい! 新曲が欲しい!」ってなりまして。結果セルフサービスで作り始めたわけです。

祝詞に至る道のり
 それで模倣して作ったのがこれ↓

 もっとも作った当時は歌詞と曲だけ。こんな風にボカロ版を自分で作ることになるなんて思ってもいませんでした。

 その後作った↓は『ずいずいずっころばし』がもとになってます(歌詞はオリジナルですが祝詞からの引用も)。


 しかしオリジナルの大和言葉の歌詞を考え続けるのはハードルが高かった!「だったら古典作品に曲を付けちゃえば楽じゃん!」と思いついて↓が生まれました。『遊びをせんとや』とかもこの頃ですね。
 

 天津祝詞↓もその延長線上にあります。日月神示との出会いから祝詞や神道に興味を持ち、図書館で延喜式祝詞をノートに写して、それをワープロに入力してプリントアウトして喜んでましたっけ。
 

 もっとも、当時はこの長さの古語の詞章に、祝詞に、メロディを付けられる自信なんてまったく無かったです。ただ毎日少しずつ口ずさんでいたら、いつの間にか最後まで歌い切ることができて、自分でも驚いた覚えがあります。まだ曲付けの方法論が自分の中で確立していない時期だったので、普通に奇跡だと思いました。それだけにそれを世に出すことができなくて、もやもやしていたわけですが。ミクさんと出会って発表できた時は本当に嬉しかったですね。

現在の「和」の音楽に欠けているモノ
 以上のように、私が祝詞に行き着きそれに曲を付けたのは、理想の音楽を追い求めた結果の成り行きではあります。でも、私はケルト音楽の中でも特にIONA(キリスト教系ケルトロックバンド)が大好きで、信仰に基づいた真面目な、しかし退屈とは程遠い楽曲の数々に魅了されていまして。「日本でもこういう方向性の音楽が作られたらいいな」と常々思っています。

 ケルト(アイリッシュ)の純粋な伝統音楽も名曲ばっかり(例として適当かどうかわかりませんがANÚNAとか美しすぎて嫉妬すら起こらない、というか嫉妬しかないというか)で。そういう強固極まる伝統が土台としてあるから、子供のころからそれらに触れている人も多く、裾野も広がって、現代でも名曲が生まれ続けていく。そういう良い循環が出来上がっているように見えるんです。

 ひるがえって日本はと言うと、大事なところがぽっかり抜けているように感じます。
 音楽のルーツは宗教音楽、信仰に基づく祭りの音楽じゃないでしょうか。大地に根付いて生きる人間の、自然に湧きおこる感謝の、喜びの表現としての音楽。日本の音楽も例外ではないと思うのですが、伝承が途絶えてしまったものも多く、真の意味での古謡はほとんどないに等しいのが現実です。(雅楽で伝承されているものは多少ありますが聴いてあまり面白いものではないし、中世の梁塵秘抄もメロディは失伝してしまっているし)

 かつてに比べれば和風曲(勝手に「やまとのかぜのしらべ」と読んでいます)を作る人たちも増え、楽曲も数多くなりました。が、このジャンルをもっとポピュラーなものにするためには、古典から振り出される、現代人が唄って楽しい歌が絶対に必要。そう確信しています。
 インストゥルメンタルもいいんですが、やはりみんなが気軽に口ずさめる歌物じゃないと、なかなか流行を呼び込むのは難しいでしょうから。

 そんなわけで、私の祝詞や古典シリーズは、その欠けているところを少しでも補完し、新たな伝統を築くための一助になりたいと願って作っています。素人作品なのでクオリティが残念なのは百も承知ですが、これらを叩き台にして、いつかもっともっと素晴らしい音楽作品を未来の誰かが生み出してくれたらいいな。そう思っています。

 祝詞は(シチュエーションを選ばないと)ちょっとアレかもですが、百人一首とか万葉集とか梁塵秘抄を口ずさむ日本人って最高にカッコよくないですか? いや絶対カッコいいよ!!

最後に
 後世に残る歌を作りたい。それが私の夢です。もしかしたらこれらの歌がその夢をかなえてくれるかもしれない。そう期待しています。

 しかしこれはあくまで過去の作品。いち創作者としては常に次の作品が自分の最高傑作になるよう全力を尽くしていく所存です。再生数という尺度では、この大きすぎる壁を、自分の作品で超えるのはちょっと難しそうですが、少なくとも自分の中の物差しでは負けないようにがんばってまいります! 応援よろしく!

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