ニコニコチャンネルメニュー

ブロマガ - ニコニコチャンネル

tks(高須 正和)のブロマガ

深センのプロデュース:規制緩和するのは本当に大変だ(現代中国の父 トウ小平 エズラ・F・ヴォーゲル )

2016/09/09 03:13 投稿

  • タグ:
  • ニコ技深圳観察会
  • 読んだ本
結論を先に書くと、「価格的にも分量的にも分厚いけど、イノベーションとか産業振興とか都市とか人類の未来とかに興味あって、深圳きたことある人は読んだ方がいいよ」という感じです。

香港のGNPを超え、中国経済を引っ張る都市となった深圳。ニコ技深圳観察会で何度か深圳にわたる中、あるとき深圳市の博物館を訪ねた。
そこには巨大な鄧小平の銅像があった。デカイ博物館はわずか30年ばかりの深圳の発展史で埋め尽くされていたが、その7割ぐらいは鄧小平関連だったように思う。
本人が使った車、スコップ、、いかにも全体主義国家っぽい個人崇拝ぶりにビビったのをおぼえている。



一方で、深圳を今のイノベーションの街とした展示はあまりなかった。政府の手助けで一歩一歩市場化をしてきたという展示はいっぱいあった。最初の株式市場や最初の工場。でも、それらは僕の知っているもので、たとえば華強北の都市計画図とか、シャンザイ電話とかは展示してなかった。メイカーズのエコシステム山形浩生さんの解説では、国境の街にそそり立つシャングリラホテルが政治的な要因でムリヤリ作られたことが予想されている。実際にそのホテルの建設記録が詳細に残されていたり、じゅうぶん興味深かったものの、「まだ勉強する必要があるな」といまいち消化できないまま博物館を後にした。

そのあと、八谷さんのおかげで、山形浩生さんや江渡さんとメイカーズのエコシステムのイベントを行い、そこで産業振興政策とイノベーションについての話をしたのも面白かった。
皆なんとなく、「何かしら深圳にはプロデュースがあるのではないか」「ただ、政府がプロデュースしていたら、あんなにうまくいくはずがないし、これまで世界のどこでもお上の産業振興はだいたいコケている」という思いを抱いているようだった。

もう10年も前の話だけど、このチアン=ハリデイ VS フィリップ・ショート:二つの毛沢東伝を比べると。で、山形さんが
毛が桀紂なみの悪逆非道の暴君だったというだけじゃ昔話の域を出ない。かれの思想や遺産は現在にどう受け継がれたか――あるいは中国の場合には、鄧小平がいかにそれを断固として骨抜きにしたか――それこそが、いまの読者にとって重要なことだろう。
と書いてあるのも気になっていて、深圳から帰ってきてから木村公一郎さんに勧められてこの本を読んでみた。

現代中国の父 トウ小平(上)
エズラ・F・ヴォーゲル
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 134,985
現代中国の父 トウ小平(下)
エズラ・F・ヴォーゲル
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 306,536
-補助金を出せないなら稼げる権利をくれ(深センを経済特区にするために陳情に来た政治家
-このブタ野郎!貴様はたらふく食べておいて、貧しい農民が食べる工夫をするのを邪魔するのか!(農業の自由化を、人民後者のボスから反対されて)
-農家が飼っていた3羽のアヒルが、4羽になったらブルジョアになるのか?( Hiroo Yamagataさんの解説にもあった、郷鎮企業が大きくなり、「資本家の誕生を防ぐために人を8人以上雇わない」が難しくなったときに擁護した言葉)
-香港のエリートが深圳とやりとりするようになると、中国側のスタッフも国際ルールにあわせるようになった。たとえば「約束を守る」「契約は社内のボスのいうことに優先する」みたいな概念
-試行錯誤しながら自分たちのやり方を変えた。たとえば知財について、「火や活版印刷の発明は中国だが、特許料をもらったことはない」と、海外への特許料支払いに反発していたが、その後守るようになった。逆のケースもある。
-「効率」というものを西側とアクセスする中国人が学び始めたとき、彼らは中国の政府にもそれを要求した。
-橋を建築するときに、将来通行料で回収するための債券を発行し、手持ち資金ナシでも公共事業を行う、信用の創造
-統制経済の撤廃。市場価格を入れると、最初は価格が暴騰するが、人気なものをみんながつくるようになるので、結果的に良いものが安く手に入るようになった。
-軍隊の人数を半数以下に減らし、役人も減らす効率化。鄧小平の時の軍事費はGNPの1.4%、スタート時の三分の一程度(1979年→91年)まで下がった。中国の統計はアテにならないが、アメリカの専門家が推測した数字。
-まったく役に立ってなかった軍需企業などを民営化
-アンコントローラブルな部分まで含めて、市場の力や人々の創意工夫、リスクを冒す姿勢が国を前進させると気づいていた。
-結果として、もともとの権力者や小リーダーからの評判は悪かったが、大衆は鄧小平(改革開放がうまくいってたときは)を支持した。自然発生的に鄧小平に対して歓呼を送るシーンが北京で見られ、改革開放の中心地深圳ではさらに見られた。
-ただ、支持基盤は盤石じゃなくて、しょっちゅう反乱ぽいことにあっている。「何でもできた独裁者」というよりも、不安定な状況の中で頑張って権力を保持していたらしい。
-その権力へのしがみつきは、「自分がやらないと、改革開放が止まる・中国がまた貧乏で人が逃げ出す国になる」という想いから来ていたようだ。

もともとお金がなかった国なので、補助金のたぐいは出していない。毛沢東の時代に大量にできた「資本家を自由にさせない」ための法律を、信頼できる人が担当している地区に限って少しずつ創意工夫を認めてきたようだ。このとき、「補助金を出せないなら稼げる権利をくれ」と言った政治家は習仲勲といって、今の習近平の父である。

ルールがまだ未策定だったため、「何が悪いか」の認識のズレから汚職や役人のミスは起きる。もちろん確信犯的に私腹を肥やす人もいる。そこに対しては、「ドアを開ければハエは入ってくる」の言葉に象徴されるように、ドアをあける方=国民を飢え死にさせない方」を優先し、慌ててドアを閉じるようなことはしなかった。「片手で改革開放をしっかり掴み、もう片手で可能な限り不正を撃滅せよ」とも言っていて、放置していたわけではなさそう。

「政策は一言で言うとこれ」みたいに単純にまとめられる本ではなく、多くの人がたくさんの試行錯誤をしている。ムリヤリ共通項を出すと、
・耳の良い報告は一切聞かなかった。飾り立てて問題を隠すような人は良く更迭された
・問題をちゃんと見ようとした。
・結果をいつも見ていた。重用しているスタッフでも、結果が出ない場合は別のことをやらせたりした
・前例がないことを試すことに対して、実施者を守った
・結果が出るまでは、実験に対して寛容で、実験する権利を守った
・多くの人の生活を変えることに対して躊躇しなかった。中国の歴史上、この時代ほど人々が急速に豊かになったことも、人口が沿岸部に移動したこともない。
みたいなことだとおもう。

もちろん、チベット問題とか、いくつも大失敗もしている。ちょっと前まで列強の植民地だった中国で、国の形をキッチリ保つために必死だった様子は随所に窺え、そういう問題だとテンパる対応もよく見られる。こういうところは僕にはわからない問題なのだろう。

「トライを認める」「大義名分とか他人の目を気にしない」「耳の良い報告を信用しない」どれも、言うのは簡単だけど実際は難しくて、僕のまわりでも悪い状況になると逃げる人はいっぱいいるし、僕も逃げるかもしれない。報告書を書くときに、内容よりも形式を重んじる話や、結果として問題の直視ができなくなることはよく聴く。
そして、僕たちの政府や見聞きする政治家は、間違いを認めることややり方を改めること、率直に話すことに寛容だろうか?
自分に関係の無い大きい話では理想論を言えても、目の前に貧乏人が出てくると何もできないことはよくある。でも、どうするのが一番良いんだろう。あるいは、「やってもしょうがないな、これ」と気づいたことがあったとする。僕らは、そこでためらいなくその仕事を捨てて他のことを始められるだろうか。

自分たちの組織の中で、どのぐらい「ぶっちゃけた話」「実質的な話」ができて、やりかたを変えていったりしていけてるだろうか。
だいたいは、自らプレイヤーになると、プレイしていることそのものが好きになって、視野は狭くなってしまうものだ。むしろそうならない人は情熱が足りない、とも思う。でも、情熱だけでは駄目なこともいっぱいある。

以前、山本一郎氏のブログでオススメされていた

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)
デイビッド・シャンボー
朝日新聞出版 (2015-06-10)
売り上げランキング: 203,085


この鄧小平本の面白さは、ものすごく多い問題の中で、試行錯誤しながら少しでも良い状態を掴んできたプロセスだと思う。それはそのまま、「ちゃんと計画すればいい」というアンチ・プロトタイピング的な考えへの反証でもある。
分厚いけど、読んでよかった本だと思う。



コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事