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アニメ「けいおん!」中野梓は何者か? 作り手と受け手が交感した先に在った景色

2015/04/11 15:00 投稿

コメント:6

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AIR です。

今回のお題は、2009~2011年のアニメ「けいおん!」を今ごろ視聴した
私が「いったいあの体験は何だったのか・・・?」という視点から語ってみます。


まさしく今ごろであるため、当時は話題性が高かったアニメですが周辺の情報に
ついて知りません。1期「けいおん!」2期「けいおん!!」「映画けいおん!」
の3作品を通して得た情報から読解をします。アニメの内容についてはいろいろ
な書籍で解説され尽くされていると思われますため前提の部分から話を始めます。

各登場人物の家庭に両親はいますが、作中には登場しません。おこづかいが不足
と言っても金銭面の不自由をしていません。多少のリアリティを出すために楽器
が高いという感覚が描かれた場面はありますが、主要メンバーの部員の女の子は
先生に守られていて、両親からも守られています。5人の幸福な女子高生たちは
苦労なんてものとは無縁です。お茶ばっかり飲んでいて練習をしないのに楽器を
上手に演奏できますし受験生としても不幸な結末はありません。脚本が徹底的に
排除しているのは「不幸と苦労」です。しかしこのアニメは、少女たちを愛でる
ものではありません。アニメという枠のケージで飼っているペットを眺めるもの
でもありません。4人の少女が明確な意図で、視聴者に語りかけてくる作品です。


1期は売れるタイトルであるのかほとんど見込みがない中で1クールの予算しか
与えられなかったスタッフが駆け足で作った印象があります。1期が予想外に稼
いでくれたおかげで2期は十分な予算と期間を得ることができたため、「!!」
からが「けいおん!」の順調なスタートです。そして有能すぎる脚本家の才能で
とんでもないアニメになりました。しかしそのとんでもなさは、視聴者の理解を
超越してしまっていた可能性があったためフォロー目的の劇場版が作られました。

作り手が狙った演出と思えない部分から偶然の書き出しに感じますが、スタート
とゴールに美しい対応関係ができています。1期1話が「翼をください」の演奏
であり、2期最終話は「天使にふれたよ!」である理由は映画において明らかに
されますが、映画は「!!」の終盤が「中野梓をフィーチャーした脚本で主体を
入れ替えた話が中心」でしたが「彼女の違和感」が伝わりづらいため同じ場面を
別視点から描き直す必要がありました。最終話の後の番外編でパスポート取得が
あるのは映画でロンドンに行くための伏線です。ロンドンであるのは、おそらく
現象としてビッグになってしまった「けいおん!」を映画館で上映するにあたり、
パンチのきいた広告を出さないと集客ができないからのアイディアなのでしょう。

そのためロンドンのシーンは印象的ですが、尺としては短めです。何しろ本筋は
お世話になってきた「あずにゃんへの贈り物を探す旅」です。けいおん部らしく
音楽を梓に贈ると決めても時間がかかり、最後の最後の最後の場面で「梓=天使」
だったことを、ようやく発見します。視聴者は曲名が「天使にふれたよ!」だと
後に知りますが、スコアには記載がありません。曲名は、どうでも良いからです。
しかしその演奏はけいおん部員4人にとってもっとも緊張する舞台になりました。
TVシリーズの学園祭やライブハウスや映画のロンドン野外ステージでの演奏の
どれよりも、梓にプレゼントする曲の演奏がもっとも緊張する演奏だったのです。


アニメ「けいおん!」は「翼をください」から始まり、身近にいた天使を再発見
したことで「翼を与えられたお話」です。アニメ作品としては1期2期41話で
完結をしているため劇場版は本来は不要です。ただし、作り手の視点からの意思
を伝えるために劇場化は必要でした。「けいおん!」というアニメは結果として、
TVシリーズでファンをTVの前に拉致監禁する魅力を持った作品の形で提供が
されてしまいました。作り手が努力した結果、「けいおん!ショー劇場」依存の
引きこもりが増えてしまったのです。そのために「脱・引きこもり対策」として、
スタッフは大人の責任を取ることになりました。「円盤を捨てて劇場へ行こう!」
と声をかけなければならなかったのです。そのための映画ですから通常の作品の
「映画化」という前向きな姿勢では「けいおん!」の映画版は起ち上がりません。
「アニメファンを映画館に連れ出す目的の方便」のため、映画館で上映する形式
に意味があるのでした。話題作の知名度から「映画けいおん!」のみを見て評価
を下すのは早計です。「!!」の終盤との対応関係から読まなければなりません。
HTT(放課後ティータイム)の5人の少女たちが海外進出をしたようにアニメ
ファンも映画を映画館で見るために、自分の部屋から出なければならないのです。

そして映画では、ついに画面の中に唯の両親が登場します。それは「リアル」の
提示です。ここまで精神的にも経済的にも陰ながら支えることに徹底してTVの
画面から排除されていた存在に鉢合わせて驚かせたこの仕掛けは「視聴者である
あなたも現実へ帰れ!」のメッセージです。TVシリーズでTV画面に釘付けに
してしまい、これは良くないと劇場へ足を運ばせたスタッフは、ついに「親」と
いう現実の欠片を本編に投入しました。それでは、これまで「けいおん!」関連
のビジネスを支えてきたのは誰でしょうか? 円盤やグッズを買い支えてくれた
のは紛れもなくアニメファンたちです。しかし「映画けいおん!」で作品は本当
に完結してしまうのですから「あなたたちも人の親になれよ」とのメッセージを
突きつけられた者は「大人向けのアニメ」のフィギュアを眺めて人生を諦めるの
ではなく「自分の親との関係に向き合う」か「自分が親になる」しかありません。
現実の回帰を頑なに拒むのであれば2期最終回を無限にリピート再生する行為で
徹底的に「苦労と不幸」が排除された「絵空事の物語」から離脱しないことです
がその態度は「アンコール」を「映画」で応えてくださった作り手に無理解です。


それでは最後に、なぜ中野梓こと「あずにゃん」でなければならないかに触れて
みます。「けいおん!」ファンは梓と同じくけいおん部のメンバーの演奏に感銘
を受けました。軽音部の音楽が好きなのです。梓は最初からいたキャラではあり
ません。4人に追加された後輩です。しかし5人にはなりません。4プラスワン
でした。これはそのまま、HTTの4人と視聴者の私たちとの関係に当てはまり
ます。梓は学年の差こそありますが、先輩たちが好きなのに馴染めないままです。
「唯先輩、抱きつかないでください!」と拒絶したり「あずにゃんLOVE」の
メモに「こわいっ」とドン引きする純真な女の子です。HTTが常に5人で行動
をしながら4プラスワンであるのは、梓が視聴者とHTTのメンバーとの架け橋
からの視聴者の代理人もしくは、ユーザーインターフェースの役目を負っている
からです。そのため最終回にて卒業式を終えた先輩4人と過ごす最後の放課後で
梓はわがままを言います。駄駄っ児です。「お茶ばかり飲んで練習しなくたって、
部室が片付かなくたって」それでも視聴者の代理人として梓は「卒業しないで!」
を泣きながらアニメの作り手に伝えます。唯は昔の写真を梓にプレゼントします。
それは「新作はないけど円盤の記録はあるから寂しくなんてないよ!」といった
慰めです。そして「素直になれた梓へ=あなた=天使」に贈り物が届けられます。

与えられたものだけで満足をしていませんか? 作り手に「もっと見せてよ」と
わがままを言いたくなる瞬間があったのではありませんか? 梓はそれをやって
みせてくれました。作り手は視聴者のその声に対して歌で触れてくださいました。
梓と4人の最後のシーンを振り返り「いったいあの体験は何だったのか・・・?」
と考えてみれば「もっと見たい」「今までありがとう」のやりとりから作り手と
視聴者の間にコミュニケーションが生じていたと知れます。信じがたいことです。
なぜならアニメはリアルタイムで制作されていません。しかし、梓という媒介を
用意し視聴者の代理人を画面に登場させたことにより「けいおん!!」の脚本家
は作り手と受け手の交感という特異な瞬間を視聴者に体験させてしまったのです。
これがスタッフロールの場で「天使にふれたよ!」の曲名が告白される理由です。
どうにも馴染まないキャラを視聴者の代理人に設定し直す発想転換の賜物でした。


そろそろ「中野梓は何者か?」の命題に答えてみましょう。あずにゃんを演じて
きたのは声優の竹達彩奈さんです。アニメファンは彼女の声を通して画面の中の
4人の女子高生と「私立桜が丘高等学校」の高校生活の追体験をします。そして
最終回で「卒業しないで」「アニメ終わらないで」のわがままを言い「!!」は
唯の「私たちの曲、聴いてくれる?」で幕を下ろします。しかし、この時点では
「映画けいおん!」が決まっていましたから、あの「おしまい」は八百長でした。
HTTは「平沢唯」「秋山澪」「田井中律」「琴吹紬」の4人で1つの集合です。
本当のおしまいは、「映画けいおん!」の最後の画面の合流でようやく4プラス
ワンの立場から5人目になった中野梓が、視聴者のユーザーインターフェースを
解任されて、アニメのキャラに戻った時点です。ゆえにTV画面の表面に隔たれ
中に絡めなくなってしまった私たちは、スタッフのメッセージに手伝われ現実に
引き戻された実存の人間であることを知覚しつつ「おしまい」を見送るのでした。


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最後まで見てくれて、ありがとうございます。

コメント

AIR (著者)
No.5 (2020/03/03 06:45)
コメントありがとうございます。

今でもアニメ「けいおん!」シリーズを「良かった」と言ってくれるファンがいるのですから、制作された方々も作家冥利に尽きると思います。こういう話は人によっては面倒かもしれません。本稿は「何となく良かった」の感想を突き詰めると見えるようになる景色もあるよっていう「見方」の話です。

この作品において「あずにゃんが格別にかわいい」と感じたうえで他人とは思えないくらいに親しみを覚えてしまうのは、「中野梓」という道を通ればアニメ内部へと容易にアクセスできる登場人物として計算尽くで用意されたからで、私はこれを『インターフェース理論』として語ってみました。

これは理屈の話ですから、作品そのものの感想は「良かった」「楽しかった」など、それぞれ視聴者の心にあるものが正解であり誰にも否定されないものです。私が気に入った作品を他の方も、それぞれの想いを抱いて気に入っていると知ることができて良かったです。
こてすぃ
No.6 (2020/03/18 17:19)
HTTが練習をしていないってことはないですね。練習するシーンが描かれることが少ないというだけで、2期第6話で憂が「ギター買ってから毎日練習して...」と言っていたり、第16話で律の家にボロボロになった雑誌があったりと、練習していることを示唆するカットはところどころに存在します。本論には関係ありませんが念のため。

AIR (著者)
No.7 (2020/03/18 23:41)
コメントありがとうございます。

ご指摘の通りです。ゆるい雰囲気を醸し出す画面にするため、スポ根アニメのような熱さが見えないように表現されていますが、きちんと練習していますよね。

主人公の唯以外は経験者のため「楽器練習は習慣」ですので、セッションの時間に練習できないことにイライラしていますし、唯にしても「視聴者には見えないところでは楽器を触っています」。ここが演出のポイントですね。このアニメが「印象として練習していないように見える」その理由は、おそらくこういうことでしょう。

本作は「けいおん部メンバーが好きな人と集まり好きなことをしている日常や生活を編集して1クールないし2クールのアニメに収めた作品」です。「作風」はもちろんのこと「尺の都合」がありますから、制作者の場面セレクトの基準において優先度が低い個人練習は「省略」されます。

そのため「彼女達はお茶会ばっかりしてるのに、どうして本番... 全文表示
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