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映画「ウォーリー(WALL-E)」(2008年) 日米CGアニメ対決から見える物語の強度

2015/05/02 15:00 投稿

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AIR です。

今回のお題は、2008年公開、ピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・
ディズニー・ピクチャーズが製作した映画「ウォーリー(WALL・E)」です。

今回ほど「対象年齢」を意識してアニメを見る体験は今までにありませんでした。
もし私が「3歳児」でしたら喜んだでしょうし、家族と見ていれば大きくなって
から思い出の一つとして「思い出の映画」の形で記憶できましたが、残念ながら
日本のアニメに毒された「今の私」は「ハイクオリティのCG」と「コミカルな
キャラ」だけでは大人からクレームが来てもしょうがない内容として「対象年齢
を明記していなかったことが敗因の映画」とまとめてしまう年齢になっています。
本作は日米のスタンスの差を考えさせてくれましたが、幼児ではなくなった私は
正面からは観られない立場ですから、日米の「CG映画」「ロボットアニメ」の
比較の視点から読み解いてみます。それでも映画「ウォーリー」は本来の対象の
視聴者が大人になってから見直したときに発動する「すごい」と感じる仕掛けが
ありますため、対象年齢外になっていても読み方を知ることで楽しめる映画です。


映画館の大スクリーンにフォローされる形で「見世物」として成功しているのは
有名ブランド「ディズニー/ピクサー」だから「名作に違いない」と信じている
視聴者の先入観と期待を裏切らないようブランドの価値が守られているからです。
親が安心して子守に使うビデオがほしいときはディズニーの棚から選べば間違い
は起きません。しかしながら作り手の「世界に輸出できる内容にしたい」という
下心は作品を「無難」に仕上げることを現場に要求します。そして残念なことに
日本の子供たちは、子供時代からTVをつけるだけで日本のアニメという強烈な
個性と作家性を持つ作品を見て育っていますため、「無難」なものを出されれば
「子供向けと子供だましは違う。アニメをなめるな」と怒り出してしまうのです。
さらに言うと本作のジャンルはロボットアニメですがロボットアニメが世界中で
最も発達した国は日本です。しかし日本人は好き好んでロボットアニメを作って
きたわけではありません。「アニメ制作会社が漫画や小説の原作をアニメ化する
権利を買えなかった」という金銭的な事情から仕方なく絵空事のロボットアニメ
を作り続けているうちに異能者が革新的な作品を世に放ってきた歴史があります。

「無難」を提供するディズニーには日本の子供がTVのスイッチを入れるだけで
見られた類いのストーリーで惹きつけることができません。例えば日本の子供は、
「敵性宇宙人の手で友達が人間爆弾に改造される話」など人生の理不尽や差別を
容赦のないストーリーを通じて学んでいますから無難な内容が通用しないのです。
本作の画面が目を瞠る3DのCGで構成されているのに対して、日本のアニメが
今でも手描きを続ける理由には「かわいい」の需要もありますが「作画枚数」と
「演出の意図を認められる場面にしかCGを使えない」といった予算上の都合が
強くあります。「静止画の多用」に申し訳なさを感じた作り手により提出された
「極上のかわいい絵」が日本のアニメ市場に美少女が氾濫する状況を作り出して
しまいましたが「魂の入った一枚絵」は「視聴者の心を鷲づかみにする気合」が
感じ取れますため「大予算で制作されたCG映画」を見た日本のアニメファンは
「国力の差」と可愛げのない皮肉を返すのでした。日本のアニメに毒される前の
児童でしたら主役ロボットの「ウォーリーとイヴのコミカルなキャラの動き」を
素直に喜ぶのですがその時期の年齢を過ぎて視聴したことと記憶にあるパーツを
寄せ集めて作ったようにしか見えない陳腐なストーリーは私に「対象年齢外」の
疎外感を与えます。ストーリーの善し悪しは作家の情熱や才能に左右されますが、
本作はオマージュに懲りすぎて「新しさ」への挑戦を放棄したように見えました。

CGアニメの面からの比較を行ってみます。日本のCGアニメといえば代表的な
ものに超低予算のフラッシュアニメ「秘密結社 鷹の爪」という作品があります。
映画館で流れていたものを見たくらいの知識しかありませんので題材に選ぶには
不適切かも知れませんが、おもしろかったという印象があります。内容が伴えば
低予算でもCGアニメは成立します。それではウォーリーがこの低予算の画面で
通用しましたか? という問いに冷静に答えようとすると、「無理」という顔を
作るしかありません。アニメを構成する要素のひとつである「ストーリー」には
「強度」があります。その「ストーリーの強度」がウォーリーには不足している
のです。そもそも「秘密結社 鷹の爪」は異端なアニメです。アニメの制作には
一定の予算が必要なのですが、越えてはいけない一線を越えたアニメは作画崩壊
もしくは「秘密結社 鷹の爪」の画面のクオリティになって放送事故が起きます。
日本のTVアニメは低予算ながらも越えてはいけない一線を越えることなく週一
の放送を落とすこともなくTV局に納品をできているのは意欲的な職人によって
作られているのもありますが、アニメの設計図の第一弾の「脚本」を割と自由に
書けるのが主たる理由です。「無難」であることを厳しく求められていなければ
「挑戦」ができます。低予算のため画面は貧しいながら「とんでもない作品」が
ときどき現れる背景には「作家の個性を尊重する業界」がありスタッフの名前を
覚えるほどにアニメを愛しすぎているアニメファンが市場を支えているからです。

映画「ウォーリー」の世界観に惹かれた方には、日本のOVA「メガゾーン23」
をおすすめします。地球環境と機械と人間を題材にした容赦のないストーリーの
アニメですが、ヒロインの名が同じ「イヴ」なのは参考元だからかも知れません。
宇宙に放たれた種子が選別されて帰還した未来で支配から脱する人類の物語です、
と一文にまとめても伝わりませんので全3作を通しで視聴していただきたいです。


それでは本編の分析を行ってみます。主役のウォーリーが欠陥ロボットだったと
いう設定は最後のシーンで判明します。ゴミ掃除ロボットながらもお気に入りの
ゴミを自宅にコレクションしているのはロボットに自我が目覚めていたからです。
ウォーリーは一目惚れをしたイヴに喜んでもらいたくて、コレクションを見せて
いきますが呆れられて相手にされません。ガラクタを宝物にする習性がある男子
には痛い風刺ですが、このウォーリーが持つ個性が異常な状態であることは終盤
で明らかになります。宇宙船と共に地球に帰還したイヴは、故障したウォーリー
を彼の自宅に運び修理を施します。ほとんどのパーツの交換が行われましたから、
ロボットとしては再稼働が可能です。しかし「正常なお掃除ロボ」に戻ってしま
えば「不具合として発生した自我は消滅します」から、イヴを無視してお掃除の
仕事に向かおうとします。ウォーリーの欠陥とは700年間のどこかで発生した
「執着心」です。ゴミ掃除の仕事中にお気に入りのガラクタを見つければ自宅に
溜め込む習慣はゴミへの執着心ですし、植物を採取したイヴが回収されたときに
宇宙へと飛び出してしまったのも「一目惚れをしたイヴへの執着心」だからです。
スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」から引用されてきた
リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」のBGMは人間
と宇宙船が「ロボットの反乱」で戦うクライマックスのメタファーになっており
ますが、古典からの引用ですから幾度となくこの展開を見てきた視聴者にとって
「予想を裏切らないストーリーは陳腐」に感じてしまいますため、ウォーリーの
制作者は工夫を凝らすべきでした。またパーツの交換で自我が失われた人工知能
に自我を取り戻させる仕掛けが「お姫様からのキス」なのもあまりにも安直です。

対象年齢を低めに設定してあったとしても、子供といっしょに観る親の気持ちを
考慮すれば「機械は部品の交換で修理ができますが失われた機能は戻ってこない」、
それでも「イヴは、旧世代のお掃除ロボのウォーリーを愛しました」の展開でも
無難なハッピーエンドになりましたが本作は対象年齢が低めのため鉄板の進行で
あることが「伝わりやすさ」になりますから、人類による文明の再興に合わせて
エンドロールに入る構成になりました。日本のロボットアニメのように視聴者の
心に傷を植え付けないのがディズニー社の制作スタンスではあるのですが、その
ような造りに「これでいいのか?」と頭を抱える視聴を要した映画でありながら、
本作のエンドロールは退屈で眠たい本編に反して出来が良くて驚きました。人類
の歴史の再生の様子を絵画の手法の歴史に対応させて描く演出が採られています。
壁画のようなものから始まり鉛筆デッサンになり水彩画になり油絵になり印象派
の手法になり最後にウォーリーとイヴが見上げる大木が地球に帰還するきっかけ
になった最初の苗木と明かすのは本作品最大の感動のポイントになっております。

スタッフの名前を流すことが目的のエンドロールには想定した対象年齢の子供に
媚びる理由がないため「対象年齢外」の私でも楽しめました。それにしても映画
の最後を締める「BNL社のロゴ」が意味深長です。「人類は、自我に目覚めた
機械との戦いに打ち勝ちます。地球で文明を再興した暁には、覚醒した我が社の
ロボットとも共存をしています」の予言のメッセージであり「旧世代ロボットの
ウォーリーが執着心=愛」を獲得したのもプログラムの内と読んでしまうと人間
を怠惰にするばかりの宇宙船のメーカーBNL社には空恐ろしいものを感じます。
エンドロールでも席を立たない視聴者は最後の1カットからウォーリーが自我を
持った状態を「ロボットのエラー」から「人類が自立する水準に達したときには、
ロボットとの共存共栄が可能なため、当初からAIに仕込まれていたプログラム」
に理解を切り替えることになります。作り手の意図は「子供であるあなたがこの
映画をエンドロールが終わるまで観られる年齢になって再び見直せば別の解釈に
化けますよ」にあって「1カットを見逃せば誤読の罠」にプロの演出を見ました。


今回は私にとって初めてのピクサー作品でありましたため良さがわからなかった
のかも知れませんが、この規模のフルCG映画は大予算プロジェクトになります
ため過去に好成績を収めた映画の制作会社なのは確かですし、本作の視聴は日米
のアニメに対する制作スタンスの差を考える機会になりました。日本のアニメが
対象年齢に徹底して媚びられない理由は、商品の購買力のある大人に物を売って
いかなければアニメという斜陽産業を維持できない事情があるからです。世界を
マーケットにしているディズニーを真似られない理由は日本が日本語で思考する
国であることも一因ですが、国産アニメが「総鷹の爪化」しないようにするには、
同じく「総ウォーリー化」しないようにするには、子守に使えるアニメの売上を
ディズニーに譲ってでも日本人が日本人らしい作風を捨てないことだと思います。


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