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ボカロ大全 - 序

2019/07/15 21:59 投稿

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  • 雑記
時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。
ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。
ボカロ大全 - 序 能書きの章



この間亡くなった「裏表ラバーズ」の人はなんと東大卒で(マジで?)、
ボカロPとしては遺作になった「アンノウン・マザーグース」聴いて驚いて(これも知らなかった)、
ボカロについての東大新聞の記事も見つけた。「ボーカロイド音楽論」なるものがあるらしい。


東大教員がボカロを語る
http://www.todaishimbun.org/vocaloid20171006/

ボーカロイド音楽論
http://www.todaishimbun.org/vocaloid-utokyo0326/
http://www.todaishimbun.org/vocaloid20161004/

皆さんが当事者として立ち会った「ボーカロイド音楽の隆盛」は、永きにわたった人類による「うたの私有」を終わらせるという人類文化史上の大インパクトをもたらしました。またそれは、日本ローカルの若者世代=私たち世代のジェンダー状況の先進性を反映し、未来に押し進めるものでもありました。

さすがは東大やのー (´・ω・`) 。書籍化はしてないのかな?

昔、同じく東大で行われたジャズの講義録を読んだことあって(よくわからなかったけど)、同じ著者の「バークリーメソッド」とかいう音楽理論講義録も読んだことがある(よくわからなかったけど)。

【余談】ところでこの著者って、今ブロマガやってなーい?月額864円って高くなーい?随分強気じゃなーい?
アマゾンのレビューでもなんか揉めてた気がするなー (´・ω・`) 。


さてそんなわけで、ひさしぶりに、自分のいんてりじぇんすを【東京大学】レベルにまで高めてみましょう。そのためにまず、あの時代へ返りましょう、なんとも青臭いあの時代へ、てぃーんすぴりっとのような匂いのするあの時代へ。


1997年について(十年一昔)1997 - 2007 - 2017

ボーカロイド(初音ミク)の発売が2007年で、2017年で10周年。
1997年は反対で、その10年前。まあ、いろいろと象徴的な年ではあった。多少は前後するかな?




この年はFF7が発売された年であり、もののけ姫とエヴァの劇場版が公開された年であり、
北野武がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し「世界のキタノ」となった年でもあり、

他は別にどーでもいい話だけど、ポケモンが大ブームになって?
ポケベルからPHS携帯電話への移行が始まって?ポケベルが鳴らなくて? 失楽園がブームになって?
安室奈美恵がきゃんゆせれぶれーいして?ミスチルが活動休止して?モーニング娘がなんだって?


山一証券の記者会見でなんか泣き出したやつもいたし、日本サッカーW杯初出場もこの年で、中田英寿が大活躍。
タイタニックでレオ様大旋風もこの年だねー、これは翌年だったかな?


インターネットはまだ普及しておらず、透明な存在としての中学生がナイフ事件を起こしたり、渋谷のマルキューで紙袋を持って立っているキモいオッサンを相手に女子高生が売りをやっていた時代であり、なによりも世紀末で、それもただの世紀末ではなく千年に一度の世紀末で、そこら中に強い強い強い終末感が漂っていた。

「裏原系」も流行ってたよね。上の動画で歌ってるゴリラ UA(ウーア)も裏原系。
これは「不機嫌な果実」という不倫ドラマの主題歌で主演は石田ゆり子(ちなみにもののけ姫の声も石田ゆり子)。

で、これ以降なんか目新しいことがあったかといえば、なにもないのだ (´・ω・`) 。
ただ少し形を変えただけの似たようなものが、何度も何度も繰り返し消費されていっただけだった。




この歌は2000年、新たな千年紀の始まり。でかだ~んす。
ノストラダムスの大予言も当たらなかったし、コンピューター2000年問題も特になにも起きなかった。

終わらない変わらない日常が、ただ続いていった。

2000年の主な出来事(基本一緒やん?インターネットがちらほら出てくるけど)
プレステ2発売、SPEED解散、バスジャック事件(2ちゃんねるの知名度が飛躍的に上昇)、
IT革命、パラパラダンス、新二千円札(笑)、厚底ブーツ、エクステ、etc...


この時期の邦楽が最盛期だという話があるようですが、なんとも皮肉な話で、この時代ですでに終わっていたのだ。
この時代の歌をコピーしたところで、なにも生まれないだろう。たぶん。



芸術の分類 - ポストモダン

MMD(VOCALOID)の話をしようとすると、必ずこのげいじゅちゅの分類の話になってしまうので、ちょっと整理したく。

大学の学問というのは人文科学、社会科学、自然科学(情報科学)に大別されるらしい。
高校までの国語数学理科社会英語みたいな教科から、カテゴリがゼロから再組織される、と。
芸術の分類は人文科学[HUMANITIES] か。

「文芸」「絵画」「音楽」「彫刻」「建築」「演劇」「舞踊」「映画」
この8つの分類は、映画が芸術に加えられた時の(映画が第八芸術になった時の)ものなので、ちょっと古いよね。まあ敢えてそうしたんだけど。今はもっと細分化されてるよね。

芸術 - Wikipedia



これ割とわかりやすい。
コンセプチュアルアートだのインスタレーションだのポストモダン要素が入ってくるともうマジでめんどくせえだろ (´・ω・`) 。

これらをPC上のデータとして考えたとき、
文芸がテキスト、絵画が画像、音楽が音声、映画が動画、特に重要なのはこの4つ。
建築は規模が大きいのでちょっとわかりづらい、例えば完成した建造物を写真に撮ったなら、それは写真(画像)になってしまうよね。

表現的なポテンシャルの話だけど、
テキスト < 画像 < 音声 < 動画 の順で、容量が大きくなっていくけど、
テキスト > 画像 > 音声 > 動画 の順で、寿命が短くなっていってるよね。

文芸、絵画、音楽、映画は全部一度ならず壊されている。建築もだけど。ダンスもじゃなかったっけ?
文芸はジョイス、絵画は印象派とかピカソとかポップアートとか、音楽はジョンケージ(ピアノ弾けや)、映画はヌーベルバーグ、建築はそのものズバリ「ポストモダン建築」etc...


誕生から破壊までの間隔が時代が下るほどに短くなっている。
特に映画の誕生以後20世紀からはラジオ、電話、テレビの普及により、消費速度が加速していく。
さらに今は、インターネットの普及によって消費速度が爆発的に速くなっているので、それに拍車をかけている。


動画(映像)の本質が「記録すること」だとすれば、映像そのものには解像度の違いがあるだけでたいしたポテンシャルはなく、大事なのは素材(テキスト、画像、音声etc.)のほうではないだろうか? どうだらう、見えるだらうか?

んーそれっぽい気もするし、違うような気もしますねー (´・ω・`) 。


ブリタニカ国際大百科事典より「芸術」
本来的には技術と同義で、ものを製作する技術能力をいったが、今日では他人と分ち合えるような美的な物体、環境、経験をつくりだす人間の創造活動、あるいはその活動による成果をいう。芸術という言葉は、利用する媒体や作品の形態によって伝統的に分類される数多くの表現様式の一つを示すこともある。したがって、絵画、彫刻、映画、音楽、舞踊、文学をはじめとする多くの審美的な表現様式をそれぞれ芸術と呼ぶことも、全体として芸術と呼ぶこともできる。これは一方では自然の被造物と、他方では技術や知識による産物と異なる。自然における創造は自発的であり、また技術や知識による創造は概念的であるのに対し、芸術はいわば直観的である。芸術の根源、すなわち芸術創造の根源には諸説があり、たとえば想像力、遊戯衝動、模倣衝動、表出衝動などさまざまに分類されている。

芸術は伝統的に文芸と美術とに分類される。文芸は言語や理論による表現技術で、美術は純粋な美の追求をより重視するものである。さまざまな表現様式、たとえば陶芸、建築、金属細工、広告などは、美の追求と実用的な目的を兼ねている。芸術は、純粋に美を追求するものと、単純に実用性を求めるものと異なる2つの目的の間に位置すると考えられる。この2つの目的の対立は、芸術家と職人という関連した用語にも反映されている。職人は実用性にかなり重点をおくと理解されているが、これは厳格な体系ではない。一つの芸術様式のなかでも、動機が大きく異なる場合もある。陶工や織工は実用的であると同時に美しい作品をつくるかもしれないし、賛美される以外に目的のない作品をつくる可能性もある。芸術に用いられるもう一つの伝統的な分類方法に、文学(詩、戯曲、小説など)、視覚芸術(絵画、彫刻など)、グラフィック・デザイン(広告、ポスター、パッケージなど)、造形芸術(彫刻など)、装飾芸術(服飾、装身具、家具、壁画など)、舞台芸術(演劇、舞踊、音楽など)、音楽(作曲)、建築(しばしば室内装飾を含む)などがある。また、芸術の存在様式が空間的であるか、時間的であるか、あるいはその媒体が何であるかによってもさまざまに分類される。近代では芸術媒体(メディア)の多様化により、この傾向はますます拡大される傾向にあり、さらに技術のすさまじい発展は(古代と異なった意味ではあるが)芸術と技術との和解をはかっているようにもみえる。

一言でいえば「センス」じゃねえ?センスのないやつってなにやっても駄目じゃねえ?


ポストモダン

元々は建築用語だけど、現代思想がこの概念を取り込んでなんかいろいろやってたよね。
東浩紀ってたまにニコ生やってるけど「ポスト浅田彰」とか呼ばれてなかったっけ?

ポストモダンとは - ニコニコ大百科
https://dic.nicovideo.jp/a/ポストモダン

あらためて現代思想とは何か? - webちくま
http://www.webchikuma.jp/articles/-/646

21世紀の10年代も後半になった現在、「現代思想」という言葉はかなり曖昧になっている。単に、最近流行している思想とか有力な思想という意味でしか受け止めていない人も少なくないだろう。しかし1980 - 90年代の日本では、「現代思想」にはかなりはっきりしたイメージがあった。[現代思想 ≒ ポストモダン思想] という理解がかなり一般化していた。【注釈】≒(ニアイコール)ほとんど等しいという意味の記号。
(なんか聞いたことないですか?ニアサードインパクトとか、ええと確か次はファイナルインパクトだったよね?)


「ポストモダン」というのは多義的な言葉だが、哲学史的な文脈に限定すると、デカルトに始まる、「自我」あるいは(自我を基盤とする)「主体」を中心に据えた近代哲学の枠組みを解体する、あるいは、それと別の枠組みを探求する、新しい思考の系譜、という意味になるだろう。大学などのアカデミックな制度の中で、狭義の「哲学」とされてきたものの限界を超えて、他分野の手法も取り入れながら、「自我」や「主体」に囚われない思考様式を獲得しようとしたのが、「ポストモダン思想」である。おおよその所、そう理解していいだろう。

ただし、脱哲学の「新しい思考」と言っても、平板化されたマルクス主義のように、[近代哲学=観念論] と見なし、それに対抗すべく、あらゆる存在(者)や出来事を物質の運動に還元してしまおうとする二項対立的な思考とは一線を画する。二項対立思考とは、「精神/物質」「主体/客体」「理性/非理性(感情)」「文明/野蛮」「男性的なもの/女性的なもの」といった二項対立構造を前提にしたうえで、抑圧されている側の方に味方して、抑圧している側を打倒することを目指す思考である。(略)「ポストモダン思想」と呼ばれる系譜に属する理論家たちは、そうした二項対立的な前提自体が近代哲学、あるいは、「近代」の根底にある近代的思考の産物であり、それに囚われている限り、本当の意味で、「近代」の呪縛から離脱することはできないことを示唆する。

日本を含む西欧諸国で、典型的なポストモダン思想と目され、注目されたのは、1950 - 60年代にフランスを中心に影響力を及ぼした構造主義、及び構造主義が前提している「構造」概念に残存している近代的な前提に疑問を呈したポスト構造主義である。構造主義は、狭義の「哲学」ではなく、文化人類学や精神分析、言語学、文芸批評などの方法論である。構造主義は、搦め手から哲学的な「主体」概念を攻めているので、従来の哲学に物足りない人にとっては新鮮に見えるが、哲学に加えて、精神分析、文化人類学、言語学、記号論、文芸批評に基礎知識のない人には、何が問題になっているのか分かりにくく難解である。そうした構造主義の戦略を前提に、その不徹底を批判するポスト構造主義はそれに何重にも輪をかけて難解である。

日本で「現代思想」と呼ばれていたのは、構造主義/ポスト構造主義に加えて、これらと微妙な関係にあった「現象学+実存主義」系の思想である。フッサールやサルトルの思想は、「自我」や「主体」といった基本概念を否定しないが、その意味するところを根源まで突き詰めた結果、換骨奪胎(かんこつだったい)しているようにも見える。ハイデガーは、構造主義とは異なったやり方であるが、「存在論」の復活という形で近代哲学の解体を試みている。ドゥルーズ、フーコー、デリダ等、ポスト構造主義(本人たちはこの名称を好んでいなかった)の代表的な論客たちはハイデガーの影響を強く受けている。

もう少し広い意味での「現代思想」として、これらの理論を援用する形で、生産から消費へと軸を移し、人々の欲望やライフスタイルを多様化させることで成長を図るようになった、現代資本主義を分析する「ポストモダン」系の社会理論を、これに含めることもある。この領域では、広告、メディア、ポップ・アート、サブカルチャーなど、表象文化全般が分析・評価される。自らそれらの領域で活動する思想家もいた。大量消費社会を記号論的に読み解いたボードリヤールや、ポストモダン的な知の在り方を説いたリオタールのように、構造主義/ポスト構造主義と理論的に深い繋がりのある理論家が少なくない。専門的な哲学や文芸批評にあまり親しみのない人が、「現代思想」という言葉でイメージしていたのは、この領域だろう。

90年代に入ると、非マルクス主義的左派の中から、「ポストモダン」系の思想の影響を受けて、脱近代的な方向での社会批判を試みる潮流が生まれてくる。ラディカル・フェミニズム、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル・スタディーズなどである。これらまで含めて「現代思想」という言葉が使われるようになった。この領域では、「近代」において周縁的、あるいは、不可視の場所に押し込められ、価値を認められてこなかった他者たち、その文化の存在に焦点が当てられる。文化における「闘争」という側面が強くなるので、脱二項対立には必ずしも力点が置かれない。ただし、「人間」の「本質」に関する近代的な諸規定を脱構築するという最終目標自体は、構造主義/ポスト構造主義と共有されているように思われる。

見よ、この難解さを(笑)。
入門書の序文?だからかなりわかりやすくまとめてあるんだろうけど、それでもこの難解さ (´・ω・`) 。

本人たちはいたって真面目らしいんだけど(フランス人が多い)、その用語を濫用(らんよう)する人たちのせいで、
よくわからないものをよくわからないまま使って何かを価値転倒(コペルニクス的転回!)させた気になっている人たちのせいで、なんだかよくわからないものになっているっていう、そういう話だね。割とよくある話で、要は煙に巻いてるだけ。


ポストモダンってもう終わった(ポストモダンさえ終わった)と思ってたけど、まだ続いてるのこれ?
建築の方のポストモダンは一時的な流行で終わったみたいだけど、現代思想の方はまだ終わってないの?



脱構築(ディコンストラクション)- エヴァ

そしてポストモダン必殺の伝家の宝刀がこの「脱構築」である。すべての元凶はこれやろ?

九州大学付属図書館 - 現代思想マップ
https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/philosophy

これわかりやすいかも。
おやあ~?脱構築のすぐ横にエヴァの項目がありますねえ~ (´・ω・`) 。

エヴァの旧劇場版(EOEだっけ?)の脱構築が仮に成功だったとして、
その後に再構築(再起動だっけ?)しようとして途中で失敗した新劇場版が存在する以上、
これもやっぱり前世紀の遺物だよねえ。

だいたいこの男(庵野秀明)はエヴァがなぜ受けたのか?と聞かれて純文学的なことをアニメでやったからだと答えていて(いた)、エヴァは衒学的だと自分でも言ってたし自己批評ができていたにもかかわらず、パチンコになって会社までつくってまたエヴァをつくりだしたのだ(終わるんじゃなかったのか?)。そこまではまだ良いとしても東日本大震災の、なにを、どう、解釈すればああいう意味不明なものができるのか、全く理解できない(理解する必要もない)。スタジオカラーの10周年のインタビューでQのあとが一番つらかった、全部出し尽くした、なにもつくれなくなったとか答えてたけど騙されてはいけない。

だいたいこの男(庵野秀明)はTVシリーズをつくる前も全く同じことを言っていて、4年間逃げ出したままなにもできなかった自分のすべてが込められているとかいってそれがシンジきゅんの「逃げちゃだめだ」に反映されていたのだ。結婚して社長にまでなったくせにまだこういうことを言ってるのかと唖然とする。なにも成長していないのはこの男(庵野秀明)のほうであって、Qの例のシンジとアスカのあれはただの夫婦喧嘩であり(気付かれてないとでも思ってるのか)、それゆえに妙にリアルなんだけど物語としては支離滅裂、何度も同じ手が通じると思ったら大間違いなのであって、たとえ一度目は許しても二度目は許さない。

ちなみにこの男(庵野秀明)の得意技は圧倒的な情報量で観客の度肝を抜くことであって、おいおいおいなんかすげえな、と思わせるところまでが最高潮(ていうか限界)で、それ以降は基本的に、せっかくつくった砂山を壊したり、テーブルの上の料理を引っ繰り返したり、逃げるな逃げるなと自分に言い聞かせつつ(あるいは人から言われつつ)、結局は逃げるのだ。

願わくば、またOP詐欺に終わらないことを。

結局エヴァしかつくらせてもらえないこの男(庵野秀明)と、
この前世紀の遺物がいつまでたっても忘れられない観客の構図。いつまでやってんだよ (´・ω・`) 。


デリダの言語理論の核心は、言語の体系や構造とは、実体としての真理や意味あるいは先験的な観念の体系など持っているものではなく、それ自体つきつめれば、最初の差延(差異)から派生する戯れの秩序であって、それ自体意味を決定できない不完全さそのものである、というものである。(とあるブログより)

単語と単語の間にイコールを入れたり、スラッシュで区切ったりするのがこのポストモダン思想の特徴で、そういうのを数学者(物理学者)が批判したのがいわゆる「知の欺瞞」。お、これも1997年やないか。

ゆとり教育以後の世代にこれらが理解できるのか疑問ですが...まあ理解できなくても別にいいけど。でも詳しいやつ案外いそうだけどね。

ブロマガでなんでこんな話をしてるんだろうっていう...アンノウンマザーグースとエヴァと東浩紀が悪いので、あしからず (´・ω・`) 。



浅田彰っておすぎとピーコみたいな話し方で面白いんだよね。今なにやってるのか知らないけど「天才」であることは確かだよね。ニコ生のアーカイブがあったと思ったけどなー。こういうのは有料かな?


(10年前の動画を今更消しますかそうですか... ほーん (´・ω・`) 。他ないような気がする...)

見よ、この切れ味を。ゼロである自分が全てを望むのだあああ! NOTHING, EVERYTHING, and SOMETHING!

あ、これにしよう。
芸術とはコミュニケーション[COMMUNICATION] である。
何者でもないからこそ、それはすべてを、無限[INFINITY] を望むのだ!(どや?

うわやばいわーきちゃったわーこれ (´・ω・`) 。


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