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追悼! 骨法・堀辺正史師範について

2016/03/03 15:50 投稿

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  • 山口日昇
今週のお題…………「3・25巌流島!  私はここに注目する!」
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文◎山口日昇(『大武道!』編集長)……………………木曜日担当



昨日(3月2日)、突然。
日本武道傳骨法創始師範である堀辺正史氏が亡くなったことを聞きました。
でも正確にいうと、昨年12月26日に堀辺先生が亡くなっていたことが、昨日わかったということです。
 
俄かには信じたくありませんでしたし、信じられませんでした。
 
だってね、亡くなったのは昨年の12月26日だと言うじゃないですか。
ずいぶんと時間が経ってるし、前日の25日には『大武道!』Vol.2用の取材で、私、会ってるんですもん、堀辺先生に。
しかも、3時間近く夢中になって話してた……。
 
昨年の9月、『大武道!』発刊に伴い、サダちゃん(谷川貞治氏)と一緒に、10年以上ぶりに会いに行ったときは、心臓の手術をしたとかで、ずいぶんと痩せて小さくなってしまったなぁとは思ったものの、そのときも話しだすと、じつに熱心にイキイキとした表情で、おもしろい話を聞かせまくってくれました。
 
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堀辺先生といえば、
・アントン(アントニオ猪木)や船木誠勝、山田恵一選手などに骨法の技を伝授した。
・当時の新日本プロレスのブレーンもやるようなアイディアマンでもあった。
・一方で、山田恵一に勝利し花道を引き揚げてくるドン・中矢・ニールセンのグローブを叩き、「俺と闘え!」と激昂したり、テレビ局で「たけしを連れて来い!」と暴れたり、その言動は非常にエキセントリックでもあった。
・『週刊プロレス』や『格闘技通信』では欠かせぬ論客であり、その発想・思想は、格闘技界やプロレス界に多大なる影響を及ぼした。
・骨法を競技化しようとしたり、武者相撲の概念を取り入れたり、変わらぬ哲学・思想を軸にしながら、常に新しいものに挑戦し変化し続けた。
・実戦の概念や武道の精神を探求し、グレイシーやUFCなどの黒船にもいち早く対応しようとした。
・当時の門下生が実力測定の場・バーリトゥードに出陣し、惨敗。一時期、骨法の信用はガタ落ちした。
・それからも人知れず、日本武道の復興を願って、武器術等の研究に余念がなかった。
 
とまぁ、他にもあるんでしょうけど、ザッと思いつくだけでも、堀辺先生は波乱万丈の人生を送ってきました。
 
私が初めて堀辺先生を見かけたのは、たしか1980年代の終わり、何かの出版パーティーの場でした。そのときの堀辺先生は身体にもすごく厚みがあり、威圧感もあって強そうでした。
そして、四半世紀前の1991年、私のやっていた『紙のプロレス』という雑誌の創刊号から連載をお願いし、本格的な仕事上のおつきあいが始まりました。
一時期は毎月のように道場に行ってインタビューしていたし、そのどれかの記事を指して、「『紙プロ』でやった、あのインタビューが私の一番言いたいことを引き出してくれているので、私の書籍に再録したい」なんていう、ありがたいことまで言われたことがありました。書名は忘れてしまったけど。
 
で、そんなつきあいの中から見えてくる堀辺先生は、エネルギッシュな反面、寡黙で冷静なところもあり、エキセントリックな反面、じつにチャーミングなところもありました。
 
上に挙げた公のプロフィール以外にも、堀辺先生のエピソードはたくさんあります。
・あのターザン山本と一心同体かと思うくらいの共犯関係ならぬ"狂犯"関係を結べたという奇跡。
・門下生に「狂ってますかーっ!」と挨拶させていた。
・若き日の堀辺先生が百子局長を口説くために手紙を出すと、その手紙には「百子」の名はなく、「梅子」という名が。つまり、百子局長のことをズッと「梅子」だと思っていた。
・結婚以来、財布を持ったことがない。なぜなら必ず落とすから。
・曲がり角が嫌いで、常に真っ直ぐ歩いてしまう。なので、いつまでたっても目的地に辿り着かない。
・人生のテーマは「喧嘩」「恋愛」「革命」「宗教」。
・喧嘩の際には相手がパンチを打ってきた腕を掴んで、その腕を「豚足だ」と思って噛みついた。
・中学の頃に腎臓病を患い、医者から「このままでは余命1ヶ月。安静に」と言われたが、「どうせあと1ヶ月の命ならガムシャラに運動してしまえ」と思って運動しまくったら、治った。
 
……いやぁ、まだまだあったよなぁ。あった。でも、ありすぎて、いますぐ思い出せない。
 
堀辺先生は「サムライというのは自立した存在」ということを言っていたけど、堀辺先生も、どこに行くにもあの格好だし、あのヒゲだし、権力や組織にも捉われない一匹狼だし(百子局長とは常にいっしょだったけど)、まさに社会や世間から自立し、常に"辺境の地"から中央を撃つという姿勢でした。
 
武道や武術に対しても、教条的・道徳的な面からだけではなく、非教条的・非道徳的な視点からも捉えていたし、人生そのものに対しても、常識に捉われず、非常識な角度からも見据えていました。
 
まぁ、つまりは変わり者。
私のように、ごくごく普通で平凡な人間から見たら、保護したいくらいに狂った人生を貫き通した人でした。
 
あんなのは上っ面だけの変人だという人もいたし、武道家や格闘家としてはインチキだとか紛い物だとか言う人もいたのも知ってますけど、武道・武術あるいは歴史研究家としては熱心な勉強家だし、頭もいいし、興が乗ってきたときのエネルギッシュさと、あのちょっとなまった感じで出る言葉のアンバランスさが相まって、話はとても面白かったし、人としても非常に魅力的でした。
 
前述しましたが、そんな先生と最後に話したのは亡くなる前日。
よりによってテーマは『葉隠』。
「死に方」についての話でした。
そんな話をした翌日に旅立ってしまうとは……。

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昨年の秋、堀辺先生はこう言っていました。
『サムライでも「歌舞伎者」と呼ばれた人たちがいた。歌舞伎者というのは正統なサムライの生き方をわざと否定している人間ですよ。だから、そういう人々は孤立するわけ。でも俺は孤立しても生きられるんだよと。文句があって、俺たちの生き方が気に入らなかったら殺しに来いよと。逆に殺して返してやるというのが歌舞伎者の信条ですよ。世の中の常識には従わない。しかし、"俺"っていうのは一貫している。世間とずれていることを一貫してやろうとしている。なぜかというと、そうしないと人生がおもしろくないから。おもしろく生きるために傾(かぶ)くんです。それもサムライの立派な生き方の一つと思います。人生を楽しく生きるという、ひねくれ者のやりかたですね』
 
「死」という概念と裏腹の「生き方」についても、これからまだまだ話を聞きたかったし、実際に『大武道!』では、毎号話を聞きに行くつもりでした。
 
そういえば、サダちゃんが『巌流島』の説明をしたときも、一発でコンセプトを理解し、
「話を聞いていると、『巌流島』はある種、変人的な選手たちが集まる場所ではないでしょうか」
「これは格闘技よりも武道の復興を目指すべきです」
「相撲のおもしろさは、やはりどんな形になっても判定がないということ。誰が見てもどっちが勝ったかわかる。絶対に決着がつくルールを作るべきだと思います」
と、非常に興味シンシンという感じでした。
 
元気だったら、3・25『巌流島』にも姿を見せ、そのあといろいろな話をしてくれるはずだったのに。
 
でもきっと、3・25は、そんな堀辺先生が「これは狂っていておもしろい!」と太鼓判を押す闘いが見れるはずです。
 
堀辺先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 
 
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