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アニメ「四月は君の嘘」 君への贈り物 少年漫画を支えたアニメーションの底力

2015/03/28 15:00 投稿

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AIR です。

今回のお題は、2014年の冬~2015年の春にかけて放送された全22話の
TVアニメ「四月は君の嘘」です。

漫画原作のアニメ化です。作者は新川直司さんで、「講談社漫画賞少年部門」を
受賞しています。アニメ版しか見ていませんが、おそらく原作が足りている状態
から映像化を始めたため、走りすぎな印象も受けますが、冗長を省けてテンポが
良いです。丁寧に作られたビジュアルが、この作品を良作に高めています。演奏
シーンの楽器の描写はコストがかかっていることもあり本作品の最大の見所です。


ストーリーは「不思議な少女と出会って、少年が自由になる」といったものです。

主人公は「有馬公生(ありま こうせい 声:花江夏樹)」、中学生の少年です。
ヒロインは「宮園かをり(みやぞの かをり 声:種田梨沙)」、同じく中学生
の少女です。有馬公生は天才ピアニスト、宮園かをりは天才ヴァイオリニストと
いう設定です。1話~11話を1クール目、12~22話を2クール目とします。

1クール目は「母親に」「さようなら/ありがとう」をするお話です。2クール
目は「彼女に」「さようなら/ありがとう」をするお話です。主人公の有馬公生
は母親の厳しい教育を受けて、幼少期から天才ピアニストとして活躍しています。
主人公の有馬公生は数々のコンクールで優勝の実績を出していますが、主人公の
活動の動機は子供らしく「お母さんに喜んでもらいたい!」といった純粋さです。

母親は病により作中ほぼ入院しています。しかしたった1度だけ車椅子に乗って
コンクールを見に来ます。しかしそこでも演奏を非難され頭部から出血するまで
主人公の有馬公生は松葉杖で殴られる虐待を受けます。小学生の有馬公生は最初
で最後の反抗を見せます。間もなく母親は死去しましたから、母親とケンカした
ままお別れになってしまいました。母親としては、息子に「私がいなくなっても、
一人で音楽で食べていける技術を伝えたかった」のですが、子供である主人公の
有馬公生には、母親の気持ちが伝わりませんでした。以後、主人公の有馬公生は
演奏中にピアノの音が聞こえなくなる症状により、演奏家として、プレイヤーの
未来が絶たれます。母親の教育は「有馬公生をピアニスト」にしましたが、その
教育は過激すぎることによって「呪い」になってしまいました。その呪いは最後
まで解けませんでした。本作品ではこの解けない呪いを、「音が聞こえなくなる
症状ならば歪んだ邪魔な音を無視して、自分の内面を自由に表現すれば良い」と
いう発想によって解消しています。主人公の有馬公生は母親の気持ちを理解する
ために、アニメにして1クール分もの時間が必要でした。一般的に、このような
症状を「トラウマ」と表現するようですが子を憎む親なんてものは存在しません。

私がみたところ主人公の有馬公生の症状は、発表会など大勢の前で本気の演奏を
行ったときにのみ発症をしています。アルバイトで行っているカラオケの新譜の
譜面起こしや親しい人の前で流して弾いている場面では発症をしていませんから、
母親の呪いは「コンクール恐怖症」です。愛情を実感できたことで克服されます。


次に2クール目は、ヒロインが主人公の有馬公生を表舞台に引きずり出すための
展開になります。しかしヒロインの宮園かをりも、主人公と死別する種類の病を
患っています。1クール目では元気な少女に描かれますが、病を患っている兆候
は伏線ですからアニメを読み解くためのキーワードとして随所に張られています。

ヒロインの宮園かをりの実家はケーキ屋さんです。一階が店舗として使われ二階
が住居として使えるように設計された一戸建ての建物が住まいです。ヒロインの
宮園かをりがヴァイオリンを始めた動機は、主人公の有馬公生に近づくためです。
幼少期に主人公の有馬公生の生演奏を見て衝撃を受けたからですが、その楽器を
選んだ理由は「ヴァイオリンであれば共演が可能だから」です。ヒロインの宮園
かをりの実家の裕福さは店を開いたばかりの若い夫婦が幼い娘に楽器の習い事を
させられている部分から推察ができます。

音楽事情について補足します。ヴァイオリンは、演奏者の年齢と身長にあわせて、
適したサイズのものに買い換えを求めます。ピアノのように、子供も大人もなく
全年齢で同じ楽器を使うものではないのです。その事情から子供に習わせるには
親に対する負担の大きな楽器です。宮園夫婦は、ケーキ屋さんを開いたばかりの
店舗兼住居のローンを、収入が不安定な自営業で払っていかなければなりません。
ヒロインの宮園かをりは幼いころから病を患っている設定ですから、親心として
無理をしたと見ることもできます。そのため、ヒロインの宮園かをりが主人公の
有馬公生を両親が働く店で紹介をした回の話では、両親は娘が連れてきた主人公
の有馬公生を見送って「あのコが有馬君か」とつぶやく場面が過去の因縁を引き
出す伏線になります。そして春からの自暴自棄にも見えてしまうほどの娘の外面
および内面的な大きな変化の理由について納得をします。宮園家の両親は一人娘
のためにものすごくがんばっています。そのがんばりかたについて触れてみます。

ケーキ屋さんを職業にしたいという夢を叶える方法で、簡単なものは「勤める」
ことです。しかし著名なお店に勤めることはできませんでした。なぜなら、病を
患った娘がいるため、宮園家の両親は「自由に仕事を休める立ち場」がなくては
いけませんでした。その方法は「自営業」です。宮園家の両親がケーキ屋さんを
開業した理由はヒロインの宮園かをりが倒れたシーンで店のシャッターを閉めら
れた画面から知ることができます。そして勤務先を別の建家にしないで、店舗兼
住居にした理由は「勤務時間も娘といる時間」にできるからです。たとえ勤務先
が徒歩1分でもいけないのです。劇中ではヒロインの宮園かをりが頭部から出血
した状況から入院になりますが、発見が遅れてしまったなら、そのまま死別して
しまうものでした。ヒロインの宮園かをりの病は突然ふらふらして倒れてしまう
ものですから、打ち所が悪くて発見が遅くては大変なことになります。そのため
宮園家の両親は一人娘のために「自営業かつ店舗兼住居で娘といる時間を増やす」
ための努力をしています。また、病は幼いころからのもののため、家の階段には
手すりが設置されています。家族構成は3人で高齢者はいませんから、ヒロイン
の宮園かをりのための設計であることがわかります。それと入院してからも常に
個室です。宮園家の両親は長期入院の個室料金を支払っています。また最後でも
難しいとされる手術を一人娘が「受けます」と決意したため手術にかかる費用を
出しています。最初のほうの伏線では尋常ではない量の薬を持ち歩いている画面
が出ていますから、ヒロインの宮園かをりを育てるためにかかった病院代も尋常
ではありません。しかし娘がヴァイオリンをやりたいといえばやらせる、中学生
で一流の腕になれるほどのレッスンを行ってくれる先生につける、コンクールに
出たいと言えばドレスを与える、など、本作品において最も努力をしていたのは、
病気でいじけていたヒロインの宮園かをりを支えきった、両親だったと言えます。


それでは話を主人公の有馬公生に戻して、本作品を読み解いてみましょう。まず
彼にピアノを習わせるきっかけを与えたのは母親の友達で日本屈指のピアニスト
として登場する瀬戸紘子(せと ひろこ 声:園崎未恵)という人物です。母親
は息子にピアノをやらせる気はありませんでしたが、友達が主人公の有馬公生の
才能を発見してしまってピアノの道に進ませてしまいました。瀬戸紘子の苦悩も
描かれていますが、「四月は君の嘘」という作品で主人公の有馬公生を苦しめる
原因を作った犯人は瀬戸紘子ではありません。音楽に限った話ではありませんが、
「なまじ才能があったばかりに」という言い方があります。主人公の有馬公生は
なまじピアノの才能があったばかりに、母親との不和を抱えて、ケンカしたまま
死に別れてしまいます。これは、不幸です。そのように見ますと「才能は呪い」
であると言えて、本作品は「呪いから自由になる/呪いに決着をつける」ための
お話であったことが読み取れます。そして「親子の愛」と「異性の愛」が克服の
鍵になりましたから「音楽は自由」への理解も含めて「気づき」の物語でもあり
ました。このようにして「弾きこもりの少年は外に出られる」ようになるのです。

ところでなぜ、扱っている音楽のジャンルがジャズではなく、クラシックだった
のか。最初からフリースタイルでアドリブの表現性を求められる音楽では、作品
として成り立たなかったからです。譜面の奴隷として作曲者に従って正しく再現
することが求められる世界観に生きているから抜け出ることが自由につながるの
です。コンクールとコンサートの違いについても同様です。主人公の有馬公生が
コンクールのスタイルであるのに対して、ヒロインの宮園かをりは、コンサート
のスタイルです。アニメは全22話をかけて様々なエピソードを描いていますが、
最終話Bパートのヒロインの宮園かをりがすべてを持って行きました。たとえば
タイトルの意味ですが、何の謎かけもなく直球で受け止めれば良いものになって
います。主人公の有馬公生には二人の幼なじみがいます。特にそのうちの一人は
端から見て、主人公の有馬公生の彼女です。ヒロインの宮園かをりが、幼なじみ
三人組の間に割って入るスペースはありません。だから嘘をつく必要があったの
です。幼なじみのもう一人の子、主人公の有馬公生の男友達の彼女であるという
嘘をつくことによってしか人間関係に割って入ることができませんでした。その
嘘をつくきっかけは、余命がないことを知ったからです。病院の待合室で両親が
泣いている姿を偶然に見てしまい、体に負担をかけない生活を捨て、地味な外見
も捨てて、主人公の有馬公生に告白するためのシナリオを考えます。そのための
必要悪として「嘘」が用いられました。「嘘」だから、明かさなければ「嘘」で
あると知られることなく終わってしまいます。そのため最終回Bパートにおいて、
主人公の有馬公生に「正しい言葉で伝える」しかありませんでした。手術の後に
自分の口から伝えられれば良かったのですが、現実にはかないませんでしたから、
両親を通じて手渡される手紙に彼への想いは託されました。

手紙というガジェットは効果的に使われています。その鍵になるアイテムは学校
の帰り道で待ち伏せして再会した主人公の有馬公生を引きずり回し向かった先の
デパートで買ったものとして、最終回Bパートで上手に伏線が回収されています。
このときの主人公の有馬公生はまだヒロインの宮園かをりの病がシリアスなもの
であることを知りません。「今日は学校に来ていたの、会わなかったな」の認識
です。ここで思い出していただきたい伏線は主人公の有馬公生の母親が一度だけ
コンクールを見に来たときのことです。母親が一度だけ病室から出てコンクール
を見に来られた理由と入院中のヒロインの宮園かをりが一度だけ外出が許された
理由は同じです。シリアスな病人が一日だけ外出が許されるのは「末期だから」
です。この段階で視聴者は「ヒロインの宮園かをりは最後に死ぬ」ことを察して
しまいます。そのため、この話からストーリーは最終回に向かって、加速します。


最終回で主人公の有馬公生がコンクールで無事に演奏できたのは、アニメの文法
から読み取ればヒロインの宮園かをりの命が尽きたからですが、本作は掲載誌が
月刊少年マガジンである事情と内容からみても少年漫画の展開にしか進めません。
終盤で入院しているヒロインの宮園かをりは主人公の有馬公生の幼なじみである
嘘の関係の彼氏「渡 亮太(わたり りょうた 声:逢坂良太)」から大量の本
が差し入れられます。その中には、「いちご同盟(作:三田誠広)」という青春
長編小説があり、主人公の有馬公生も以前に借りて読んでいたことを図書カード
の貸し出しの記録から知ります。ヒロインの宮園かをりは病室へお見舞いに来た
主人公の有馬公生が読者だったことを踏まえて、「いちご同盟」から引用をした
自殺を誘う挑発の会話を試みます。「あたしと、心中しない?」という衝撃的な
台詞がそうです。小説の「いちご同盟」の文脈を知らなければ、死を受け入れて
しまった言葉として気まずいシチュエーションになったところですが、主人公の
有馬公生は「いちご同盟」からの引用を知ったうえで、ヒロインの宮園かをりの
病状がわからないまでも死なれたくないから「僕はラヴェルなんて絶対弾かない」
の言葉を返します。「四月は君の嘘」という作品は「いちご同盟」をオマージュ
した設定が随所に見られますが、前提の教養として知っておくことでこの場面の
会話劇と最後の裏切り部分に「生きろ」という強いメッセージ性を読み取れます。

主人公の幼なじみの渡亮太は、ヒロインの宮園かをりの嘘の関係の彼氏の立場を
築きながらも一線を越えることは行いません。主人公の有馬公生の彼女への想い
を尊重して最後までピエロを演じ続けます。その渡亮太はヒロインの宮園かをり
の病室に向かう前に学校の図書室の棚から無作為に本を選んで差し入れをします。
中学校の図書室ですから中学生が適した読者である「いちご同盟」という小説が
あったのは違和感がない設定です。読み切れない数の分量で差し入れられた本の
中には文学または純文学の作品も混じっていたかも知れませんが「いちご同盟」
を中から手に取って、偶然にも主人公の有馬公生が読んでいた本という理由から
読み進めて、自らの立場を作中人物に重ねて挑発の会話を試みてみようと決めた
のはヒロインのかをり自身です。だからヒロインの宮園かをりは「僕はラヴェル
なんて絶対弾かない」の言葉の中から、主人公の有馬公生の「生きてほしい」と
いう「願い」を確認して「いちご同盟」のヒロインのように死を受け入れ生きる
努力を放棄せずに、ほとんど無駄な努力にしかならないものとわかってはいても、
つらく苦しい歩行訓練のリハビリテーションを自分の意思で続けてみせるのです。


この作品の最後の展開における物足りなさは、全編を通じて語られるポエム風味
の内面の台詞によって阻もうとしてはいますがエンターテインメント作品として
しか成り立ち得なかったストーリーから生じました。殺す以外になかったのか?
と疑い、作者が王道を裏切ることができれば、美しい形にはならなくても別方面
からの歪な評価を得られる内容の作品に仕上げることができたのかも知れません。

たとえばヒロインの宮園かをりの両親は主人公の有馬公生に手紙を渡さなかった
可能性もあります。しかし両親から愛されて育てられていることはじゅうぶんに
知っていました。だからヒロインの宮園かをりは信じることができました。必ず
渡してくれる両親と手紙に書かれている想いを信じてくれる主人公の有馬公生の
性格を信じて、自分がいない現世の彼に、「好きです」と告白をします。そして
主人公の有馬公生は母親との関係に決着をつけられたように、死人の魂には引き
ずられないたくましさを発揮して人生を明日へ進めることができます。ヒロイン
の宮園かをりは、ピアノにおけるライバルであった「井川絵見(いがわ えみ
声:早見沙織)」「相座武士(あいざ たけし 声:梶裕貴)」と同じく人生の
通過点の存在でした。主人公の有馬公生が、ヒロインの宮園かをりを忘れたとき、
彼女は本当の死を迎えるのです。「四月は君の嘘」は死人の物語ではありません。
死に向かいながらも全力で「生きよう」とする少女の意欲的な姿を描いてみせる
ことによって、少年漫画の王道を行くエンターテインメント作品でありながらも、
文芸作品から得られるものに近い感情を生じさせられる形になりました。主人公
の有馬公生の人格は、冗長が省かれ整理されて洗練された演出の力に支えられた
アニメーションの底力を借りることで完成を迎えました。漫画原作のアニメ作品
の多くは不完全なものになりさがりますが「四月は君の嘘」はアニメ化によって
完全性を手に入れられた希有な例です。


それではアニメーションについても補足しておきます。演出ミスと思われる部分
に見られましたが、自称ライバルの相座武士が習い事としてピアノを始めたとき
彼の両親が与えたピアノがスタインウェイだったのは、CGの再利用か宣伝的な
意図があるのでしょう。「子供の習い事にスタインウェイ」は冗談になりません。
スタインウェイ・アンド・サンズのグランドピアノは、1000万円以上します。
世界的に認められ「神々の楽器」と呼ばれるフラッグシップモデルのピアノです。
これは「四月は君の嘘」の中で、私が最もおもしろく感じた高度なギャグでした。
また子供時代の会話に「激おこ」の台詞がありますが、「激怒している状態」を
意味する「激おこ」という単語を調べたところ、時代考証上に無理がありました。
それからフジテレビ系列の深夜アニメ枠「ノイタミナ」の音楽アニメの繋がりと
推測できますが「のだめカンタービレ 原作:二ノ宮知子」から、マングースの
着ぐるみがカメオ出演しているのは常連の視聴者に向けたサービスと思われます。

設定については、主人公の有馬公生の父親は本編に一度も登場しません。作中で
海外出張になっていることはわかりますが、中学生の子供を一人にしている放任
のスタイルは現実的ではありませんから作者の意図を読まねばならない部分です。
主人公の有馬公生は母親と死別しています。しかし母親代わりとなる人物は周囲
にいます。幼子のころから知っていて、師事もしている日本屈指のピアニストの
瀬戸紘子や幼なじみ三人組の一人の「澤部椿(さわべ つばき 声:佐倉綾音)」
も母親のようなものです。その二人を引き立てるために、ストーリー上では不要
との判断から父親の存在は省かれたのでしょう。それでは最後にヒロインの宮園
かをりの病気についても触れておきます。


ヒロインの宮園かをりの病気は何の病気だったのでしょうか。病名は、最後まで
明かされませんでした。幼いときから患っていて多量に摂取する薬剤の血中濃度
の安定が不可欠で、楽器の演奏後は手が震え、目眩で倒れるなどの症状が見られ
ます。自宅の階段には手すりがいります。入院中も途中から集中治療室へ移され
たり、廊下で足に力が入らなくなったりしています。手術中の画面からは胸から
下の切開が行われていましたが、入退院を繰り返しながらも学校生活をおくって
いましたから感染するものではありません。病名は明かさなくて良いため明かさ
ないまま進みます。アニメの演出で見逃せないポイントは唇の色です。本作品が
特異であるのはキャラクターデザインから発見できます。そしてそれがヒロイン
の宮園かをりの結末を暗示しています。色彩設計に気になった部分があったため、
第1話オープニングのアニメーションから唇に注目して見ていましたが、倒れて
からのヒロインの宮園かをりの唇の色から彩度が失われ髪の色も褪せている表現
は、余命を反映した演出だったものとわかります。1クール目のきれいな金髪と
血色の良い色の唇をしたヒロインの姿を、2クール目では見ることができません。

それでもヒロインの宮園かをりは入院中の病人でありながら、年頃の女の子です。
大好きな男の子を前にした密室のシチュエーションです。作り上げた嘘の性格が
「いまイヤラシイ目で視姦したでしょ! ところかまわず欲情して!」と強がり
の発言をさせてしまいますが、退色した色素を補う方法はありました。中学生の
少女に化粧は早すぎるとしてもリップグロスで血色が良い色の唇に見せることで、
空元気から出たうわべの台詞でごまかす以外の方法で彼から不安を取り除くこと
はできました。あえて健康に見せなかった理由はありのままの姿を見てほしいと
いう気持ちがあったからです。そのままの自分を受け止めてほしかったからです。
必要悪としての嘘をつかれたことで奥手で鈍感な主人公の有馬公生は「好きだ」
の言葉を出せずにいましたがヒロインの宮園かをりは嘘の人間関係を作りあげて
しまった原因を正そうとする意思があるため病状までは「嘘」にしませんでした。

主人公の有馬公生に声をかけるために、病体をかばったヒロインの宮園かをりの
地味な外見と性格が第0話以前の時間軸内で殺されたように、本編中は天真爛漫
で活発な嘘の姿が本物のヒロインの宮園かをりとして描かれます。それは視聴者
に対する嘘だったかも知れませんが、最終回のBパートにて真相を知った視聴者
は主人公の有馬公生も含めて、今後も人生を生きていくしかない生きた人間です。
最後まで諦めずに立ち向かうヒロインの宮園かをりの生き様は美しいものでした。
ゆえに視聴者はヒロインの宮園かをりのワガママや無邪気さのすべてを受け止め、
「宮園かをりの健気な姿」から明日を生きる元気を受け取って感動を得るのです。


1クール目のOP「光るなら 作詞・作曲・編曲・歌:Goose house」の8秒目
あたりの映像の、すべって転んでも楽しそうに桜の花びらを舞いあげるヒロイン
の宮園かをりが見せてくれた笑顔は、「四月」に「君=視聴者」に見せた「嘘」
ではありません。ストーリーを通じて主人公の有馬公生は自由を手に入れました。
視聴者の私たちも手紙に託された少女の想いに対して、「ありがとう」と応える
ことで「君と出会った/君のいない春」を迎えられます。これは青春の物語です。


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最後まで見てくれて、ありがとうございます。

コメント

AIR (著者)
No.4 (2016/06/26 21:58)
コメントありがとうございます。書きたいことを書いていましたので、とっちらかっています。文章の勉強しているところです。

誤解がある感じですが、私は「四月は君の嘘」の原作を評価していないだけです。もし馬鹿にしているように見えましたら、ファンの方には申し訳ない書き方をしてしまいました。あくまでも、評価の対象外ということです。アニメ版はピアノの演奏のバックにドラム伴奏を絡ませるなど、映像分野が苦手な心の表現に前向きに取り組んでいます。主人公の呪いの表現も視聴者に迫ってきます。声優さんの演技もお見事です。そのため、アニメ版のスタッフの仕事を評価しました。

原作は漫画です。漫画が苦手なのは音の表現です。しかし漫画家が音楽を見事に表現していれば「漫画業界/同業者の漫画家」から高く評価されます。「紙だけでここまで表現した」と絶賛するのでしょう。しかし、アニメは映像と音が得意な表現です。「アニメ化」... 全文表示
ゲスト
No.5 (2016/06/26 23:11)
わざわざ、駄文にお答えいただきありがとうございます。
勘違い、失礼いたしました。
最近アニメ化アニメ化の連続で一部の作品は原作の劣化版、いやそれ以下ということも多いので、少々原作至上主義的な考えが染み付いていたようです。(君嘘アニメ版は原作とは別の何かを残してくれた素晴らしい作品だと思っています)
そのため、AIRさんの意見はすごくしっくり来ました。
しかし、残念ながら完全に「切り離されて評価される」ことはない様に感じます。アニメでも実写でも小説でも漫画でも、原作があるものは、それがついて回ります。
AIRさんが挙げられた宮崎駿さん、出崎統さんは原作を
うまく切り離しているというか原作の料理が上手だなあと思わされますが。

興味深い意見をありがとうございます。
ながながと、失礼致しました。


AIR (著者)
No.7 (2016/06/27 02:24)
コメントありがとうございます。こちらこそお返事ありがとうございます。

私には「原作を読まないポリシーがありません」から、気になったアニメがありましたら「原作にさかのぼり確認をする」ことをします。たとえば藤子・F・不二雄さんの「ドラえもん」、ちばてつやさんの「あしたのジョー」、それぞれ監督の「芝山努」さん、「出崎統」さんの「解釈」でアニメ化されています。多くの人が知っているのはTV版のほうです。しかし原作を読み返すと「流れは同じだが、様々な場面で意味が違う!」と間違いなく衝撃を受けます。

しかし原作を忠実にアニメにしてほしいという希望をもった人だっています。先のコメントにも書きましたが「アニメは原作の動画版ではありません。」が私の考えですから、アニメ化される際はアニメなりの表現に書き換えられるものです。アニメ制作者だって闇雲に改変するわけではありません。「悪いものを作って原作ファンを怒... 全文表示
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