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【円盤発売記念】映画『聲の形(こえのかたち)』(2016年) 主人公は誰に許されたか

2017/05/21 20:00 投稿

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AIR です。

今回のお題は、「映画『聲の形』」です。講談社から原作コミックが発売されて
いますが、吉田玲子さんが脚本を書いた京都アニメーション版の感想になります。
『けいおん!』や『響け! ユーフォニアム』でおなじみの山田尚子さんが監督の
作品です。本作が取り扱う思春期の面倒くさい人間関係を、今回も吉田玲子さん
が丁寧に処理しておりますので原作を知らなくても完結する内容になっています。


【 題材とテーマ 】
本編はいきなり話が始まるため、視聴者は時系列に出来事を整理しなおす作業が
必要になります。要約すると『主人公は転校生の聾唖(聴覚障害者)の女の子を
いじめます。耳に傷跡を残す流血の怪我を負わせるなど、“やりすぎ”たことで
クラスメイトに引かれます。女の子は大人を頼り、いじめから逃れるために転校
します。主人公はイジメの主犯格として、一人で罪を負って周囲から孤立します。
小学六年生の教室の事件後、高校生でも友達がいない主人公は死にものぐるいで
アルバイトをして親に立て替えて支払ってもらった補聴器の弁償代を返済します。
自殺を決意して人生の最後の仕事のため彼女が通う手話サークルに謝罪に向かい、
硝子と再会したところから物語が起動します。』となるのが前提となる設定です。

このプロローグの要約からもわかりますが、劇場用作品らしく興行成績を上げる
ために耳触りのいいキャッチーな流行り言葉が二つも登場しています。説明する
までもなく、それは「いじめ」と「障害者」の二つですが、実は本作を読み解く
うえでは取り立ててキーワードになるものではありません。本作ではヒロインが
「聴覚障害者だった」のであり、小学校の教室のなかで「いじめ問題があった」
という事象があるのみです。本作のテーマは「コミュニケーション」に偽装して
見えづらくしてありますが『自分が自分を赦せる』までのプロセスを積み重ねた
青春群像劇であります。センセーショナルに書き立てられた看板の宣伝の言葉や、
「誰でも持っているであろう苦い過ちの記憶」に自身が振り回されるのはうかつ
な視聴行為ですし定期的に画面に提示される「自殺」という描写に動揺するのも
物事の本質を見る目を曇らせます。ヒロインの西宮硝子を演じる早見沙織さんの
迫真の演技が見事すぎるのもありますが、本作の主人公は入野自由さんが演じる
石田将也であり、「誰に赦されたか?」の追跡によってしか結論を得られません。


【 警戒と和解 】
どのように他人が考えたところで人の心のなかというものはわからないものです。
まず、ヒロインについて考えてみましょう。先天性の聴覚障害を持っていますが、
母親の教育方針により、健常者と同じ普通の学校に通っています。最初の舞台は
小学校六年生の教室ですから十一歳から十二歳の男子と女子が混合する空間です。
本作で最も正直な登場人物の植野直花さんが観覧車でヒロインに本音をぶつけて
明らかになりますが、西宮硝子は「自分のルールを押しつける無神経な人物」と
して見られ嫌われました。転校した日に学級担任の先生から自己紹介を求められ、
「聴覚障害者だから筆談をしてください」の意味合いでノートを取り出したから
です。植野さんも障害者に対して理解を示しませんでしたが、西宮さんのほうも
健常者に対する歩み寄りが足りませんでした。その結果、主人公がからかい始め、
イジメに発展し、転校という去り方をしなくてはなりませんでした。どれほどの
意地悪をされようと愛想笑いを返すのは先天性の聴覚障害のために幼いころから
「いじめる-いじめられるモデル」を人間関係の基本形として学習していたため
の対処方法だからです。トラブルがあればすぐに「ごめんなさい」と謝る行為も
含めた振る舞い全部が植野さんを苛立たせました。しかし何度も重ねて補聴器を
買い直すとなれば、家庭の負担も生半可なものではありません。実際に主人公が
弁償した補聴器の被害総額は、一七〇万円だったことが劇中で名言されています。
いじめに荷担したクラスメイト達は安易に補聴器を投げ捨てていますが、本作で
注目してほしいポイントは、その行為の経緯や善し悪しを別にしても、主人公の
保護者から手渡された大金を西宮さんの母親が受け取ってしまっていることです。

悠木碧さん演じる西宮さんの妹の西宮結絃が、主人公と西宮家を和解させますが、
手話サークルで知り合うことになった結絃も最初は主人公を「警戒」し敵視して
いました。こちらも不登校児で、西宮家では二人の娘が二人とも問題児なことも
あり、平松晶子さん演じる母親の西宮八重子は子供の交友関係に神経質になって
います。主人公と出会ったときもビンタを食らわせて子供達にも遊ばないように
注意します。いじめっ子からいじめられっ子になり、自罰的な学生生活を送って
いた主人公は、西宮八重子に叩かれても言い返す言葉がありませんが、最終的に
西宮姉妹の協力があって、西宮さんの母親と和解します。我が子が障害を持って
生まれてきたがために、余所の家庭よりも多くの出費を強いられているのは疑い
ようのない現実です。そして現実に向き合えば、お金がかかります。主人公達の
いじめで補聴器を紛失したなら、買い直さなければ西宮さんの日常生活に支障が
出ます。学校から注意を受けたとはいえ主人公の保護者も適当な金額で弁償する
わけにはいきません。学校を通じて「具体的な被害額を明示されたから具体的な
金額で弁償することができた」のです。つまり「一七〇万円」とはっきりとした
数字を出されたのです。決して少額ではない賠償額ですが、劇中に裁判の場面は
ありませんでしたし、後に主人公は死にものぐるいのアルバイトで返済を終えて
いますから逆恨みする金銭のやりとりではありませんでした。最後に和解に至る
植野さんは「西宮さんが転校してこなかったら、このようなことにならなかった」
と正直に話していますから、植野さんが主人公に対して特別な感情を抱いていた
ことや、西宮さんのせいで主人公がしんどい学生生活を送り自殺までも考えねば
ならなかった原因を推察できます。彼女の性質を一言で言い表せばツンデレです。

主人公は「友達の定義」を考えたことで、人物の顔に「×」が見えるようになり
ました。友達と思えた人から「×」がペロンと剥がれ落ちます。それは対人関係
の傷にできたカサブタだからです。子供が障害者だから周りの人間は悪意を抱き
攻撃をしてくるという心構えでいるため、西宮さんの母親は実際に手も出ますし、
警戒心が強い人間になってしまいました。子供を産むまではそうではなかったと
思いますが、娘が障害者でイジメや差別を受けているなら、強い母親になるしか
なかったのです。そのような母親の元で育っているために、次女の結絃も卑屈な
お姉さんを守るように警戒心が強い人間に育ちました。西宮家の人々がそうして
強くならなくては生きていけなかったのは、植野さんが感じたところの障害者が
健常者にマイルールを押しつけてくる無神経さにもありますが、西宮家の人々が
周囲の人間を信用しきれなかったという「歩み寄り不足」にも原因がありました。
そのために主人公や主人公の保護者を信用できなくても、「お金」というものは
信用できるから「一七〇万円もの大金を受け取ってしまった」のです。その点は
心苦しい気持ちがあるため西宮さんの自殺を救助した主人公が反対に転落事故で
入院した際は主人公の保護者に土下座して謝罪をしましたし、心を固く閉ざした
警戒心が強い人間でありながらも、心を開いて和解した人間に対し髪を触らせる
程度に仲良くなります。主人公の実家は美容室を営んでいますから、人間関係の
変化を表すには適切な表現でした。そのようにして順々に、小学六年生の教室で
壊れてしまった交友関係を修復できた主人公は文化祭のラストシーンで「×」の
世界から解放されます。植野さんが手文字の拙い手話で歩み寄ると、西宮さんは
それに訂正をかけて二人は和解しました。さらに言えばいじめの主犯格が学級に
波及したいじめの終焉を確認できたためです。身近な友達にも見知らぬ人々にも
「×」マークがついてしまう認識の異常が治ったのは、自分で自分に課した罰を
終えたからです。このように主人公は『自分が自分を赦せる』ようになりました。


【 まとめ 】
ヒロインの西宮さんが主人公に好意を寄せた理由を想像してみます。トラブルが
多い人生を送る自分を守るために母親や妹が警戒心が強い人間になってしまった
のに反して、西宮さんは対人関係の戦略を「警戒」から「卑屈」に切り替えます。
愛想笑いを見せて謝っていれば揉め事を解決できると思い込み、自罰的に考えて、
実際に自殺未遂をします。主人公は友達に恵まれていますが、不器用な人ばかり
ですから、時間はかかりましたが、壊れていた人間関係を修復できました。最も
正直な植野さんが無自覚でありますが汚れ役となって対話の場を作ったからです。

本作のヒロインである西宮さんはラブストーリーにおけるヒロインの位置づけで
ありながら主人公の周辺に起きる事象のひとつでしかありませんでした。小学生
のときにひどいことをされていますが、西宮さんの対人関係は愛想笑いを見せて
トラブルを避けることが卑屈戦略の基本ですから流れに乗るだけです。高校生で
再会したときに筆談ノートを持ってきたうえに拙いながらも手話を見せてくれた
主人公に対し警戒心が強い妹の結絃が心を開いていますし家出したときも世話に
なっています。そうしたお互いの「コミュニケーションの努力」が相互に好意を
抱く理由になったと想像できます。映画『聲の形』では、聴覚障害は人間関係の
障害になりませんが「自分が嫌い」という自意識は重篤な障害でした。それでは
タイトルの意味を回収して、本稿を締めに入ります。西宮さんは自分の気持ちを
精一杯の発話を行って、「つき(好き)」という「音の形」で主人公に伝えます。
意図した音の通りには意味は届きませんでしたが、意図は正しく届いていました。
アニメーションの演出に少し触れますが、本編映像はデジタル作画でありながら、
レンズを通した処理がなされているため視聴者には見づらい絵面になっています。
このような作り手が受け手に届けようとした作品の「形」の試みも、「その通り」
の形で届いていなくても映画『聲の形』は「意図通り」に受け手に届いています。
わかりやすさや派手な見栄えはありませんが、丁寧な作風で心地好い作品でした。



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