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【レフェリーの魔術】ミスター高橋with田山正雄「試合はこうして壊れていく――」

2016/04/20 19:20 投稿

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ミスター高橋さんに会いませんか?」――Dropkickチャンネルで90年代プロレス界のディープなエピソードを披露してくれたレフェリー田山正雄氏の紹介で実現したこの対談。ミスター高橋といえば新日本プロレスのリングで幾多の試合を裁き、引退後に執筆した『流血の魔術・最強の演技』がベストセラーとなり、プロレス界を震撼させた伝説のレフェリー。高橋氏考案のチューブ体操をしながらお読みください。







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記事内容一覧 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1000062

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■「MMAオレンジ色の手帖」
格闘技ぶらり途中下車〜WSOF発UFCファイトパス経由REAL行/総合格闘技就職ジャーナル


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――今日は田山さんのご紹介で伝説のレフェリー、ミスター高橋さんにお話を聞く機会をいただきました。田山さんの師匠が高橋さんになるんですよね。

田山 そうですね。ボクが新日本プロレスのレフェリーテストを受けたときの試験官が高橋さんで。

高橋 俺は田山を採用したときに、後継者だと思ってた。でも、田山のレフェリングをまともに見たことないんだよ。チラチラとは見てるだけで育成はしてない(笑)。

田山 でも、レフェリーの育成って、本番で恥をかいて成長するというかたちですよね。あの試験のときは道場に7〜8人の志望者が来たのかな。面接のほかにスクワットや腕立てをやりましたよね。

高橋 田山は運動能力でダントツだったよな。アマレスやってたこともあって。

田山 高橋さんに言われましたよ。「キミは体力的にはレスラーとしても合格だよ」って。その頃の新日本だとレフェリーも体力がなくちゃいけないということなのか、レスラーと一緒にスクワット1000回やってましたもん。おぼえてるのは、道場でみんながダラダラしながらスクワットやってたんですよ。そうしたら高橋さんが喝を入れるかたちで、スクワットの歴史から教えてくれたんですよね。「その昔、力道山時代の日本プロレスへ初来日したタイガー・ジョキンダーが……」。

高橋 おお、よくおぼえてるな(笑)。

田山 永田裕志があのときの高橋さんの真似をするんですよ(笑)。高橋さんの前ではやらないと思いますけど。

高橋 そうなんだ(笑)。

田山 高橋さんも道場で凄く練習してましたよね。

高橋 俺はほとんど毎日道場に行って身体を鍛えてたよね。体重は100キロあったけど、デブじゃない(笑)。あの頃は腕の太さが50センチくらいあったんだ。

田山 ホントいい身体してましたよね。ジョー樋口さんは試合中に巻き込まれて失神してましたけど、高橋さんは頑丈だからそんなことはなかったですよね。

高橋 (アンドレ・ザ・)ジャイアントのラリアットにはさすがにマジでふっ飛ばされたけどね(笑)。田園コロシアムのスタン・ハンセン戦。喉に食らって1週間近くまともに飯が食えなかったよ。

田山 おぼえてるのは、高橋さんがマサ(斎藤)さんにミドルキックをやってことなんですよ(笑)。試合内容は忘れたけど、そのシーンだけはおぼえてるんですよね。

高橋 俺がやったの?

田山 はい。

高橋 ああ、それは大阪城ホールじゃないかな。ガスパーっていたでしょ、海賊軍団。

――猪木さんとマサさんの試合中に乱入したガスパーが、自分とマサさんの手を手錠でつなげてしまって、試合をメチャクチャにした事件ですね。

高橋 あのときガスパーをやってたのはクロネコ(ブラックキャット)なんだけど、本当は猪木さんに手錠をかけるはずが、間違って斎藤さんにやっちゃったんだよね。

田山 なんでそんなことになっちゃったんですか?

高橋 クロネコは日本に来たばっかりだから日本語が不自由だった。日本語と片言のスペイン語で伝えたんだけど、クロネコが理解できなかったんだよね(笑)。何度も「コンプレンデ(わかったか?)」と確認したんだけど、彼は「シー(はい)」を繰り返してたんでアングルを理解してたと思ったんだ。

――予想もしていなかった展開に猪木さんも呆然としてましたよね。

高橋 仕方ないから斎藤さんとガスパーをいったん控室に戻して手錠を外したんだけど、このまんまで終わらせるわけにはいかないでしょ。控室でこのあとのことを話したんだよ。俺は斎藤さんに「リングに戻って暴れ狂ってください。それを制止するために蹴飛ばしますから、俺にラリアットをください。それで反則負けにしましょう」と。

――結局、海賊乱入に納得のいかない観客が暴動を起こしてしまったんですね。

高橋 起きた。警察が来たりして酷かったですね。同じプロなんだからクロネコもわかるだろって思ったんだよね。そのあとは日本語をおぼえてペラペラになったんだけど。

田山 ネコさんの運転する車に乗ってるときに助手席で眠っちゃったときがあったんですよ。「すいません、寝ちゃいました」って謝ったら「大丈夫。俺も寝てたらから」なんて冗談を言えるくらいの上達ぶりで。いや、本当に寝てたかもしれないんですけど(笑)。

高橋 ハハハハハハハハ。俺は努力家のクロネコが大好きだったんだよな。でも、クロネコと橋本(真也)は手が合わなかったよな。

田山 高橋さんも橋本さんと言い合いになりませんでしたっけ? 大掃除のとき。

高橋 あったなあ。

田山 橋本さんが高橋さんに暴言を吐いて。ボク、現場にいたんですけど、「これは大変なことになったな……」って。

高橋 あのときは道場と合宿所の大掃除や餅つき準備の日だったけど、橋本は選手会長だったのに道場に来てなかったんだよね。道場で一番年上で古株の俺は行かないほうが若い人は気が休まったと思うんだけど、1年間お世話になった道場の大掃除をやらないと落ち着かないんだよね。それで飯塚(高史)と一緒にロッカールームを掃除していたら、橋本の私物が凄く出てくるんだよ。当時はCDじゃなくてカセットテープでしょ。そんなのが段ボール箱にたくさん。

――橋本さんは自宅に置けないものを道場に置くスタイルだったそうですね(笑)。

高橋 そうしたら背広を着た橋本が道場にやってきたんだよ。大掃除の日にだよ。

田山 あのとき橋本さんはどこか地方に行っていて、安田さんと一緒に帰ってきて。ボクが東京駅に迎えに行ったんですよね。だからスーツ姿で。

高橋 背広姿で掃除するつもりがないんだなって。それで「おまえの荷物は全部捨てたからな!」って言ったら、橋本は大事にしていたカセットテープを本当に捨てられたと思ったんだろうね(笑)。俺に「テメエ!」とか暴言を吐いたんだよ。

田山 これは大変なことになったと思いましたよ……。

高橋 俺が「おまえ、誰に向かってものを言ってるんだ。ちょっと来い!」って橋本をロッカールームに連れていったら、何も捨ててないことがわかってね。「高橋さん、悪かったです。ボクのことを殴ってください!」って謝ってきたけど。殴ったら俺のほうが手を痛めちゃうよ(笑)。

――かなり頑丈ですもんね(笑)。橋本さんもブラックキャットさんもお亡くなりになっちゃいましたね。

田山 新日本に留学していたクリス(・ベンワー)も死んじゃいましたねぇ。

高橋 エディ・ゲレロも死んだね。

田山 みんな早く死んじゃうんですよ……。

高橋 みんなムチャするもんなあ。たとえば睡眠剤のハルシオン一粒だけで俺なんかぐっすり眠っちゃうんだけど。彼らはそれを何粒も平気で飲むんだもんね。

田山 アルコールと一緒に飲んじゃうし、食事の最初のほうに摂るから、後半は記憶がないまま行動してるんですよね。危ないのは、錠剤を粉にして他人のお酒に入れるという冗談もやったり。

高橋 俺が引退したあと、田山が外国人係だったときにもそんなイタズラをやってたの?

田山 凄かったですよ。ボクは二十歳くらいだったから、バンバンやられて。次の日に起きたらどこにいるのかわからない。眉毛はないわ、前髪もないわで。

高橋 ハッハッハッハッ!

田山 あとビガロたちに薬を盛られて、起きたらオカマレスラーの部屋にいたことありますよ。いくらなんでもやりすぎだろ!って(笑)。

――危険すぎますね(笑)。

田山 ボクが寝るたびにジーパンのチャックにアロンアルファを落とされて。トイレに行こうにもチャックが開けられないから、ハサミで切り裂くんですよ。

高橋 それくらいで腹が立っていたら通じないんだよ、外国人レスラーは。でも、俺には、いたずらは仕掛けてこない。なぜかというと、昔は地方を巡業してもどこに何があるかなんて外人レスラーはわからないでしょ。コンビニもファミレスもなかった時代。ということは、俺がいないと飯も食えないんだよ。

田山 高橋さんに眠ってもらうわけにはいかないんですね(笑)。

高橋 だから俺がいたずらを仕掛けるほうだったんだよ(笑)。

――お話は弾んでおりますが、今日は「不穏な試合」についてお聞きしたいと思ってます。壊れた試合というか、一線を越えそうになった試合。ちょっと前にも女子プロレスで不穏な試合がありまして……。

高橋 ああ、その試合のことは聞いた。顔が腫れあがっちゃったんだってね。

――たとえば新日本プロレスvs誠心会館の抗争は、高橋さんが裏で仕切っていたのは有名な話ですが、新日本の上層部は当初「一線を越えたもの」という認識だったんですよね。

高橋 おっしゃるようにだね、あれをマッチメイクしたのは俺なんだけど。俺の後のマッチメイカーに黙って仕掛けたんだよ。本当はいけないことなんだけどね。

――独断やるって凄いですね。

高橋 あの頃の新日本はね、いまいちファンの興味を惹く、話題になるマッチメイクがなかったんだよね。俺はもともとマッチメイカーだったこともあって「こうしたほうが面白いのになあ」って常日頃から思ってたわけだよ。俺は小林(邦昭)のことを「三ちゃん」と呼んでるだけど、彼と飯を食ってるときに「三ちゃん、俺はこういうことを考えてるんだけど」って話をしたら「高橋さん、それ面白いですよ。俺にやらせてください」って。でも、俺がマッチメイカーじゃないから。

――マッチメイカーが試合を組むわけですから、勝手に試合はできないですよね。あたりまえですけど。

高橋 そうしたら三ちゃんが「高橋さんの考えどおり、ケンカが発端のアングルだからいいんじゃないですか」って言うんだよ。それなら後楽園の試合のときに実行しようと考えたんだ。何をやるかといえば、誠心会館との抗争。向こうの青柳(政司)だけには話はしたんです。「こういうことをやりたい。そのきっかけを作りたいから弟子をひとり連れて控室に来い」と。田山、あのときのことおぼえてる?

田山 おぼえてるも何もあの現場にいたんですよ(笑)。

高橋 あ、いたの。そうか(笑)。

――歴史の証人なんですね(笑)。

高橋 後楽園ホールの控室の扉って、立て付けが悪くてちゃんと閉まらないんだよ。閉めると必ず空いちゃうんだよね。つまり、それを利用したんだ。控室を表敬訪問した青柳とその弟子。帰るときに控室の扉を閉めたけど、ちゃんと閉まらない。小林は「館長、ちょっと待てよ。アンタのところは弟子の教育もできてないのか。ドアをちゃんと締めていかないのが武道家か!」なんて詰め寄った。突然小林が青柳に食って掛かるから、弟子もなんとなく青柳の近くに近寄るじゃない。そのときに小林が「ガキはすっこんでろ!」とおもいきりぶん殴ったんだよ、生でね。

田山 その瞬間を見てましたよ……。その騒動が始まる前に、そこのドア付近にある自動販売機の前で小林さんが突然スクワットを始めたんですよ。いつもはそんなことしていないのに。

――小林さんは青柳さんが来るのを待ってたということなんですね。

田山 いまの話を聞くかぎりそういうことですね(笑)。

――青柳さんは弟子には詳しい事情を説明してないんですよね。

高橋 してない。知ってるのは、俺と三ちゃん、青柳の3人だけ。あの件から何年も経って、俺が引退したあと、名古屋で空手の試合があって、俺はそこにゲストで呼ばれたんだ。そのときに、あるゴツイ男から「高橋さん、ボクのことをおぼえてますか?」って話しかけられたの。「どこかで会ったかね?」「会うも何も後楽園ホールの控室で酷い目に遭いました(笑)」って。三ちゃんに殴られた空手家ですよ(笑)。

――誠心会館の弟子たちも何も知らされていないから、あんなにヒートしてたんですね。

高橋 そういうことだね。とにかく俺は小林に「これはケンカだ。おもいきって殴れ。相手も空手家だから死にはしない」と。そうして小林がおもいきり殴ったから大騒ぎになった。誠心会館は青柳以外は誰も事情は知らないから「表敬訪問に行ったのに殴られて帰ってきた。このままで済ますわけにいかない!」と怒った。俺は当然そうなることを読んでいたし、青柳には言ってたんですよ。「仕返しする動きは止めるなよ。やりたい奴にはやらせておけ」って。そして大阪府立の大会に行ったとき、案の定、向こうの連中が襲ってきたんだよ。

――それはリアルな襲撃なんですね……。

高橋 あらかじめ青柳から電話はあった。「高橋さん、今日、ウチの連中が大阪に行きます」と。俺は小林と同じタクシーに乗って会場に着いた。降りたときに誠心会館の連中が5〜6人襲いかかってきた。小林がムチャクチャにいかれた。

――小林さんは襲い掛かってくることは知ってたんですよね?

高橋 知ってた。「相手はケンカで来るぞ」と。

――小林さんは襲撃を受け入れたんですね……。

高橋 俺がすぐに間に割って入ったんだけど、小林はケガをして救急車を呼んだよ。お客さんも近くにいて騒ぎになったんだけど、連中はタクシーを拾ってあっという間に逃げたんだけどね。

――完全にヤクザの出入りですね。

高橋 そうしたら「ヤクザじゃあるまいしこんなことをやるのはおかしい。リングで決着をつけようか」ってことになった。裏側を知らない会社は、小林に「本当にやるのか?」と聞いたら「やるしかない」と。それで向こうの斎藤彰俊と小林がやることになったんだよ。

――斎藤彰俊さんは裏側を知ってたんですか?

高橋 知らない。

――じゃあガチンコでやるつもりだったということですね。

高橋 そう。でも、試合直前に言った。斎藤彰俊を呼んで事情を説明したら「ああ、そうなんですか……」って。でも「これは通常のプロレスじゃねえんだから投げに来ようがこらえればいいし、ロープに振られても飛ぶ必要はないぞ」と言ったんだ。

――ケンカマッチに見せるからには中途半端なことをするなってことですね。彰俊さんは試合直前にそんなことを言われてビックリしたでしょうね。

高橋 むしろホッとしたのかもしれない。のちのちになってサイパンに行ったときに俺と彰俊が同じ部屋になったんですよ。「自分がいままでやってきた試合の中で最高だった」と言ってましたし、これまでやってたプロレスとは内容が違うからもの凄い反響があった。テレビを見た地方のプロモーターたちが「俺のところでもやってくれ」って大変だったんだよ。

――現場の人たちが試合を見ても、通常のプロレスだとは思わなかったんですか。

高橋 わからなかった。レフェリーは俺がやったしね。ほかのレフェリーにやられちゃマズいわけだよ。ケンカじゃないことがバレてしまう。だから小林が「レフェリーは高橋さんにやってもらいたい」と会社にお願いしてね。

田山 あれだけ殺伐とした試合は最後だったかもしれないですね。面白かったです。

高橋 そうやって抗争を続けてたんだけど、あるときにどうもおかしいことに気付いたマッチメイカーが小林に「後楽園のときも本当のケンカだったのか?」って聞いて、そこで「じつは高橋さんが……」とバラしちゃってね。本来の予定では、そこからもっと続けるつもりだったんだけど、マッチメイカーとしては面白くないわけだよ。

――勝手にやっていたわけですもんね。

高橋 誠心会館の看板を懸けて試合をやって、新日本側が勝って看板を奪っんだけど。マッチメイカーが「これからは仲良くするってことで……」ってことで控室で看板を返しちゃったんだよね。それで尻切れトンボで終わってしまったんですね。

――マッチメイカーには無断で抗争を作っていくケースってほかにもあるんですか?

高橋 いや、ないね。あれは俺のスタンドプレー。やっちゃいけない。もの凄く反響があった試合だけど、違反です。あれがもし俺がマッチメイカーだとしてだよ、そんなことをやられたら怒るよ。繰り返すようだけど、反響は呼んだけど、勝手にやった俺が悪い(笑)。小林なんかに言わせると「あんな激しい試合はしょっちゅうできない。高橋さんは食らわすときは本気でやれよって言うし、当たってないパンチだとレフェリーをやってて怒るし」ってね。ハッハッハッハッ!

――新日本上層部が抗争を止めたこともきっかけで、反選手会同盟が結成されますが、そこもナチュラルなストーリなんですか?

高橋 いやいや、反発なんてのは作りですよ。そんなことを自分たちが勝手にできる組織ではないですよ。そこは俺もわからないけれど、尻切れトンボで終わったものをうまく利用したのかもしれない。

――誠心会館は不穏な試合でもなく一線も超えたわけではないですが、試合途中に壊れたケースってありますか?

高橋 あるよ。俺がマッチメイカーをやったのは1984年から88年。新日本が凄いとき。マッチメイカーになった最初のシリーズにヘラクレス・ローンホークという奴が来たんですよ。

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