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なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期■「斎藤文彦INTERVIEWS③」

2016/06/01 00:00 投稿

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  • 斎藤文彦
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは、新日本プロレスでペガサス・キッドやワイルド・ペガサスのリングネームで活躍し、WWEの頂点にも立ったクリス・ベンワー! 新日本の野毛道場で育った男が世界最高峰に登り詰めるまでの軌跡、そして謎が残る最期――。12000字で追います!






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斎藤文彦(以下フミ) クリスが亡くなって来年で10年経つんですよね。早いか遅いかは個人によってそれぞれだろうけれど、いまWWEユニバースと呼ばれてる人たちは、そもそもクリス・ベンワーの試合を観たことがないかもしれない。

――9年とはそういう歳月になっちゃうんですね。

フミ ストーンコールドの試合だってリアルタイムで観たことない人が多いでしょう、いまや。前回ここで取り上げたスティングにしても、プロレスの歴史を追っていって知った人も多いでしょうしね。

――私はクリス・ベンワーが80年代末期、新日本プロレスに留学生としてやってきた頃から知ってるので、WWEのトップに立ったあとのあの悲劇は、どう受け止めていいのかを考えてしまうんですね。

フミ ボクもあの事件は頭では理解はできるけど、いまだに納得はできないし、整理はできていない。ボクが会ったレスラーの中で、あんなに優しくてナイスガイはいなかったですから。なんでこんなことになってしまったのか……。

――日本のプロレスファンも整理できていないですね。

フミ クリスは日本育ちのプロレスラーと言っていいですから、思い入れがある方は多いですよね。クリスがプロレスに目覚めたときまで話がさかのぼるけれど、クリスはカナダのエドモントンで育ったんです。エドモントンは日本のプロレスファンにはおなじみカルガリーの隣町なんだけど、クリスは中学生の頃から、カルガリーのスタンピード・レスリングのリングサイドの常連だったんですよ。

――熱狂的なプロレスファンだったんですね。

フミ WWEと違って、カナダのプロレスはチケット代がかかるエンターテイメントじゃないんですよ。5ドル、10ドル、1000円程度で見られる。クリスが中学、高校とプロレスを見続けたお目立てはダイナマイト・キッド。

――のちにプロレスデビューしたクリスのスタイルは、ダイナマイト・キッドの影響を受けてますね。

フミ クリスが熱狂していたダイナマイト・キッドは、WWFで身体がパンパンに膨れあがる前。カミソリのようなファイトスタイルだった頃。初代タイガーマスクと戦っていたときのイメージですね。少年だったクリスは、自分とたいして身長の変わらないダイナマイト・キッドの試合を観て催眠術にかかってしまったと言うんです。「こんな人になりたい!」とキッドが坊主頭になれば、自分も坊主頭にしたり(笑)。

――そこまでマネしてたんですか!(笑)。

フミ 最終的に「プロレスラーになりたい!」と決意したクリスは、スチュ・ハートさんに弟子入りする。そこは単なる憧れではなく強い決意を感じますよね。高校卒業とともに、スチュ・ハートのお屋敷の地下にある「ダンジェン」と呼ばれる有名な場所で修行するんです。お屋敷といっても、一軒家の地下だから狭いですよ。ちょっと身体がもつれたら壁にぶつかってしまうし、リングがあるわけじゃなくてマットを敷き詰めてるだけ。その「ダンジェン」ではスチュ・ハートの息子ブレットやオーエンがプロレスを学んだ場所で、何十年前にはスーパースター・ビリー・グラハムも修行してるんですね。

――世界遺産モノですね(笑)。

フミ スチュ・ハートはレスリングがしっかりできる人間しか使わないんですよ。カルガリーという町は11月から4月までは雪の中。雪国だからこそインドアスポーツのレスリングは強いですし。ブレットを育てたのは、カルガリーに住んでいたミスター・ヒトやミスター・サクラダ(桜田一男)の日本人でしたね。

――ガッチガチに鍛え上げられたんですね(笑)。

フミ 話はズレるけど、カルガリーには多くの日本人が出たり入ったりしてるんですよね。獣神サンダー・ライガー、馳浩、佐々木健介や橋本真也、その前の世代でいえば、スーパーストロングマシンになる前のサニー・ツー・リバース時代の平田淳嗣、コブラに変身したばかりのジョージ高野、金髪になったばかりのヒロ斉藤、新日本と第一次UWFに移籍する前に姿を消していたラッシャー木村さんもいた。日本人選手が5人も6人もいるって珍しい土地ですよね。

――カルガリーで育ったクリスも、縁のある日本にプロレス留学しますよね。

フミ クリスはカルガリーでデビューしたあと、新日本プロレスへの留学を推薦されるんです。クリスを日本に送り込んできたのはバットニュース・アレン。

――黒い猛牛アレン! 


フミ アレンは柔道オリンピックの銅メダリストで、猪木vsチャック・ウェプナーをやったときのセミファイナルで坂口征二との異種格闘技戦でデビューした。当時はアレン・コージという名前だったけど、アレンも新日本の道場でプロレスを学んだ人で、サーキット先のカルガリーに住み着いちゃったんですよね。

――カルガリーという土地が気に入ったんですかね。

フミ 寒い国の人たちは心が暖かくて、みんなそこに惹かれたのかもしれないけど(笑)。そのアレンの紹介でクリスは新日本に留学することになった。当時はいまほど情報が行き渡ってないですからね。アメリカやカナダで「日本の道場なんか行ったら殺されるぞ!」って恐れられていたんですよ。

――ええええ!?

フミ そりゃそうですよ。アメリカ人からすれば「新日本の道場のトレーニングは本当にヤバイよ」って見られますよね。

――たしかに地獄ですもんね。虎の穴は日本にあった(笑)。

フミ クリス以前、新日本の道場で学んだ外国人はアレンと(ウィレム・)ルスカしかいない。でも、この2人はオリンピックメダリストでしょ。年齢もいっていたこともあって、ホテル住まいなんです。道場では練習したけど、外国人レスラーと同じ扱いだった。

――道場と併設されていた寮には住んでなかったんですね。

フミ 住み込み第一号は、クリスとダリル・ピーターソンなんです。それから半年くらい遅れてブライアン・アダムス(のちのクラッシュ)。彼らはシリーズに呼ぶほどのキャリアはない。でも、才能があるから新日本も受け入れた。当時の新日本は「冬の時代」と呼ばれ、長州軍団がいない、UWFが帰ってくるか来ないかの時期。

――若手中心の道場にクリスは放り込まれたんですね。

フミ メンバーは凄いですよ。ライガーや佐野なおき、闘魂三銃士に船木(誠勝)、野上彰(AKIRA)がヤングライオンだった時期。結局新日本ではデビューできなかったウルティモ・ドラゴンこと浅井嘉浩も道場にいた。

――宝の山(笑)。

フミ クリスの日本でのデビュー戦は後楽園ホールの船木戦でしたからね。クリスにとっては新日本プロレスというリングは最適だったと思うんですよ。ヘビー級天国のアメリカでやっていくにはクリスの身体では小さいから、トップは取れないと言われていた。だけど、日本ではダイナマイト・キッドのようなプロレスラーになれるだろう、と。

――新日本プロレスがクリスたちを受け入れるのはどういうメリットがあったんですか? 

フミ やっぱり日本で使える選手を育てようってことだったんでしょう。アントニオ猪木さんのおメガネにかなわない選手は新日本では使えないし、アメリカではいくら有名でも日本に呼んでみたら「ちょっとこれでは……」というケースもある。逆にアメリカでは無名だけど、日本では使い勝手いいという外国人は多い。

――スタン・ハンセンやジェット・シンなんかも日本で育ったところはありますね。

フミ だったら、イチから育てようってことですね。新日本道場に入門したクリスは根性があった。文句は言わないし、寡黙なアスリート。それでいて子供のようなところもあって、ヤングライオンだった頃の橋本真也とはよくイタズラをやって遊んでいたんです。爆竹に煙草の吸殻をくっつけて時限爆弾にして、誰かビックリさせたり(笑)。 

――ハハハハハハハハハハ! イタズラの異国交流(笑)。

フミ 橋本真也が亡くなったとき、クリスはWWEにいたんですけど、ボクに「遺族に贈り物をしたい」とメールを送ってきたこともあって。

――同期の桜ですもんね……。

フミ 道場の過酷な練習を耐えて日本でデビューしたクリスは、一度カナダに帰って、また来日したときに藤波(辰爾)さんから「ダイナマイト・クリス」というリングネームをつけられたんだけど。クリス本人はあまりにもダイナマイト・キッドを尊敬してるもんだから「まだダイナマイトは名乗れません」っていうことで返上したんです。

――そのあと覆面レスラーのペガサス・キッドに変身するんですね。

フミ ジュニアヘビー級戦線の重要な選手として活躍して、マスクを脱いだあとはワイルド・ペガサスと名前を変えた。クリスは「日本でずっとやっていきたい」って言ってたんです。「ボクはまだライガーさんに勝ってない」と。あの頃のジュニアでライガーに勝つことはもの凄く高いハードルだから、その目標を果たすまでは新日本で頑張るってことだったと思うんですけどね。

――90年代の新日本ジュニアは他団体との交流も活発で、そうそうたるメンバーが集ってましたね。

フミ クリスは第1回スーパーJカップ1st STAGEで優勝してるんですけど。あの大会ではライガーvsハヤブサがあったり、ほかに出場したのはエディ・ゲレロのブラックタイガー、サスケ、外道、ディーン・マレンコ、大谷晋二郎、エル・サムライ、スペル・デルフィン、TAKAみちのく、ネグロ・カサス……という中でクリスが優勝。クリスはジュニアヘビー級のイベントで3回優勝してる。

――完全に育成成功ですね。

フミ 新日本で活躍していたクリスに「ぜひアメリカで試合をしてください!」とオファーしてきたのがECWのポール・ヘイメン。「クリス、君は本当に凄い。ハウスショーだろうがなんだろうが君の出る試合はすべて映像に収めるから」と申し出た。クリスからすれば、ここまでの高評価は思ってもみなかったわけですよ。それまでは年4〜5回くらい新日本に来て、そのあいだはメキシコやヨーロッパに回ってたりしたけど、そこはあくまで新日本ルートなんですよ。

――アメリカから評価されたことはなかったんですか。

フミ アメリカでよもや自分が活躍するとは想像してなかったと思うんですね。とはいっても、当時のECWはハードコア軍団、ガラクタ軍団と呼ばれる場末のインディ団体だったんです。選手が自分のグッズを持ち込んで、会場の売店で売ったりするレベルのインディ。事務所がポールの実家の地下にあって、そこに古い編集機を持ち込んでビデオを編集したり、パンフレットやポスターを作ったりしていた。借りられる体育館をみんなで探して、みんなでリングを組み立てて、みんなで椅子を並べて……。どインディなんだけど、ホントにプロレスが好きな人たちばかりが集まっていた。そんな団体があのWWEやお金ザクザクのWCWに次ぐ第3団体に上り詰めるとは思ってなかったんですね。

――小劇団が成り上がっていくようなもんですね。

フミ ECWにはリビングレジェンドのテリー・ファンクが協力してくれた。次にサブゥーが来て、そのライバルのタズもECWに上がった。徐々にのし上がっていく中で「クリス・ベンワーとエディ・ゲレロ、ディーン・マレンコを日本から呼ぼう!」となった。ECWがどうやってこの3人を発見したかといえば、日本のマニアからアメリカのマニアを通して渡ってきたVHSビデオなんですよ。そのVHSに収められていた日本のプロレスにアメリカのマニアは大熱狂していたんです。

――ネットもない時代ですから、ビデオが重要な役割を果たしてたんですね。

フミ たとえば、80年代前半には、ダビングのダビングのダビングの繰り返しで、映像がかすれちゃったようなタイガーマスクvsダイナマイト・キッドのVHSがマニアの宝物になってたんですね(笑)。90年代になると、四天王プロレスの三沢、川田、小橋のビデオですよ。

――
豊田真奈美の人気も凄かったんですよね。

フミ 90年代中盤は全日本女子プロレスのビデオが大人気。そうやって日本から送ってもらったVHSの中に、新日本のワイルド・ペガサスやブラック・タイガーの映像が必ず入ってたんですよ。サブゥーもFMWのビデオに映っていた。

――ポール・ヘイメンに発見されて「コイツらを呼ぼう」となったんですね。

フミ ポールらECWのスタッフがビデオで見ていた“日本の試合”を自分たちのリングでやっちゃったわけですよね。エディがECWに初めて上がったときのコスチュームは、ブラック・タイガーの上下。つまりブラック・タイガーの衣装のまんま素顔で試合をしたんですよね。

この続きと、保坂秀樹、橋本真也の不倫と死、BABYMETA×NXT、リコシェ vs. オスプレイ論争などの記事が読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ
 

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