平安京エイリアンの『うち弁慶な勧進帳』

『セガ・エンタープライゼスクラシック ミニ アフターバーナー』の………

2017/01/12 21:00 投稿

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  • ええとこの子


   発売は……
 
       ……ないですね……。w

   そこそこの興味はそそられますが、
   需要って点では、おそらく希望要望がないでしょうから…。

   アレは"ミニ"っちゃダメですからね…。w

   あのゴツくいかつい存在感こそが
   アレの魅力の原動力なのですから。

   と、ここまでのくだりで、
   ある一定の年齢層以上の方なら

       「ああ…アレのことね…。w」

    って具合にいくらかの共感共通認識は得られたかと思いますが、

   かつてのゲームセンターにおいて、
   その図体デカさ圧倒的存在感で、
   明らかに他のゲーム機を圧迫していたであろう
   セガ社御自慢大型筐体体感ゲームのひとつが、
   
   この『アフターバーナー』だったのです。

   僕の記憶の中では、このゲーム筐体のイメージは
   でっかい球体に乗り込んで、
   ぐるんぐるんと振り回され、なんかわからんうちに
   あっという間に乗り物酔いを味わえる、そんな感じ…。w

   それでいて、
   過ぎし日のあの少年時代子供ごころ
   百円硬貨をがっつりと奪い取っていった
   そんな罪作りなレジェンド・ゲーム

   ま、これ以外にも、
   あの頃のセガはこの手の大型筐体体感ゲーム
   これでもかと言うほどにゲームセンターに所狭しと並べていました。

   このブロマガのタイトルノスタルジーがぴくっと反応して
   喰いつかれたという諸兄(諸姉も?)
   すこし記憶を紐解いて思い出してください…。

   はじめてシートにまたがったバイクは、
   『ハングオン』あのバイクではなかったですか…?

   はじめてハンドルを切った自動車は、
   『アウトラン』あの自動車ではなかったですか…?

   そして、
   はじめて操縦桿を握った戦闘機は、
   『アフターバーナー』あの戦闘機ではなかったですか…?w


   時代は折しもバブル景気の頃で、派手ゴージャスリッチイケイケで、
   ゲームセンターにもそんなおバカなノリ
   その後訪れる、いやもなお訪れ続けている不況という悲劇など知れず
   蔓延し、そして満喫していたのかもしれません。

   そこらへんのバブリーな経験なんかが
   現在へと続く、僕のゲーム好きゲーム脳
   良くも悪くも影響を与えていたのでしょう。

   
   で、前回の最後の〆で、
   自身のセガっ子ぶりを書き綴りましょうなんて予告していましたが、
   残念なことに、自身のSEGA史はというと、
   ここらのゲーセンの体感ゲームくらいしか書くことがないんですよね…。w

   これは別に、ゲームファンからすれば全くよくわからないゲハなんとかみたいに
   メーカーの違いゲーム機優劣や好き嫌いをつけるような
   そんな愚かしい話なんかじゃなく、

   単純に、物理的というか、
   現実的に、セガのゲーム機との縁が結べなかったのです…。

   
   あの時代、前述したとおりにバブル景気に沸き返る社会ではありました。
   
   しかし、いかんせん当時の僕はただの子ども…。
   社会的地位経済的余裕も当然なく、
   確かに芽吹きつつあったゲーム脳を感じつつも
   それを満足させられる環境にはありませんでした。

   今でこそ、モニターに接続する入力端子不足に困るほどのゲーム機
   ところ狭しにあちこちに並べまくって、
   好きなゲームはおろか、それほどでもないゲームすらも
   普通に買ってしまうほどの、ダメダメな大人に成長しましたが、

   当時は、僕あてに渡されたお年玉でさえ親にピンハネされ、w
   欲しいものですら両親の審査を経て、
   それでいて得られない結果のほうが多かった

   しかも、今は「ゲーム一家」なんて言葉がそれなりに市民権を得ていますが、
   あの頃の親なんて、もう…、ね…、w
   ここらは共感してくださる同世代の同胞少なくはないでしょうけど、
   ハナから否定で入ってくるのが大前提でしたからね…。


   有名な高橋名人訓戒である

     【ゲームは一日1時間】

   実はこれはほんの一部だけで、
   この後に、

     外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。
        成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人。】

                      と、続くそうです。

   ま、コレに関しては好意的な論調も目立ちましたが、
   いろいろと汚れちまった現在の僕からすれば、

      「ああ…明らかに母親向けの発言やね…」  
     
   これほどゲーム市民権発言権を得た現在でもまだ、
   それこそ「ゲーム脳&悪影響」コンビにした
   オカルト陰謀論を持ち出して
   局地ゲリラ戦みたいなことやってる暇な人がいたりしますが、

   あの時代は圧倒的「ゲームは悪」でした
   「悪影響」
どころかもう「悪」そのもの…。w
   それが当時のオトナ社会における定説で、
   数の暴力でもありました。
  
   故にゲームメーカーの社員でもある高橋名人
   目の前で無邪気にゲームに群がる子ども達冷徹な管理者であり、
   そして事実上の大蔵省である母親に対して
   最善の気を使われていたんでしょうね。
  
   そんなことだから、大前提ゲーム機買ってもらうことが最難関
   そして運良くそこをくぐり抜けたとしても、
   まさかそれに加えて2機種目を買ってくれる可能性なんざ
   ほぼゼロに近いわけですよ…。w

   そうなってくると、当時社会を席巻していたファミコン
   優良なれど、総合的に後塵を拝していたセガとでは、
   どうしても前者に軍配を挙げざるを得なかった…。

   当然、ゲーム機を買った後はゲームソフトも買わなければいけない。
   だがこれもそうそう安くはないし、間違いなく母親チェックも入り
   いくつも買い揃えることは難しい。

   なれば残された手段友達との貸し合いになってくるわけで、
   結果、ここでも少数派のセガを選ぶのは難しくなる。
   学校での話題はほぼファミコン一色でしたからね。

   
   ただ、僕にとっての救いは、
   友達の一人になんとセガユーザーが居たってことです。
   その彼がセガとの縁細い糸で繋いでいてくれたのです。

   ちなみにその子の家には前述の通り、
   セガ社のゲームはもちろん、ファミコンもありましたし、
   さらには、おそらくPC-8801系だと思うんですが、
   その手のパソコンがあり、そのゲームもありました。

   参考ながら言っておきますと、
   その友人の父親は職場で「社長」だか「店長」だか呼ばれている立場なんで、
   ま、家庭環境は察してください…。w

   そしてそんな恵まれた友人宅で遊ぶのは、
   やはりレアなゲーム機であるセガのゲームでした。
   
   当時はファミコンに対してそのハード機を単純にセガって呼んでたけど、
   今、記憶と重ねてみるとそれはどうやら『セガマークⅢ』だったようですね。 
   その後に当たり前のように『メガドライブ』も増えていましたけど…。w

   で、どっちのゲーム機で遊んだかまではよく覚えていませんが、
   
     「"ファンタジーゾーン"グラディウスより面白い。」
     
    そんな記憶はしっかりと残っていまして…。w

   
   そして時は経ち、僕も大人という生き物になってしまい、
   親の目を気にせず、好きなものを買い
   好きなことができるようになりました。

   その当時はというと、『セガサターン』が系列の最新機
   無論それを買うこともできましたが、
   その頃はもう、『プレイステーション・バカ』になっていましたね。w 

   厳密に言えば、僕自身の趣味嗜好が固まってしまい、
   好きなジャンルRPG主体になっていたんですよ。
   
   セガサターンスペックは決して悪くないし、
   リリースされてるゲームの質もなかなかに高評価

   されどセガサターンはどちらかというと
   アクションゲーム系特化している感じで
   当時の自分とはあまり重なる所がなかったんですよね…。

   で、そうこうしているうちに、
   後々に「10年早かった…」と言われることになる
   あの『ドリームキャスト』を最後に
   セガコンシューマー機から撤退というピリオド…。

   ついにセガ社のゲーム機を一つも所有することなく
   別れの時が来てしまいました…。

   
   ただそのおかげで、昔なつかしのセガゲー
   現行機で簡単に遊べるようになり、
    
   僕が最初に買ったセガゲーは、

      『アフターバーナー』

   次に買ったのは、

      『ファンタジーゾーン』
      
      という感じで、
      まぁまぁのオチがつきましたかね…。w


   

   

   
   
   

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