文学ゲリラの時間だァ・・・

第6感――サイコロとその裏側

2015/07/28 00:37 投稿

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  • 評論
  • 第6感(常識)
「人間には『常識(common sense)』という第6感がある」という類のことを政治哲学者ハンナ・アレントが言っていた。
 では、「常識」とは――その共通認識とは何であるかと言われると、これもまあ困る。
ポストコロニアルの項目を軽く紹介したが、簡単な話「文化の数だけ常識が違う」とかそういう話になる。
だから、個別な事例を列挙して何が常識か問うかというのは不要だとして、ここでは常識という一般概念を説明したい。

 一番いい例がある。「サイコロ」である。
サイコロの目はご存知の通り、「1の反対が6」「2の反対が5」「3の反対が4」とその逆、「反対の面の和が7」の正立方体だ。
そういう「常識」になっているから、僕たちはわざわざサイコロを見るたびに全ての面を確認しようとはしない。これは、大抵どんな立体にも、そして平面にも当てはまる。
 ノートに何か書くとき、いちいち全ページを確認してから書く人はいないし、テレビやパソコンの電源を入れるときも、僕たちは中身は愚か、裏側も確認しない。付属のリモコンなどで真っ先に電源のみを押し、消したい時も真っ先に電源を押す。
 
 これらを拡張するならば、「人柄」や「社会」といったものでも同様である。
僕たちはある人や出来事と対面したならば、その自分と接触した「表の時間や人柄」で判断し、後はいちいち一人一人の私生活を24時間監視して吟味しよう、などとは思わない。
――しなくていい。特に人にした場合、ストーカーである(笑)
同様、ニュースの事件も詳しく順を追って調査しよう、などとはせずに自分の経験で即座に判断、判決を下す。
ともかく、僕たちは人や社会であってもなんとなくその「総和」みたいなものを勝手に判断し、面の一つ一つは判断、確認はしないわけだ。
 
 いうまでもなく、このサイコロは立方体や面の数は愚か、一つ一つの面の数字はおろか、一つの面に一つの数字かという対応まであやふやである。
それらを僕らの見識、経験によるルールでなるべく単純に、とりあえずサイコロとして振るえるように当てていることに気づく。
要するに、「裏の面の数が何であるか、その立体がいくつの面で構成されているかは実際見ないとわからない」とこういうわけだ。
 常識を人それぞれと言うのは簡単だし、実際そういう側面も多々あるが、「個々の常識とは既存の常識や非常識から吟味され、抽出する作業を余儀なくされている」ことには注意したい。

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