「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか
――ハイ・イメージ論2.0へのメモ書き」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.7.10 vol.111
(初出:「ダ・ヴィンチ」2014年7月号)
本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」での宇野常寛による批評連載のお蔵出しです。
宇野常寛が読み解く、「進歩的知識人」批判にとどまらない吉本思想のポテンシャルとは。
そして『ハイ・イメージ論』で示されたインターネット以降の世界への接続可能性とは
どのようなものなのでしょうか――。
どのようなものなのでしょうか――。
去る5月1日、新宿の紀伊國屋ホールにて「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか」と題されたシンポジウムに登壇してきた。これは晶文社から出版されている吉本隆明全集の刊行開始記念イベントで、ほかの登壇者は中沢新一、内田樹、茂木健一郎の各氏で、冒頭にはよしもとばななさんのスピーチもあった。いずれも、1978年生まれの僕にとっては学生時代より愛読している「歴史上の人物」で、まあ、正直言ってビビッていたのだがここで借りてきた猫のようになってしまってはせっかく僕を指名してくれた晶文社と紀伊國屋書店に申し訳ないと思い、なんとか議論の舵取りを務めてきた。そう、僕の役目は議論の舵取り、つまり司会だった。
シンポジウムはそれなりにつつがなく、そしてそれなりに白熱したものになったと思うのだが、今回僕は司会という役割上、吉本の代表作を読み返すことになった。もちろん、吉本の膨大な仕事量を考えれば、それはほんのかじっただけとしか言えないかもしれない。しかし今、このタイミングで吉本隆明を読み返したことは、僕にとって非常に大きな収穫をもたらすものだったと思う。そこで、今回は同シンポジウムから僕が得たもの、考えたものを21世紀の吉本隆明論への序章として、いや序章未満の構想メモとして記しておきたいと思う。
最初に断っておくが、僕はまず新左翼のイデオローグとしての吉本隆明という側面は忘れてもよいと考えている。吉本の前衛党批判や知識人批判が当時果たした役割や、その意味付けは批判的なものも含めて出尽くしているように思う。たしかに一部の戦後的「進歩知識人」にはいまだに当時吉本隆明が丸山真男を批判した内容がそのまま当てはまるのだろうし、彼らの影響力も残念ながら少なくない。たとえば改憲をめぐる議論ひとつ考えても、正統な戦後的進歩知識人であればあるほど、「そもそも自民党の改憲案は、憲法というものの性質を理解していない」とその完成度をあげつらうことが多い。もちろん、僕はこうした指摘が不要だと考えているのではない。むしろその批判自体には全面的に賛同しているとすら言ってもよい。しかし、彼らはこうして論敵の不明を嘲笑うだけで、自民党の改憲草案指示の背景にある国民の感情について無関心だ。中国の外交戦略や北朝鮮情勢の不安定さを前に、国家に軍事力が必要であるという常識を少なくとも建前上は否定している現行の憲法下でそれに対応できるのか、といった不安に応えようとしない。
必要なのは「自分たちはあいつらよりも博識である」という自慢ではなく、現状の憲法があるからこそ国民の安全と国際社会における平和勢力としての活動が可能であるというアピールとそのための具体的なプランの提出ではないか。しかし、「戦後的進歩知識人」の残存勢力の関心は今も昔もナルシシズムの記述にしかない。その意味では吉本隆明のジャーナリスティックな仕事の数々はいまだにその役割を失っていない。しかし、私見では既にこの問題は、形骸化したマスメディアの言論空間をどう変革するか、あるいは既存の空間の外側にいかに有効な言論空間をつくりあげるかという実践レベルの問題に移行しているように思える。
しかしここでもっとも重要なのは当時吉本が前提としていた知識人と大衆という問題設定自体が、少なくとも現在においては無効化されていることだろう。たとえば先の震災が明らかにしたのは、ある特定の分野の専門家、それも国際的な第一人者のレベルの研究者が別の分野については陰謀論じみた風評を信じてしまう、といった現実である。
そう、僕は吉本隆明を21世紀の今、読みかえす価値はジャーナリスティックな機能ではなく、その理論的なポテンシャルにあると考えている。たとえば吉本の好んで使用した言葉に「大衆の原像」というものがある。この言葉は今ではせいぜい「インテリたちは市民のことを理解していない」という前述したような知識人批判のタームであると矮小化されている。しかしこの言葉は吉本思想の中核にあった。
吉本が活躍した時代は戦後日本が高度成長からオイルショックを経て高消費社会に舵を切っていく時代だった。吉本がこのとき見つめていたのは、激変する時代の中にあっても決して変化することのない大衆の、いや、人間の本質だったのではないか。そして消費社会化は、これまで決して可視化されることのなかったそんな大衆の本質を可視化させていった。それが私見では『共同幻想論』から『ハイ・イメージ論』へ至る流れで吉本が背景にしていた変化である。言い換えれば、当時の消費社会化の流れの中で、自己幻想と対幻想の世界だけで完結して生きている人々が発生していた。それが「大衆」たっだ。いや、正確には大衆とは、いや人間とは、根本的に自己幻想と対幻想があれば生きていける存在であり、消費社会はその本質を露呈させたに過ぎない。
だからこそ吉本は天皇制だろうが、戦後民主主義だろうが同じ次元で批判することができたのだし、前衛党抜きでの社会変革を信じることができた。そして、ここからが古い吉本読者とは一線を画すところかもしれないが、吉本のこうした可能性の中心は資本主義の内部にあったはずだ。
これは共同幻想論からハイ・イメージ論に続く一貫した問題意識である。西洋的な社会契約とは異なるかたちで、つまり個人が個人のまま社会を形成する可能性をどう考えるか。その可能性は既に高度資本主義下の大衆の原像に現れていたというのが吉本なのだ。言い換えると、吉本隆明は理性ではなく欲望で生きる生物としての人間を考えていた。西洋近代的な市民化を経なくても、社会を維持できるという確信があった。(里山資本主義のような「いい話」による社会批判とはもっとも遠いところにいる人だと思う。)
では「共同幻想がなくても、自己幻想と対幻想があればやっていける」とはどういうことか。今風に言えば、個人がメディア化することで前衛党や地域社会に関わらなくても、直接マーケットや法システムに対峙してやっていけるということだ。たとえば戦後民主主義の論理は個人が「徹底して個人的であること」を追求すると逆説的に個人的であることを保証してくれる国家を必要とする=「公共性を帯びる」というものだ。しかし、徹底して個人的であることを是とする吉本隆明はこの戦後日本における市民主義の論理を信じていなかった。共同幻想が機能しなくても、公共性を維持できる社会を考えていた。戦後民主主義は最後に九条が象徴する共同幻想を召喚する。そこが弱点だと指摘したのが吉本隆明だったのだ。そして戦後民主主義という「物語」が破綻し、「普通の国」に良くも悪くも性急に近づきつつある今、僕は吉本隆明を読み直すことで、リベラルな個人主義を再興できないかと考えている。そう、僕の考えでは今、左翼は共同体主義者になりすぎている。保守には戦後的な共同体主義者と脱戦後的な個人主義者とが両方いる。しかし現代の左翼には個人主義者はほとんどいない。
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