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エドゥアルト国民啓蒙・宣伝省次官のブロマガ

イタリア軍の“伝説”について今更ながら反論してみる

2015/01/19 19:04 投稿

コメント:5

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 一応、ジョークとはわかっているんですが、中には本気で信じている人が居たりとやっかいなイタリア軍についての“伝説”。私はイタリア軍が好きなので、あまりこういったジョークは好きではないのですが、今回はこいったものに反論(と言うか文句)してみたいと思います。

以下、コピペ

【イタリア軍最強伝説・ジョーク集】

◆イタリアは本気を出した事がない
◆槍と弓で武装した原住民に敗北できる近代国家はイタリアくらい
◆昼飯の時間になったら戦闘中断
◆イタリアが参戦すると同盟国が絶望する
◆エチオピアに負けそうになって毒ガスを散布
◆昔は都市国家が群雄割拠していた
◆やめた理由はナポレオンに侵略されたから
◆鋼鉄艦で木造艦に負けるのはイタリアくらい
◆国への帰属意識が希薄すぎるせいか戦艦より少人数の駆逐艦や魚雷艇ばかり活躍する
◆相手がイタリアというだけで敵の士気が上がる
◆イタリアが担当している戦線は突破される
◆イタリアが参戦していたことにまだ気づいていない連合軍も多い
◆イタリアはパスタがなくなると落ち込んで戦線後方に篭ってしまう
◆じつは弾薬よりもワインなどの嗜好品の備蓄が多い
◆イタリアが枢軸国に入った時点で連合軍の勝ちでいいだろ
◆イタリアを2回連続で打ち破った将軍はけなされる
◆二会戦連続敗北は「もう戦争やめて女ナンパしようぜ」という暗号
◆イタリアはドイツに敗北寸前のフランスに侵攻して苦戦したの有名
◆一人乗りの潜水艇で爆弾を設置して停泊中の戦艦を撃沈したのはあまりにも有名
◆イタリアは、殺されるんじゃないかとびくびくしている捕虜にフルコースの食事を出してあげたことがある
◆3戦5敗は当たり前、3戦8敗、全戦敗走も
◆途上国相手に苦戦から毒ガスを頻発
◆リビアでの辛勝は遁走のしそこない
◆見張りを立てずに眠ってしまうのも日常茶飯
◆三国同盟大暴れの状態から1ヶ国で寝返り
◆旧式マスケット銃と槍で闘うエチオピアにも余裕で苦戦
◆1回の出撃で洒落にならない自軍犠牲者を出す
◆ナポリで軍艦が盗まれた、中東戦争では乗っていた戦車を盗まれた兵士も
◆役人を寄せ集めただけの軍団に負けそうになった
◆戦争行っても恐かったらイギリスと戦わないで帰ってきた
◆あまりにも戦争で負けすぎるから、武装漁船と戦った
◆その武装漁船にも敗北
◆拷問官に一睨みされただけで泣いて謝る
◆軍隊の備蓄は弾薬よりもワインの方が多かった
◆相手の攻撃が止まったら反撃するより祈る方が早かった
◆観客の韓国人にヤジをとばされた上、審判にも酷い目にあった(2002年)
◆フリーズドライ製法が始まったきっかけはイタリア人が戦場でもおいしい食事をしたかったから
◆湾岸戦争なんて恐いからやらないでほしい


この1つ1つに自分の知識のある範囲で反論してみます。

◆槍と弓で武装した原住民に敗北できる近代国家はイタリアくらい
◆エチオピアに負けそうになって毒ガスを散布
◆旧式マスケット銃と槍で闘うエチオピアにも余裕で苦戦

◆途上国相手に苦戦から毒ガスを頻発

 これはエチオピア戦争に関することでしょうが、この戦争はイタリア軍が弱い軍隊であるという理由付けに良く使われています。
 まず第1次エチオピア戦争、こちらは1895~96年にかけて行われた戦争で、イタリアは第2代国王ウンベルト1世の時代です。
 一方のエチオピアは軍閥が群雄割拠し、王位簒奪が頻発する時代を迎えており、英国軍に敗れ、イタリアにはエリトリアを奪われるという危機的状況にありました。
これを統一したのがエチオピアの属国ショア王国のメネリク2世であり、彼はイタリアの支援を受けて新皇帝となったのでした。しかし、ウッチャリ条約(イタリアのエリトリア占領を認める代わりに、メネリク2世の即位を認めるという内容)はイタリア語の条文ではエチオピアを保護国とするような内容であったため、メネリク2世はこれを破棄します。これを受けてイタリアはエチオピアに宣戦を布告しました。
 宣戦を布告したにもかかわらず、イタリア政府はエリトリア総督バラティエリ将軍以下1万8000人での侵攻を命じます。一方のエチオピア軍は12万人です。開戦直後は勝利するイタリア軍でしたが、期待された軍閥の反乱は起きず、増援も来ないため撤退を強いられます。それが本国では「やる気が無い」と判断され、進撃を急ぐように急かし始めます。
 追い込まれたバラティエリ総督はアドワの地で決戦を挑みます。これがかの有名なアドワの戦いです。初期の敗北から学んだメネリク2世はイタリア軍の夜襲を跳ね返し、勝利しました。この時の参加兵力はイタリア軍1万4500、エチオピア軍約12万となっています。うち約2万から4万人が槍で武装していたとされていますが、残りの8万から10万は英仏から購入した銃器で武装していました。さらにロシア人顧問も派遣されています。この状況下で勝てたらバラティエリ将軍は19世紀末一の名将でしょう。

 そして国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と総帥ベニート・ムッソリーニの時代に行われたのが第2次エチオピア戦争です。こちらは1935年10月から36年5月にかけて行われました。「負けそうになって毒ガスを使用」や「旧式マスケットにも苦戦」と言われているのがこちらの戦争です。
 まずイタリア軍はエチオピア軍に苦戦したのか、という点についてです。結論から言えば苦戦していませんし、負けらしい負けもしていません。
 第2次エチオピア戦争での主な戦闘を見ていくと、
・デ・ボーノ将軍によるエチオピア侵攻 1935年10月~12月
 イタリア軍12万5000 エチオピア軍1万5000 双方損害不明 イタリア軍の決定的勝利
・クリスマス攻勢(エチオピア軍による反撃) 1935年12月~1936年1月
 イタリア軍12万5000 エチオピア軍19万 イタリア軍の戦術的勝利
 イタリア軍損害3000(エチオピア軍による特派員への報告であり、事実であるかは不明)
・ガネレ・ドリアの戦い 1936年1月
 イタリア軍2万 エチオピア軍2万4000 イタリア軍の決定的勝利
 イタリア軍の損害軽微 エチオピア軍の死者・行方不明者約9000
・第1次テンビエンの戦い 1936年1月
 イタリア軍7万 エチオピア軍7万 イタリア軍の勝利
 イタリア軍死傷者1083 エチオピア軍死傷者約8000
・アンバ・アラダムの戦い 1936年2月
 イタリア軍7万 エチオピア軍8万 イタリア軍の決定的勝利
 イタリア軍死傷者約800 エチオピア軍死者約6000、負傷約1万2000
・第2次テンビエンの戦い 1936年2月
 イタリア軍7万 エチオピア軍4万 イタリア軍の決定的勝利
 イタリア軍死傷者約600 エチオピア軍死傷者約8000 エチオピア中央軍壊滅
・シレの戦い 1936年2月~3月
 イタリア軍4万7000 エチオピア軍2万3500 イタリア軍の決定的勝利
 イタリア軍死傷者約1000 エチオピア軍死傷者約4000 エチオピア左翼軍壊滅
・マイシェウの戦い 1936年3月
 イタリア軍4万 エチオピア軍3万1000(皇帝親衛隊6個大隊を含む) イタリアの勝利
 イタリア軍死傷者1273 エチオピア軍死傷者1万1000 皇帝親衛隊壊滅
・オガデンの戦い 1935年4月
 イタリア軍3万8000 エチオピア軍3万 イタリア軍の戦術的勝利
 イタリア軍死傷者2000 エチオピア軍死傷者5000

と、上記のように主な戦いでは全てイタリア軍が勝利しています。呼び兵力含めイタリア軍が約50万(初期の動員は10万)、エチオピア軍が約80万(初期の動員は33万)を動員しました。イタリア軍の死者数は2万人、負傷者と病死者が18万8000人となっています。エチオピア軍は死傷者合わせて77万5000人です。どう見てもイタリア軍の圧倒的勝利です。エチオピア軍もほとんどが訓練を受けていない部隊だとしても、イタリアの北部軍も現地人傭兵と黒シャツ隊からなるMVSN(国家義勇軍、徴兵に適さない青少年・退役兵などからなる民兵)が大半の部隊でした。
 毒ガスが使用されたのはクリスマス攻勢の頃で、司令官がデ・ボーノ大将からバドリオ元帥に代わった時期です。デ・ボーノ大将は慎重に進撃していたのですが、これにムッソリーニが苛立ち、デ・ボーノを元帥に昇進させて本国に戻し、バドリオ元帥を司令官として占領を急がせました。
 バドリオ元帥が「防衛する時間も惜しい」として使用したのが毒ガスで、心理的効果はありましたが、あまり意味がないということでこれ以降は使用されていません。
 南部ではグラッツィアーニ将軍率いる機械化された正規兵からなる部隊が進撃し、焼夷弾を用いた戦略爆撃によって勝利を収めています。

 長くなってしまいましたが、エチオピア戦についてはこんなところ。
 結論、バドリオが悪い(確信)

◆昼飯の時間になったら戦闘中断
◆見張りを立てずに眠ってしまうのも日常茶飯

 「相手も眠いんだからこちらも寝て大丈夫、と言って歩哨も立てずに寝ていたら部隊ごと捕虜に」なんてジョークもありましたけど、さすがにこれは……
 でも「戦争中にお祈りを捧げるムスリム兵士に困ったドイツ軍」や、「ティータイムにつき砲撃不可能と返答した英軍」などはあまりジョークにされない不思議

◆イタリアが参戦すると同盟国が絶望する

 イタリア王国成立後にイタリアが参戦した戦争といえば、
・普墺戦争(第3次イタリア統一戦争) 勝利
・普仏戦争 勝利
・第一次エチオピア戦争 敗北
・伊土戦争 勝利
・第二次エチオピア戦争 勝利
・アルバニア侵攻 勝利
・第一次大戦 勝利
・第二次大戦 無条件降伏
・イラク侵攻

 ほとんど勝利しているし、第一次大戦なんかは協商側に要請されて嫌々参戦したのに、やる気が無いのだのオーストリア軍にも苦戦するだの言われても仕方がない気がするんですが。

◆昔は都市国家が群雄割拠していた
◆やめた理由はナポレオンに侵略されたから

 都市国家が割拠していたのはドイツも同じだし、日本も戦国大名が割拠していたのに、イタリアを批判できるんですかね……?(疑問)
 ナポレオンに侵略されたからやめたといっても、当人たちはイタリア人と思っていなかったわけで、それがフランスの衛星国とされた怒りや失望から民族主義が芽生えたわけでして。
 ローマ以降、統一的政権があったわけでもないので、別に小規模な国家が存在していてもおかしくもなんともないのではないですかね。ローマ人とイタリア人に人種的なつながりはありませんし。むしろ気質の違いからサルデーニャ王国と両シチリア王国に分かれたほうがいいのではないか(両シチリア王国支持者)。

◆鋼鉄艦で木造艦に負けるのはイタリアくらい

 これはリッサ海戦のことでしょう。リッサ海戦は1866年、普墺戦争中のイタリア戦線で行われた戦いです。これはイタリア統一から4年しか経っていない中、行われた戦いでもあります。
 オーストリア海軍側は装甲艦「フェルディナント・マックス」による衝角攻撃を敢行、砲撃で激しい被害を受けていたイタリアの装甲艦「レ・ディタリア」を撃沈します。
 同じようにイタリア海軍の後衛と交戦中の木造戦列艦「カイザー」が、装甲艦「レ・ディ・ポルトガル」に衝角攻撃を敢行します。しかし、逆に「カイザー」の艦首が大破、至近距離からの砲撃を受けています。
 この戦いから「非装甲艦は装甲艦には勝てない」「だが装甲艦から装甲艦への衝角戦術は友好」という戦訓が生まれました。つまりこのジョークも嘘というわけです。
 むしろ、衝角戦術が有効なんていう誤った戦訓を生んだオーストリア海軍の方が問題であったといえます。

◆国への帰属意識が希薄すぎるせいか戦艦より少人数の駆逐艦や魚雷艇ばかり活躍する

 これは帰属意識云々ではなく、大型艦艇を動かす石油が無かったため、活躍の場が無かったとするのが正しいです。あと艦隊保全主義から戦力を小出しにしたため、敗北を続けたというのもあります。

◆相手がイタリアというだけで敵の士気が上がる

 意気揚々とイタリア軍陣地に向かって行った英軍戦車部隊は、イタリアの90mm対空砲の攻撃に苦戦したそうですが。

◆イタリアが担当している戦線は突破される

 スターリングラードの戦いで突破されたのはハンガリー軍とルーマニア軍が守る地域でしたし、イタリア北部の防衛線ゴシックラインでは1944年8月から翌年3月まで守り抜き、現地ドイツ軍が降伏したのは終戦間近と、それくらい粘っていいたんですがね。

◆二会戦連続敗北は「もう戦争やめて女ナンパしようぜ」という暗号

 イタリア人はイタリア女性にナンパしないと聞いたことがあるんですが、どうなんですかね? ナンパしてついていくような女性は育ちが悪いとか。

◆イタリアはドイツに敗北寸前のフランスに侵攻して苦戦したの有名

 これは事実です。準備不足の上に冬期装備も不足し、山岳兵は凍傷に倒れ、負傷兵は2日間かけて救護所に向かったというのですから、損害も増えるわけです。

◆一人乗りの潜水艇で爆弾を設置して停泊中の戦艦を撃沈したのはあまりにも有名

 何故、ここだけ褒めているのかは不明

◆イタリアは、殺されるんじゃないかとびくびくしている捕虜にフルコースの食事を出してあげたことがある

 これは何がネタ元なのかわかりませんが、捕虜の扱いが非常に良く、死者数が少ないというのは事実です。

◆三国同盟大暴れの状態から1ヶ国で寝返り

 イタリアよりも早く三国同盟加盟国でありながら、英国の支援でクーデター起こして抜けようとしていた国もあるんですけどね

◆ナポリで軍艦が盗まれた、中東戦争では乗っていた戦車を盗まれた兵士も

 ある意味、両方とも事実ですね。
 ナポリで盗まれた軍艦と言うのは、ムッジアーノ造船所で250トンの潜水艦が盗まれた事件のことです。1914年秋、アンジェロ・ベッローニ中尉はアドリア海をオーストリアに抑えられたのに、抗議しない政府に憤り、一人でも戦おうと潜水艦を盗み出します。そしてフランス領のコルシカ島まで乗組員たちを騙して航行、そこでフランス軍に協力を求めますが、拘留されました。ムッジアーノ造船所はナポリではなく、北イタリアのラ・スペツィアにある造船所です。何故、ナポリになったかは謎。
 ちなみにベッローニ中尉、第二次大戦ではデチマ・マス隊員としてRSI軍に参加し、少佐の階級で退役しています。
 中東戦争で戦車を盗まれたのはイタリア軍ではなく、英軍です。そもそも中東戦争なんてイタリア軍に関係ありません。ユダヤ人女性に酔わされてシャーマン盗まれた英軍の話が、いつの間にかイタリア軍の話に摩り替えられました、

◆役人を寄せ集めただけの軍団に負けそうになった

 おそらくエチオピアの公務員で編制された部隊のことかと。エチオピア戦については先程書きましたので省略。

◆あまりにも戦争で負けすぎるから、武装漁船と戦った
◆その武装漁船にも敗北

 潜水艦ガリレオ・ガリレイの話。1940年6月16日、ノルウェー船籍のタンカーを撃沈するも、その護衛についていた英海軍の駆潜艇の爆雷攻撃を受け、蓄電池、排水ポンプ、補助機関を破損します。電池破損と浸水によって塩素ガスが発生、乗員のほとんどが体調不良に陥ります。それでも18日にはユーゴスラビアの船を停船させています。
 翌日、英軍のと思われる航空機を発見、ガスが発生し続ける中で潜行しやり過ごすも、英海軍の武装トロール船ムーンストーンに発見され、爆雷攻撃を受けます。やむを得ず浮上して砲戦を挑みますが体調不良の為にまともに戦えず、艦橋にトロール船の砲撃が直撃、艦長以下士官が戦死したため降伏しました。
 武装漁船と書いて弱そうにしているのがいやらしいですね。トロール船は戦争中は多くが徴用され、掃海艇として運用されていたんですから、立派な軍艦です。

◆拷問官に一睨みされただけで泣いて謝る

 これは某漫画かなにかの話ですかね

◆軍隊の備蓄は弾薬よりもワインの方が多かった

 開戦前は1ヶ月分の弾薬しかなかったんですから、そりゃワインの方が多いでしょうね。

◆フリーズドライ製法が始まったきっかけはイタリア人が戦場でもおいしい食事をしたかったから

 フリーズドライは欧州へ血漿を送る必要性から、1920年代にアメリカで開発されていました。レーションのフリーズドライは1950年代に開発が始まっています。

◆湾岸戦争なんて恐いからやらないでほしい

 湾岸戦争にイタリアも派兵してますけど、怖いからやめてほしいなんて話は何処から出てきたんだか……


 残りのはどうしようもないものだと思って特に言及しません。ジョークとしてネタにするのはいいんですけど、これが真実ではないということが広まり、さらにはイタリア軍好きが増えてくれることを願って、筆をおきます。

コメント

そうえんはゆかりさんがお気に入り
No.3 (2015/01/20 05:22)
むしろ根も葉もないジョークで罵倒しない限りは、イタリアも王国も、相手国の立場であっても悪く残す事が難しいという反証でもあるってことなんですかね。
まりお
No.4 (2015/11/17 08:07)
イタリアの国家統一が遅れたのはドイツも同じなのは分かりますが、戦国時代の日本と同列に見るのは…
たぬき
No.5 (2016/01/24 22:32)
これは私も同意ですね。
あと単純にイタリア国民がドイツ国民ほど民族主義や全体主義に傾倒しなかった為、士気が低かったのも原因でしょう。
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