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映画「クレヨンしんちゃん  ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」懐が深い万能の器

2015/04/25 15:00 投稿

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AIR です。

今回のお題は、2014年公開、TVアニメ「クレヨンしんちゃん」22作目になる
映画作品「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」です。

今回の脚本家は「中島かずき」さんです。冒頭のカンタムロボ劇場版からわかる
ように、スポンサーからドリルが期待されるドリルで有名な脚本家です。通常は
しんのすけがお父さんと見ている映画のシーンはカットされますが、映画は本編
全体のメタファーでもあるため、アニメ映画の鑑賞が初めてという人でも作内の
映画で予習をさせる構成にて本編を予備知識なく楽しめる仕掛けになっています。
オーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」と同じく回想が既視感を与える手法です。
また、ロボットを操縦する声優が勇者王の檜山修之さんですから、最初に日本の
ロボットアニメの真骨頂「必殺技の叫び」を体験した視聴者はテンションが上昇
します。作り手は受け手が画面に没入できますよう物語の展開にあわせた演出を
行い感情の波を動的にコントロールしています。これがプロのプロたる所以です。

なお、ドリルは脚本家「中島かずき」の特技ではありません。中島かずきさんを
有名にしたガイナックスのアニメ「天元突破グレンラガン」監督の今石洋之さん
のネタでしたが、売れっ子の中島かずきさんに依頼するスポンサーが毎回ドリル
を期待するものですから「仮面ライダーフォーゼ」では特撮業界にまでドリルを
輸出する結果になったのです。ただ、中島かずきさんの前職は漫画編集者であり、
円錐型ドリルの布教元の漫画「ゲッターロボ」の作者である石川賢さんの作品を
世に送り出して来た張本人ですから、ゲッター2の武器に批判的な理由はありま
せん。故人への敬意もあって、ドリルを各所に越境させる重大な使命を担い実践
しています。この脚本家の特徴は、絶妙なテンポのバラエティ番組感にあります。
オープニング主題歌では原作者に続いて脚本家の名前がクレジットされています
ため「脚本 中島かずき」が集客の要とあって避けては語れない道です。以上の
理由から同脚本家トリガーのアニメ「キルラキル」と同じ性格の映画になります。


それでは本編です。今回の主人公の野原ひろしが終盤にて演歌に反応するシーン
がありますが、元独身で35歳を自称しています。現代の35歳の男性が演歌に
反応するか? といえば疑問です。調べてみると原作漫画の連載は1990年に
開始されています。この漫画が時間が経過する作品であればとーちゃんの年齢は
劇場公開の2014年で59歳を迎えますから、作者の臼井儀人さんの感覚から
作られた35歳の平凡なサラリーマン像は寒いギャグを飛ばして演歌に反応する
冴えない二児の父親です。同じ設定でも現実の男性は、アイドルかAKB48か
ボーカロイドかアニメの主題歌に反応を示しますから、「演歌に反応する父親像」
の描写は現代では違和感を抱く場面になるため本編を読み解くヒントになります。

この映画の恐ろしいところは、序盤シーンの「目が覚めたら、ロボにされていた」
という衝撃の展開です。画面のアニメの見せ方に支えられたおもしろさと状況は
対極で、本作品の怖さの本質は「帰宅した父親が、ロボになっていた」の場面を、
「しんちゃんならありえるよね」と普通のギャグとして受け入れる視聴者の感覚
にあります。そのため、正常であるはずの「みさえの恐怖感と拒絶反応」を逆に
「みさえが冷たい」と見てしまうわけです。視聴者と登場人物の感情の温度差を
計算した演出ですから「ロボでも夫という状況を受け入れていくみさえ」の変化
に安心ができる設計になっています。その点においては、しんのすけの柔軟性は
子供という年齢もあってロボットの玩具よりも実物のロボとーちゃんを選びます。
そのため本作のジャンルはホラーでなく一般家族向け大衆アニメに固定されます。


この映画は、「アンチ父性」がテーマです。「父権が喪われつつある日本社会に
ロボット軍団で宣戦布告をした男の話」ですから、父権はきちんと否定されます。
なお「父権」とは「父親」や「男らしさ」に基づく、家族支配の強権のことです。
権力の根拠は父親たちの暴動シーンの主張から見られるように懐古的価値観です。
ところで父性は今の日本にも必要なものでしょうか? 妻や娘から邪魔者扱いを
受けた日々がラスボスの犯行の動機でしたから、庶民感覚では「不要」と思われ
ています。しかしテーマは「アンチ父性」ですから、問いかけ自体が自問自答の
構造になっていますため、作劇の都合からみれば、「父性は否定されるが、別の
意味では必要性が求められる」の解答が、脚本家から提出されるはずです。その
視点からこの映画を見ていけば、「しんのすけはいかにしてロボとーちゃん離れ
ができるのか?」を追いかけることでテーマに対するアンサーを見つけられます。

本編中にはオマージュ元として「ターミネーター」という単語が看板に表示され
ますから読み手に親切な演出といえます。その「ターミネーター」という映画は
ジェームズ・キャメロン監督による、全2作のSF映画です。1作目と2作目を
対照的に眺めるとわかりやすいのですが「生身の本物の父親と、マシーンの関係
上だけの父親と、どちらが父親としてふさわしいか?」を主人公のジョン少年の
母親は悩み続けます。最初は拒みながらも最後には受け入れるのはみさえも同じ
です。しかし偽物に居場所はないため、最後には「自らの意思で自らを放棄して」
譲った形で生身のひろしが父親の立場に落ち着きます。これが本作における父性
への解答になりました。ラスボスは「社会が悪い!」と反乱を起こす前に家族に
きちんと向き合うべきでした。ラスボスには家族と話す勇気がありませんでした
が、野原家は家族で困難に立ち向かったからこそ以前より強い関係を再構築でき
ました。その関係は「家族」から「戦友」とも言い換えられるくらいに強固です。


それでは最初からロボとーちゃんの居場所はなかったの? と見てしまいがちで
はありますが、視聴者には「マシーンへの誘惑」という挑戦状が差し出されます。

エネルギーがなくなるのは共通ですが、「超有能なサラリーマンであること」や
「不眠不休でも不死身の肉体」や「掃除や料理など家事も万能で疲れ知らず」や
「以前よりも子供と向き合う父親」ができる機械の「いったい何に不満があるの
でしょうか?」と、この作品を子供と二人で映画館まで見に来ている女性は詰問
されます。コンピューター頭脳を博士に支配された状況でも「しんのすけが最も
嫌がるもの」をピーマンであると覚えていたロボとーちゃんは、「愛情の面でも
本物に負けていません」し、なまじ偽物であるがゆえに本物であろうと思い込む
意思があることと生身のとーちゃんは自分の立場に胡座をかき「父親になろうと
努力をしていない面」を比べても「より本物に近い」と言えます。それでもロボ
とーちゃんは敗北します。その敗因は明快です。「妻から愛されないから」です。

受け入れられる存在にはなれましたが愛されなければ夫婦にはなれません。両親
の間に愛情がなければ子供の性格が歪みます。しんのすけとはみさえの子供です
から宝物です。しんのすけ至上主義で見れば、みさえの選択に迷いはありません。
そのため男児には魅力的なロボとーちゃんでしたが、母親が苦しむ姿を見たくは
ないというのが子供心ですから、しんのすけもロボとーちゃん離れができました。

見終えてみれば、野原家が家族の結束を確認するための試練が本作の趣旨だった
ことがわかります。題材は別のものでも成立しました。「誘惑」の対象が「オラ
の超金持ちクローンとーちゃん」でも、やはり偽物が否定される展開になります。
本作は「現代における父性とは?」を問いながら、その実「母性は自己犠牲の上
に成り立ち、家庭は子供の養育至上主義」より、映画のボリュームゾーンが主に
「子持ちの母親」であることがわかります。「妻として母親として、何をすべき
か? 何を選ぶのが正解か?」を常に自問しつつ、時には夫ともよく話し合いを
重ねて家庭を守っていくことで、「映画館で目撃した通りの野原家のような幸福
な家庭をあなたにも作れます」の提言になりました。万能で不死身で理想の男が
現れたとしても、子供の養育に良い仕事ができるのは本物の生身の父親だけです。
「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」はその真理を視聴者に伝えた映画なのです。


好みが演歌だろうがドリルだろうが、子供が喜んでくれるなら、その映画を二人
で観に行ける親子が良き家族です。「クレヨンしんちゃん」という作品はマクロ
の時間が進まない構造のため、TVシリーズが長寿番組になったことで実社会の
世相と格差が出てきました。今このような映画が作られてしまう背景には一家の
大黒柱の収入だけでは妻子を養えなくなった国家規模の切迫した貧しさがこの国
の現実の問題としてあるからです。視聴者の日常が「焼け野原家」であるために、
「野原家」を理想の家族像の幻想として、映画という見える形で出せたのでした。
家族を語る以前に結婚すらできない若者たちが視聴者の何割かを占める現代では、
作り手が提示した「我が子の愛おしさ」の価値観の共有は困難にも思えましたが、
独身のアニメファンが、「冴えなくたって、二児の親父の人生も悪くはないかな」
と憧れたのも事実です。アニメ「クレヨンしんちゃん」はキャラの内面を空の器
にしたことで、どのような奇想天外な企画でも受け入れられる懐の深さを持てる
作品になりました。中島かずきさんの無茶ぶりな脚本でも最後まで破綻を見せず
に進行できましたからその万能性がアニメという表現の可能性を実証しています。


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